ビオラ製作で見るクオリティと木工技能【第13回】ビオラの完成と現代の楽器製作 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

クオリティについて語ってきたこのシリーズもビオラが完成したので全体的な話です。
しばらくブログをお休みして5月には再開します。
初めて見つけてきてくださった方にも今回の記事はブログの本質を表す内容にしたので多くの人に読んでもらえたらと思います。

こんにちはガリッポです。

この前はオールドヴァイオリンの話でしたが近代や現代のヴァイオリンについて考えていきます。
さんざん言ってきたことでモダン楽器はフランスで確立して各地に伝わり地域ごとに特徴のあったオールドの伝統をすっかり消し去って取って代わられたものです。そのためどこの国のものでも近代以降のものは「フランスの楽器の出来損ない」という面があります。

イタリアのモダン楽器を「フランスの楽器の出来損ない」と言うのは私くらいでしょうがそれくらいの見方をしてようやくフェアというくらい持ち上げられてきています。値段に関して特にリーマンショック以降安定した資産として急激に値上がりしています。ブログを始めた当初でも楽器の出来栄えに対して高すぎることを言ってきましたがいよいよ純粋に投機の対象になりもはや音楽とは別の世界のものになってしまいました。音楽よりお金が好きな人の買うものです。

私のところでは高すぎるイタリアの楽器を買う人は多くありません。
特に現代のものは日本に休暇で帰った時のほうがこちらで10年間働いているより多く見ます。

モダン楽器なら少し見ることがあります。
ちょうどそのような楽器がありました。
職人から見て同じようなレベルのドイツの楽器もありました。
イタリアとドイツの楽器の見分け方が分かると良いですね?
くまなく見比べてみました。


さらっと言いましたが、イタリアのものと同じようなレベルのドイツの楽器が存在するということすら日本では知られていないのです。もしくは隠蔽されていると言えるかもしれません。ドイツの楽器と言えば戦後西ドイツのブーベンロイトで大量生産されたものが大きな弦楽器店で販売され中年以上の方にはおなじみのものです。今は中国のものが多くなりました。ドイツの楽器としてイメージするのはこのようなものです。そのためイタリアのハンドメイドの楽器よりはるかに安価のものというイメージがあります。実際にはドイツにもたくさんの優秀な職人がいてヴァイオリン製作コンクールでも常に上位に入っています。

実は生活水準の高さからドイツのマイスターの楽器を輸入するとイタリアの楽器よりも高くなってしまいます。そのためほとんど輸入されていないはずです。わずかに輸入されているのはマルクノイキルヒェンのマイスターのものなどでこれは大量生産品の上級品くらいのものです。

このようにブランドイメージとしてドイツ製はブーベンロイトの大量生産品、イタリアはマエストロの高級品というものになっています。しかし実際にはドイツは国内の市場が大きいために内需に向けて高級品を作ってきたので輸出は積極的ではないということ、イタリアではアメリカや日本への輸出に頼らざるを得ないと言えます。ヨーロッパでイタリアの楽器を使っている人が少ないというのはこのためです。

その証拠にクレモナで出版された現役のマエストロを讃える本にはイタリア語、英語、日本語、中国語で書かれていてヨーロッパの他の言語は記されていないのです。明らかにターゲットを絞っています。世界的な評価のようなものが存在していると勘違いしている人がいますがそれにはヨーロッパが入っていないのですから世界ではありません。

そもそも弦楽器というのはそういうものではないということをブログで説明してきています。


日本の経済力が落ちて来たために目を付けているのが中国です。
成金趣味は成長期の国に顕著で日本もそういう時代がありました。
日本も次の段階に進む必要があります。そのための情報が当ブログです。


実際には職人の目で見た時イタリアの楽器と同等かそれ以上の他の国の楽器がたくさんあるのです。にもかかわらずモダン楽器の値段は5倍くらい違います。だからもはや楽器ではなく金融商品だと言っているのです。

それでは見ていきましょう。

イタリアとドイツのモダンヴァイオリン



これはイタリア中部のアスコリで1894年にエミリオ・チェラー二によって作られたものです。パッと見た瞬間にドイツやチェコの量産品でないことは分かります。なかなかいい楽器だとすぐにわかります。

裏板は一枚板で地肌は染めてあります。

エッジは丸みがあり軽くアンティーク塗装になっているようです。

ボタンも丸みがあり甘い感じです。
パフリングも輪郭もピシッとはしていません。しかし大量生産品と違って全体の形はバランスよくできています。

f字孔もこんな感じとしか言いようがありません。

スクロールも角が丸くなっていて鋭さはありません。完璧に整っているということでもありません。

正面から見るとはっきりわかることがあります。左右が全然対称ではありません。渦巻きの中心が右のほうが低いですね。丸の直径も違います。センターのラインも甘く真っ直ぐではありません。

そのため右側の形が左と違ってくるわけです。

次は

アドルフ・シュプレンガーが1930年にシュツットガルトで作ったものです。少し時代は新しいのですが決してクオリティでは引けを取るものではありません。
イタリアとドイツの違いが分かりますか?

私にはよくわかりません。
弦楽器というのは訓練すれば誰にでも作れるものなのでどこの国の人でも変わりがないのです。
イタリアの職人は天才でドイツの職人は凡人と言えるでしょうか?

裏板は2枚の板を張り合わせたもので地肌は染めていません。木の自然な色です。
ニスの色合いはオレンジなので新しく見えます。個人的にはチェラー二のほうが好きですが好みの問題です。

まあ、同じようなものです。ちょっとだけシュプレンガーのほうがきちっとしている感じがします。

f字孔もそんなに変わらないです。

スクロールは明らかに違います。はるかに左右も対称でビシッとしています。

渦巻きから外側の輪郭まで丸みを強く意識してきれいに仕上がっています。チェラーニのほうが間延びしたような形をしています。

右側も丸みを意識したものです。

スクロールにははっきりイタリアとドイツの違いが表れています。型に対して正確に加工しているのがドイツのもので、目分量でなんとなく作っているのがイタリアのものです。

アーチにも違いがあります。チェラーニのものは断面がとんがった三角形をしています。ノミでザックリ彫っていった感じで仕上げも甘さがあります。それに対してシュプレンガーは表面をデリケートに仕上げてあります。フランス的な雰囲気があります。

イタリアのほうが手作り感があると言えるでしょう。加工や仕上げの感じがフランスの楽器に近いのはドイツのものです。チェラーニの方はチェコの楽器にも似たようなものがあります。


考え方の違い

パッと見た瞬間にどちらも粗悪なものや量産品ではなくクオリティが高い一人前の職人のものだとすぐにわかります。ハンドメイドの高級品であることはすぐにわかります。

板の厚みを調べてみると表板はほぼ同じです。全体が2mm台でフランスのもののようにどこも同じくらいの厚さです。裏板はチェラーニのほうが薄くフランスの楽器のようなものでシュプレンガーのほうがやや厚めです。ミドルバウツやロワーバウツのセンターが厚くなっています。チェラーニのような厚さは私も好んで作るようなものです。音色などには違いはあるでしょうが好みの問題でどちらも構造上問題があるというものではありません。
板の厚みからするとチェラーニのほうが暗い音がしてシュプレンガーのほうが明るい音がするはずです。なぜか無知な人達はイタリアの楽器が明るい音がしてドイツの楽器は暗い音がすると信じているようですが、板の厚みによっては逆にもなりうるのです。


ドイツの場合には大量生産品も作られているのでマイスターのハンドメイドの楽器はそれらよりも高品質でよくできていることが求められます。フランスでもそうです。その結果量産品とは明らかに違う品質のものを作ることが宿命づけられていたと言えます。
それに対してイタリアの場合には事さらに品質の高さを誇示する必要が無かったと言えます。アメリカなどに輸出もしていたので品質にこだわるというよりはどんどん作って行かなくてはいけなかったという面もあります。

そういう意味ではイタリアの楽器は「自然体」という感じがします。素直に作られています。
仕事はシュプレンガーのほうがきちっとしていますが、チェラーニの方も雰囲気は心地良いです。

どちらも同じようなレベルの楽器のように思いますが値段にするとチェラーニは550万円くらい、シュプレンガーはせいぜい120万円くらいです。年代が多少違いますがそこまでの差がどこにあるかは全く分かりません。

これまでのことを踏まえて次の写真を見てください。

これはイタリアのものかドイツのものかどちらでしょうか?
角は甘く、形はいびつです。

ビシッとしてはおらずくたっとした感じです。

バランスは完璧ではなくユニークです。

さあ、イタリアかドイツのどちらでしょうか?



正解はこれはとても安価なドイツかハンガリーの量産品です。仕事が甘くて手作り感があります。
ドイツのマイスターの楽器はこれらとは明らかに違うクオリティが求められるのです。そのためヴァイオリン製作コンクールでも常に上位の常連なのがドイツの職人です。イタリアの楽器はニセモノが多く出回るわけです。




教育としてはドイツのほうが型に対して正確に加工するように指導されたのでしょうし、イタリアのほうがさっさと作るように指導されたのでしょう。そのような違いは雰囲気に現れてきます。

そうかと思うとイタリアにもきちっとしたものもあります。ドイツにもいい加減なものがあります。
職人個人個人になるとどちらの国にもいろいろな人がいます。
「キチッと作るのを悪趣味でそんなものは本物じゃない」と言ってしまうとイタリアの特に値段の高い作者にもそういう人がいるので矛盾します。アバウトに作るのが良いのならどこの国にもアバウトに作られたものがあります。

イタリアの楽器を見分けるには通用する鑑定書があるかどうかということになります。

私のビオラ

私は古いイタリアの楽器を研究しているのでそのような現代の考え方とは離れてきています。
もはや現代的な楽器は作れなくなっているのかもしれません。

それでも十分なクオリティを備えていなければ単なる粗悪品になってしまいます。しかし現代のヴァイオリン製作コンクールのような完璧さは目指していません。

少しずつ紹介してきたビオラも出来上がりました。

全体の形は小さめの画像でも見てください。

アマティの形をそのまま作ったものです。これにくらべたらさっきの二つのヴァイオリンはどちらも同じような形をしています。現代の感覚ではこのようなものは設計できません。これはアマティの複製でしかできないのです。これが私の古い楽器の楽しみ方です。それくらい現代の楽器製作は標準化されてしまっています。だからどこの国のものでも同じようなものなのです。

複製のほうが個性的で自分独自の作品のほうが個性が無いというのが実際のところです。
このビオラは本格的なアンティーク塗装ではありません。私の中ではフルバーニッシュくらいの感じですがこれでもかなり落ち着いた感じがします。もはや新作らしい楽器を作れなくなっています。


古く見せようという気は無いのですが当たり前のように渋い感じになっています。

私の目はオレンジの鮮やかなニスは苦手です。新しく見えるからです。
もちろん新しさのきれいさというものもあります。使っていくうちに傷が付いたりニスが剥げてきたりすると見苦しいものです。補修するのですがフルバーニッシュの新品の楽器の傷直しはとても難しいです。そのうち直しきれなくなってきて20~30年すると汚れも取りきれなくなってきて雰囲気が出てきます。ヤドクガエルのようなきついオレンジも落ち着いてきます。

しかし30年というとなかなか雰囲気は出てきません。それまでは見苦しい期間が続きます。中古車もそうですね。15年くらいすると新車時の輝きはすっかりなくなります。これが30年40年経ってくるとクラッシックカーになってきます。それまではただのオンボロという期間があります。

私のようなものならそこを飛び越えて初めから趣きがあると思います。これもリアルな複製に挑戦している副産物です。

f字孔もコーナーも現代にはあまり無いタイプのものです。f字孔はアマティをイメージして私がデザインしたものです。オリジナルはヴァイオリンのf字孔が付いていて小さすぎるからです。

私の中ではアンティーク仕上げではないのでエッジなどは丸くしていません。アマティやストラディバリも作られた当初は角がピシッとしていてチェラーニのように甘い感じではなかったはずです。いくつかはほぼ未使用で残っています。地肌は染めてあります。
オイルニスで地肌も染めてありイタリアのモダン楽器のような風合いもあります。新品ですが100年くらい経ってる雰囲気もあります。
ブーベンロイトの量産品でも手法自体は同じです。しかし人工的な着色料でわざとらしく微妙な風合いが出ていません。

これは蛍光灯の元で撮影しているので自然光の下ではもう少し赤味があると思います。

ボタンにはコンパスポイントという点があります。コンパスを使って丸を描いたということです。丸みにキャラクターがあります。

アマティのキャラクターは残しつつきれいなカーブになるように仕上げてあります。十分高級品として通用するレベルだと思います。


アマティのスクロールは近代のものほど完全な丸みではありません。あまりにも完全にしてしまうと現代風になってしまいます。今ではオールドの名器の写真から型を起こすことが多くなりましたが、昔は工房ごとに型があって師匠から弟子へと受け継がれたものです。工房や流派ごとにストラディバリモデルというのもあったのですが今ではヴァイオリン製作学校で教わり名器の写真から型を起こしているのでどこのだれが作ったものなのか全くわかりません。

やや暗いので別の写真で見てみましょう。


全くの新品よりは少し落ち着いていると思います。

十分なクオリティがあると思います。

ペグは希望によって黒檀にしました。このような形のものはヒルハートモデルと言います。普通はツゲに黒檀の飾りがついているものです。形が同じで真っ黒というのもシックで主張しすぎない感じが良いです。

キャラクターの強いオールド楽器、完璧さを求めたフランスの楽器、アバウトな近代のイタリアの楽器、・・・それぞれ考え方があります。いずれの時代でも安価なものは雑に作られています。そのため上等なものを作りたいという気持ちが職人にあれば手っ取り早いのは品質の高いものを作ることです。努力によってどうにかなるものです。
しかし本人は完璧に作ったつもりでも雰囲気の悪い楽器はあります。人間の目に心地よい喜びを与えるというのはそれとはちょっと違うのだろうと思います。
そうなるとイタリア人の理屈ももっともだなと聞こえるわけです。しかしこれを悪用すれば単なる粗悪品です。
「一歩間違えると○○に見える」と私もヴァイオリン製作を習っているときは言われたものです。雰囲気もすごく大事で今でも苦労しています。

違うのはアーチ

現代の楽器製作と全く違うのはアーチです。

ドイツの楽器ではフランスの楽器のようなアーチの「面」になっているということでした。それに対してイタリアのものはもっと柔らかい感じがします。チェコの楽器でもそうです。雰囲気が違います。

とはいえオールドはもっと違います。
中級品くらいならボッコボコです。アーチ全体の高さだけでなく現代では起伏がなだらかで凹凸が少ない方が良いとされています。緩やかな丘陵になっている方が良いとされています。それに対してオールド楽器はそんなことは知らないで作っています。

人によってものすごく差があるのもオールド楽器です。作る人の造形感覚がはっきり形に現れています。クレモナの楽器製作を甦らせたなどと言われるジュゼッペ・フィオリーニのような現代のイタリアの職人でもフランスやドイツのアーチの感じとは違ってもオールドとは全然違うように思います。レスピーギという作曲家がバロックやルネサンスの音楽を再現したような感じで本当の昔の感じではないのです。

現代の工業デザインでは製造技術という制約からいかに自由なデザインをするかというところがあります。平らな板を張り合わせて作ると四角いものになります。ボタンやつまみ、取っ手のような部品も四角い箱に取り付けてあるという感じになります。現代の工業デザインではそれらを一つの立体造形として流れるような形やラインにします。プラスチックのようなものであればそのような造形が容易だからです。

職人が作っていたころのものは製造上の制約があってその中で趣向を凝らしていましたが、現代の作者は初めからデザイナーのように設計することができます。
そういう意味で現代の造形センスに優れたイタリアの楽器は「現代的な」造形感覚が発揮されていると思います。

それに対してオールド楽器は「制約」に縛られて不自然になっています。流派によって製造の手順があってそれが完成に影響してしまっているのです。たとえばヴィドハルムというドイツのオールド楽器では始めにこんもりとアーチを作ってから周辺に溝を掘ったのでエアーズロックのような台状になっています。アマティには独特のぎこちなさがありストラディバリではこれがいくらか自然になっています。

このような手順がそれぞれの流派にあり特徴を残しています。そのため私はテストーレのラベルが貼ってあっても一発でこれはザクセンのオールド楽器だと分かるわけです。

そのような形跡を残さないようにするのが近代の楽器製作です。そのため近代以降の楽器であることは分かってもどこの国のものか見分けがつかないのです。

1600年代のアマティの流派にも独特の雰囲気があり私はそれを研究しています。1700年代のストラディバリやデルジェズのコピーでもそれらを崩したものになるので近現代のものとはちょっと違う雰囲気になるのです。

そのようなことは染みついているので今回のビオラでもアマティの複製を忠実に作ろうとしなくても自然ととんでもないものになっています。

今回特に気を使ったのは小型であるということで窮屈な構造にならないようにという点と薄い板にしても変形しないように強度を確保することです。アマティの流派でもいろいろありますからその範囲の中での話です。

写真にとるのは難しいですが立体が写っているものを載せます。











ビオラの場合には大きいのでヴァイオリンよりなだらかになりやすく特徴の無いアーチになりやすいものです。しかし現代の考え方とは違うのでこの楽器も古くなったときには他の同時代のものとは違いオールド楽器のようになるでしょう。

それでもアマティの流派のものは調和がとれているのでそんなにメチャクチャじゃないです。その違いが難しいのです。

気になる音は?

ブーベンロイトの80年代の同じサイズのビオラと比べてみました。ブーベンロイトのものはおなじみの「西ドイツ」という感じのもので現代の大量生産品はこんなものです。持ってみると重さが全く違います。これは板が厚く削り残している部分が多くあるからです。
私はビオラはあまり弾いたことがありませんがいかにもありがちなビオラだということは分かります。明るい音で低音には深みがありません。素人が弾いてもいきなりギャーッと音が出るものでD線やA線は鼻にかかったようなビオラっぽい音がします。

それに対して私の作ったビオラは弦を張ってすぐでしたがずっと暗い音のするものです。C線は深く暗い音色ですが、鳴り方はまだまだの感じです。G線はボーと共鳴するのが分かります。量産品を改造したチェロでもそうでした。出来たての時はCの下の方が相対的に弱くてどうかなと思っていてもしばらくすると低音も出てくるので問題は無いと思います。
A線もビオラっぽい癖は全く無くヴァイオリンのように素直なものです。
ある職人は自作のビオラの高音を何とかするために魂柱と表板の間にゴムを挟むなんていう秘策を編み出したと豪語しているのを聞いたことがあります。こういう噂は職人の間では広まるものですが、私のビオラでは全くそんな必要が無いのです。

ナイロン弦を張ったチェロのような音色の低音にヴァイオリンのような高音でよくあるビオラっぽい感じがしません。
このモデルで横板を高くして子供用のチェロを作ったら良いと思います。音色のバランスは下手なチェロよりも深みがあります。

ちょっとした弓の加減によって音が変化しますから私のようなものが弾くとまだまだ限界が先のほうにあるように思います。そういう意味ではブーベンロイトのほうが音が出しやすいです。それが量産品の音です。

しばらく様子を見て楽器がなじんで来たら微調整をしたいと思います。


久々のフルバーニッシュ?

古い楽器の複製を作ってきましたが2013年以来新品として楽器を作りました。新品なのに完全に私のスタイルができています。最後の方になってようやくやり方をつかんだ部分もあります。

オールド楽器の複製は非常に手間がかかるので気力も時間もなくなってしまったら作らなくなるかもしれません。しかし経験をしたことは普通の新作にも反映されています。自分独自の作品として作られている楽器のほうが個性が無いのです。

私の楽器の特徴ははっきりと出てきています。もはや師匠や兄弟弟子とは全く違うものです。個性的でありながらクオリティも高い、音にもはっきりとした特徴のあるものになっています。

私は「世界一の職人」なんてなるつもりはありません、アマティ一門の一人くらいになれたらいいなと思っています。

私はヴァイオリン、ビオラ、チェロを作ると一番評判が良いのがビオラです。ほとんど弾いたこともないのにです。チェロもチェロを子供のころから習っていた職人のものより劣ることは無いです。職人の才能は不思議なものです。ビオラはヴァイオリン族の楽器の中では一番基本となるものです。弦楽器をどのように理解しているかということでしょう。


クオリティという概念


ずっとクオリティということに対して語ってきました。別に最高のクオリティのものを買えと言ってるわけではありません。ひどく粗悪なものを避けるように言ってるだけです。偽造ラベルの貼られた量産品を高価な名器だと思って買ってしまう人が後を絶ちません。少なくとも量産品なのか並みレベルの職人のものなのかが分かれば9割はこのようなことが防げます。

無名な作者であっても十分なクオリティがあれば、弾いてみて音を気に入ればいいのです。無名なほど値段は安いです。
その職人は立派な職人なのです。
誰もバカにすることはできません。

弦楽器は天才だけが素晴らしいものを作れるというものではなく誰でもまじめにやれば十分なものが作れます。音は好き好きです。
しかし商業上はあたかも「世界的な評価」のようなものがあり一部の人がはるかに格の違うものを作れるという風に思い込ませるようになっています。本当に音を弾き比べてみてください。
自分の耳も信じてください。


しばらくお休みにします。
また5月くらいから再開します。

アマティは平面で見るとかなり個性的な形で現代の標準からかけ離れているので作るのをためらってしまいますが立体にすると不思議と美しいものです。勇気をもって作る甲斐があるものです。