オールド楽器の実際~ブッフシュテッターの修理~ その3 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

ブッフシュテッターの完成の姿です。
オールド楽器の取引や問題についても考えていきます。

こんにちは、ガリッポです。

3月下旬から4月下旬まで日本に帰ります。
今回はチェロの修理の時間が厳しいのでいろいろなことができません。
次回でブログもお休みにさせていただきます。



いつものようにニセモノにまつわる話から。

中々の腕前のアメリカ人の男性に頼まれてヴァイオリンを修理していました。私が裏板を見るとすぐにザクセンのオールド楽器であることが分かります。
テストーレのラベルが貼ってありましたが、そのようなものは何の意味もなしません。

スクロールは素朴な感じがしますがオリジナルではなく別のもので、テストーレにも似せてはいません。表板はニスが裏とは違い、一見オリジナルではないように見えます。それでも全く新しいということは無く少なくとも100年くらいは経っているでしょう。パフリングを見ても裏板と違う感じはしないので、修理で手を加えられただけでオリジナルかもしれません。

表板は魂柱を通過して真っ二つに割れた傷跡があり修理もずさんなものです。

コーナーの修理もひどいものでパフリングの先端がカットされています。

これは私が今回直した修理です。


裏板と明らかにニスが違うスクロールですが継ぎネックがされています。継ぎ目が黒い線になっています、隙間があるということです。

これは私が今回修理したブッフシュテッターのものです。全く継ぎ目が見えないということはありませんが黒い線にはなっていません。

作者不明のザクセンのオールドヴァイオリンなら25~100万円くらいです。これはさほどきれいでもなくスクロールもオリジナルでないのでちゃんと修理をしたとしても100万円に近い値段は難しいと思います。

本人は本物のテストーレだと思っているらしいので幸せを考えてこのことは言わないようにしました。

修理が終わって弾いてみると音はなかなかどうして悪くなかったです。高音にも鋭さは無く、全体的にも古い楽器のカラッとした雰囲気のある音でした。音に強さがあり嫌な音もしないのです。弾いていて本人がニセモノだと気付かないわけです。
ただ量産品のスチューデントヴァイオリンのようにリミッターで制限されたような鳴り方でのびのびと自由に鳴る感じがしません。

50万円くらいなら悪い楽器ではありません。

アメリカの人たちがこのような楽器を愛用しているのは何となく想像が付きます。アメリカ人の観光客が店に来ると「ビューティフル!!オーマイガー!!」と大げさに驚いています。古いヨーロッパの楽器というだけで良いものだと思っているのです。アメリカでは教養のある文化人であることを良しとするインテリ層があってとにかくヨーロッパの文化を信奉する人たちがいると聞いています。先祖たちの故郷ですから特別な思いがあるのでしょう。

そのためヨーロッパの古い楽器なら何でも売れるのです。音も古い楽器の味があり悪くないので、ニセモノだと気付かないのです。

このようなニセモノは聞くと中途半端な値段で買った人が多いものです。本物のテストーレとしては破格の安さなのに対してザクセンの楽器としてはべらぼうに高いものです。
テストーレなら3000万円くらいしますが一昔前ならこれよりはずっと安かったはず。それでも現実的に楽器を買える値段の数百万円ということは無いはずです。しかしザクセンの作者不明の楽器に100万円以上出すのは高すぎます。

よくわからない仕事の粗い古い楽器があった時に「とりあえずテストーレにしておけ」と偽造ラベルが貼られたような感じです。

テストーレのようなミラノの流派はオールドのイタリアの時代には今のスチューデント楽器のように安価なものだったはずです。そのため仕事は雑で安上がりに作られています。天才でも巨匠でも何でもありません。フランスのモダン楽器のようなものに比べれがはるかに質は落ちるものです。そのため手放しで良いものだと思い込んで買うのではなく、優れたモダン楽器とも比較する必要があると思います。適当に作ってある楽器はその適当さが音にとって良い方に作用している場合もありますし、悪い方に作用している場合もあります。

それでも貴重なものでそんなにそこらじゅうにあるのはおかしいです。大量のニセモノが流通していると考えた方が良いと思います。

ポジティブに考えて生きていくのも幸せと言えば幸せですが、楽器の専門家としての領域ではありません。


ブッフシュテッター


修理が終わりました。

ストラディバリのロングパターンと呼ばれる細長いモデルを元にしていますからいわゆるドイツのオールド楽器のシュタイナー型と違うことはすぐにわかります。上下の幅は狭いのですが中心部分は幅があるので窮屈な構造にはなっていません。この前か改造したものですがアゴ当てが大きすぎますね。

私が修理したコーナーはちょっと長すぎる感じもします。将来傷つくことを考えて少し長めにしておきました。短くしたければいつでもできます。

ニスが剥げ落ちている部分も無色に近いニスでコーティングすることで黄金色になっています。ここを他のところと同じように塗ってしまうと新しく見えてしまいます。通常なら150年くらい経っている様子ですので状態は良いと言えます。


裏板も同様で実際に使用して自然にニスが剥げた様子です。アンティーク塗装の場合にはあまりにも規則的になりすぎていることが多いです。
実際にはかなりイレギュラーです。ニスの色はドイツの楽器らしい濃い茶色のものです。木の地肌自体は黒く染めてはいませんのでこちらも黄金色になっています。木自体は黒ずんだ色になっているので修理のためにニスが剥げたところに薄い黄色がかったのニスを塗った結果黄金色に見えます。実際には地肌にもニスにも汚れが付着しているので補修するときは完全に無色だと他の部分より明るくなります。
接ぎの合わせ目は付け直したので隙間が無くなっています。これで裏板の振動が真ん中で分断されることがありません。修理前は羊皮紙でセロテープのように留まっているだけでした。


古い部分は木の色が違うので新しく継ぎ足した部分と違和感なくするのは難しいところです。さすがに最近は慣れてきました。木を染めるのがポイントです。ニスの色だけでやろうとすると手が触れるところはニスが剥げやすいので真っ白いところが顔を出してきて見苦しいものです。

よく見ると継ぎ足してあるのが分かります。これは正当な修理なのでことさら隠す必要はありません。でも明らかに黒い線になっているようでは接着が不完全です。


ここも色を合わせるのは難しいところです。ここでも必死になって継ぎ目を隠そうとしなくても普通にニスを塗るだけでこのようです。

これで一線で使える万全なネックになりました。


アーチはオールドのドイツのヴァイオリンには珍しく近代に近いものです。逆ですね、近代の楽器がこのように作ったのです。ネックを取り付ける角度も一般的な新作と同じです。高いアーチの楽器ではとても難しいところです。良い角度でネックが付いていることはまれなので実力を過小評価される原因になっていると思います。

横板も手や体が触れるところはニスが剥げていてクリアーで保護しています。何となくピシッとしています。オールド楽器の中でも品質が高い方です。

現代のペタッとしたものよりは柔らかい感じがします。初めはシュタイナーのようなものを作っていたので立体視する訓練はできていたと思います。フランスのリュポーでもストラディバリでもデルジェズでも若いころは高いアーチの楽器を作っていてそれからフラットになってきます。現代の職人は初めからフラットなものの作り方を学びます。それに適したように道具や作業の仕方が出来上がってきたのが現代の楽器製作です。そのため高いアーチの楽器を昔のようには作れないばかりかフラットなアーチでも基本が違うために別物になってしまいます。塗装を古びたようにしてもすぐにオールドでないことが分かってしまいます。

ニスの剥げたところの黄金色が目立って見えます。残っているニスの色とのコントラストが鮮やかです。
クレモナのオールドでもこのようなニスの状態のものはオークションなんかに出ていることがあります。1流の演奏者が使い込んでいるものはニスがほとんど残っていないものが多いです。

表板もアーチの高さは現代の一般的なものと変わりません。しかしなんとなく柔らかい雰囲気があります。

スクロールは作者の特徴がはっきり表れているものです。カーブはきれいに仕上げられています。雑なものではありません。近代のものとは違いますが立体的にはむしろ凝っているんじゃないかと思うくらいです。

右上のところはひどく摩耗しています。昔はここを机などに押し付けて調弦したのです。前回継ぎネックの時にちょっと木片を足したおかげでぺぐボックスから指板にかけてのラインが滑らかになっています。
これの効果です。

古い楽器ではここがぶった切ったようになっていることが多いです。指板を交換するときにネックの面を削りなおすと一緒に削ってしまうからです。ペグボックスの印象が大きく変わります。

こういうのもオールド楽器のコピーを作っていると分かってくるものです。

後ろに穴が開いているのも特徴ですが2本の溝も深く彫られています。ペグボックスの横の壁はスクロールからずっとくぼみが続いています。

渦巻きの中の彫り方も深いものです。

前から見ると渦巻きのところはかなり細い感じがします。近代のものは太いものが多いです。徐々に削っていくので初心者が作ったものも攻めきれずに太くなっている場合があります。
以前つけられていた指板はかなり細いもので苦労したところです。バロックの指板ではないのでオリジナルではありませんでした。継ぎネックも違和感なく何とかなりました。

水滴のような柔らかいカーブをしています。向こうが見えます。

裏板のボタンは黒檀の縁取りを付けるか迷ったところです。過去の修理で削られて小さくなっているからです。黒檀の縁取りを付ければ修理されたストラディバリっぽくなります。せっかく作者の特徴が残されているのでそのままにしました。幅さえ十分にあれば構造上の問題はありません。

これでもドイツのオールド楽器の中では奇跡的に状態が良いものと言えます。イタリアのものなら高い修理代を払ってもそれ以上高く売れるので微々たるものですが、ドイツの楽器はろくに修理されていないものが多いです。

秘密の修理法があるわけでもありません。もともと良い楽器なら普通に直すだけで健康的に音が出るようになります。正確な加工ができなければ何もできません。

板の厚み

せっかく分解しましたから板の厚みを測っておきました。

まず胴体の長さが364mmあるのが大きな特徴です。現在では355mm程度が標準ですから1㎝近く長いものです。フランスの19世紀のモダン楽器でも36㎝を超えるものが多くあります。それに対して横幅は狭いものです。アッパーバウツとロワーバウツは8mmほど狭く片側で約4mmずつ狭いことになります。それに対してミドルバウツはストラドモデルとしてはごく普通のものになっています。楽器にとって中央部分は駒が来るところなのでとても重要です。ここも狭ければかなり厳しかったでしょう。もとになったストラディバリのロングパターンでも同じことです。

板の厚みですが特徴は左右の合わせ目のところを厚くしてある点です。にかわの接着面積を広く取るためにわざわざ削り残しているようです。ということはかなり気を使って厚みを出す作業をしていたことが分かります。f字孔の周辺も縁取りのように厚くして外から見たときの厚みをそろえてあります。ザッザッと削ったのではなく注意深く削ったのが伝わってきます。そのため数字だけを見ると板は厚めの印象を受けます。しかし厚いゾーンは1㎝程度なのですべてが厚いということはありません。トータルで見ると板の厚みは標準的かやや薄いくらいのものです。現代の楽器ではエッジ付近がずっと厚いものが多くあります。

裏板の中央は4mmを超える厚さでドイツのオールドとしては厚い方です。ドイツのオールド楽器は3.5mm程度のものが多いです。3.5mmあれば構造上問題となるほど薄いものではありません。このブッフシュテッターでは裏板の魂柱の来る部分に変形などはほとんど見られず十分な耐久性を確保していると言えます。

中央は厚くなっていますが連続して変化しているのではなくてそこだけ急に厚くなっています。触ると段差があることが分かります。

ドイツのオールド楽器

チェロは難しいですがヴァイオリンであればなかなか魅力的なドイツのオールド楽器があります。

ブッフシュテッターは450万円くらいはするので安くは無いです。しかし同じくらいの値段でテストーレなどのニセモノを買ってしまう人もいます。イタリアの楽器だと思って買ったのがドイツの粗悪品だったというなら初めから上等なドイツの楽器を買った方が良いです。実際にテストーレのようなイタリアのオールド楽器のライバルに十分なりえるものだと思います。音は好みですから人によって意見は分かれるでしょう。

私がヴァイオリン製作を習い始めたころはこれくらいの値段ならフランスの一流のモダン楽器が買えました。今ではもう少し時代が新しい物しか買えません。もちろん検討に値します、好みや求める方向性によって意見が分かれるでしょう。



またイタリアの楽器で450万円ならオールドもモダンも無理でただの中古の楽器しか買えません。現代の楽器はイタリアだろうとどこの国でも変わりは無いのですから。モラッシーの若いころのものなら日本に限ってそれくらいの値段が付いているようですが馬鹿げています。山ほどいるほかのクレモナの職人と変わりません。それらは現地で100万円もしません。それが物としての楽器の値段です。

そのブッフシュテッターでもニセモノがあります。これが我々の業界のメチャクチャなところです。日本でもニセモノが売られているのを見たことがあります。
先週もブッフシュテッターを売りたいという人が連絡してきました。鑑定書もあるというのです。写真を送ったもらった段階でも全く違うとすぐにわかりました。こっちには現物が二つもあります。たまたま私が知らないだけで違う作風もあるかもしれませんが、買い取るならはっきりそうだと分かるもの以外は買わなくても良いです。証券取引所じゃないんだからすべて買い取らなくてはいけないという決まりは無いです。取引所も売りたい人と買いたい人が常にいるので売れるというだけです。弦楽器の場合にはそれを欲しいという人が現れるまで換金は出来ません。


クラシック音楽に携わる人たちは大金持ちもいれば権威主義の権化みたいな人もいます。彼らとは感覚が違うのなら彼らの間での評判は別の世界の話です。

隠れた名品を知っている人のほうが弦楽器に精通していると言えるでしょう。他にもたくさんあるはずです。面白いですよ。