ビオラ製作で見るクオリティと木工技能【第9回】f字孔 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

今回はf字孔です。バロックチェロでも話しましたが楽器の顔となる部分です。印象には強く残ります。クオリティについてみていきましょう。

こんにちは、ガリッポです。


民族音楽用の楽器の展示会の案内が来ていました。
ヴァイオリンなど弦楽器はクラシックのためのものとは限りません。
アメリカではフィドラーという音楽がクラシック以上に盛んで、アメリカからの観光客があざやかな速弾きを披露してくれたりします。

日本でも尺八や三味線、琴など今でも盛んであるように、こちらでも昔ながらの楽器もあります。修理などではたまに来ることもあります。
他に様々な国の民族楽器を見ることもあります。
以前は日本の尺八を持ってきた人もいました。かつて京都に住んでいたそうです。

今はヴァイオリン系の弦楽器は民族音楽用と違いはありません。
元々は独特なものがあったでしょう。その土地その土地で作られていました。我々からすると素人が作ったような素朴なものもありました。独特な装飾が施されたものもあります。それらは淘汰されて今は作られていません。

ハンガリーなど東ヨーロッパからの旅の音楽家は、多くの場合安い楽器に安いスチール弦を張り松脂で表板の中央が真っ白になっていたりしてメンテナンスはひどい状態です。それが民族音楽用のセッティングというよりは単に無頓着なのです。コントラバスをむき出しで車の屋根の上に縛り付けていたりします。そうやってみるとF1マシンに形が似ているようにも見えます。意外と空気抵抗が少ない形かもしれません。



バロックチェロは多大な労力の結果完成が見えてきました。

ニスを完全に均一に塗るフルバーニッシュではなく「陰影をつける」というような塗り方になってきました。フルバーニッシュしかやったことのない人が陰影に挑戦すると素人目には悪くないものができますが私からするととても許せないものになります。どう見ても新品なのにニスが3~4割の面積で剥げ落ちているのです。それも筆で描いたのがはっきりわかります。

私のようにオールド楽器のコピーの手法をマイルドにして陰影をつけると全く違うものになります。新品であることを隠す気はなく、むしろ新品のきれいさに加えて古い楽器のような趣があるのです。

特にチェロのアンティーク塗装はただただ汚いだけのものが多くあります。
一見古く見えますが、本当の古い楽器とは全く違います。黒い点々がついていたりしますがストラディバリのチェロには黒い点々なんてありません。黒い点々があることによって古い感じはしますが、実際の古い楽器にそのような点々はありませんからそれがアンティーク塗装のものだと分かるのです。

一般の人はそこまで見ないかもしれませんが、私にとっては許しがたいです。余計なものが付いているんですから。


弦楽器に関して初心者の人が新品のきれいさにより魅力を感じるのは当然です。安価な楽器の多くには汚らしいアンティーク塗装が施されているので、現役の腕の良い職人のピカピカの新品は段違いにきれいに見えます。しかしながら弦楽器の歴史全体を知ってくると上級者がみな古い楽器を使っていることを知ります。そうなると新品であることはマイナスのイメージになってきます。

そうなので職人も古い楽器のような雰囲気を再現しようと努力します。
私はフルバーニッシュでいくらきれいに仕上げても出来上がった時に失望します。名器のイメージと全く違うからです。素敵な楽器にしようと一生懸命やってきたのに出来上がってみると違うのです。自己肯定感の強い人ならそれを最高と信じ込んでいられるのでしょうが、私は自分に正直すぎます。


ヴァイオリンの製作ではオールド楽器を忠実に再現するように研究してきましたが、チェロになると作業の量が多すぎて値段が高くなりすぎてしまいます。チェロをフルバーニッシュで売り物になるレベルで塗るだけでも大変な難易度です。そのためフルバーニッシュできれいに塗られているチェロはほとんどないのです。私はニスの研究によってそれができるような塗りやすいニスを開発しました。それでも出来上がってみると「新しい」のです。

チェロの場合には面積が大きいので同じ色ならヴァイオリンより明るく見えます。
さらに斜めに構えるので表板は一番光を反射する角度です。
また低音楽器なのでイメージとして暗い色のほうが低音の深さとイメージが一致します。音と見た目が一致すれば感覚的にはより魅力的に感じられるはずです。

そういうわけでニスの計算を間違えて明るいオレンジ色のチェロが出来上がると正直ガッカリします。ヨーロッパでは楽団でもヴァイオリンなどは古い楽器を使っている人も多くチェロだけ明るいオレンジだと浮いて見えます。日本のオーケストラは明るいオレンジ色のチェロをよく見ます。


そういうわけで新品であっても落ち着いた風合いのものを作りたいわけです。
弦楽器は一般的な工業製品と違って新品の時が一番きれいでどんどん劣化していくのではないのが良い所です。むしろ味わいを増していきます。オレンジ色のチェロも100年もすればずっと良い感じになってきますが、人間の寿命では味わうことはできません。いかにも新品という楽器は傷などがつくととても目立ってしまいます。修理には大変に気を使います。真っ新なところに傷があるからです。最初の10~20年はできるだけ新品の時のように「傷直し」をします。それ以上になるとさすがに無理になってきますが全体的に古びて来るので目立たなくなってきます。新品の魅力は時間とともに劣化していき、20年すると古さが魅力として台頭してくるのです。


それに対してニスの色合いを落ち着かせるだけでもその20年を飛び越えることができます。
初めから年ごとに魅力を増していくのです。それが私の目指していることです。もちろん新しくついた傷は白い木が顔を出すので見苦しいですが、ちょっと色を付けてやるだけで落ち着きます。すべてがオレンジならくぼみを埋めて全く同じオレンジ色にしなくてはいけませんが古びた楽器ならそこまでしなくても風合いになりますから修理にかかる時間も短く安くなるでしょう。

そのように気兼ねなくガンガン使えることはプロ用の楽器としても良いと思います。



そういうわけなのでアンティーク塗装が行われることが多いのです。
ところが作業に労力がかかります。これを短時間でやるとただ汚いだけのものになってしまいます。


職人でも個人差があっていつでもできるだけきれいな仕事をしたいという人もいれば、飽きてしまってすぐに次の工程に移ろうとする人がいます。初めは荒く加工し、徐々に力を入れないで繊細な作業をするのです。飽きっぽい人は初めから最後までずっとギュウギュウ力を入れて変化しません。楽器としての機能では必ずしも悪いというわけではありませんがそういう人はたくさんいます。なぜそんなに仕事が嫌いな人が職人になろうと思うのか不思議なのですが実際にそうです。

人間の社会、特に西洋では静かに仕事に集中する人よりももっともらしい理屈を語るほうが出世します。大きな会社ほどそういう人の割合が多くなってきます。良い製品だと思って買っていた企業が大きくなるにつれて品質が悪くなるのはいつものことです。

自分が作っている品物をよく見ると理屈で語るよりもずっと多くの情報量があります。静かな人のほうがよく知っているのです。知識をひけらかす人は少ししか知りません。

人類の歴史上には膨大な情報量の詰まった品物がこぞって作られた地域や時代が奇跡的に存在します。そのようなものを見ると私は闘志を燃やすのです。多くの人にとってはどうでも良い事です。


そんなこともあって私は荒い仕事の楽器を意図的に作ることはできますが、粗い仕事をする人が繊細なものを作ることはできません。繊細なものを作る人は数としては少ないので私が作れる楽器の数が限られているのなら繊細なものを作ったほうがより能力を発揮できるでしょう。

私はできの悪いものを短時間でチャチャッと作って100万円もらうよりも、きちっとしたものを納得いくまで作って10万円もらうほうが嬉しいです。でも一般的には手抜きまでできて100万円ももらえるんだからそっちの方が良いという人が多くいます。量産メーカーはそういう人たちの集まりです。私なら雑な仕事をするのが嫌で辞めてしまいます。

このように西洋では雑な仕事をして立派な理屈を語り高い値段を請求する職人が成功します。
そういう例は後を絶たないです。




そんなわけで、嘘くさくないアンティーク塗装をしようと思うととても微妙な加減が重要になります。古くなっている様子を再現するにしてもそれをやってあるということが分からないくらい自然なのが理想です。汚れがたまってほんのり黒っぽくなる部分はフルバーニッシュではそうなっていないので逆に不自然に見えます。一般の人は古くなった楽器を見てもどこが古くなっているかは具体的には分かっていません。同じようにほんのり黒っぽくしても見た人はその労力に気づきません。最高のアンティーク塗装を施すと「普通」に見えるのです。

それに対していかにも黒く塗ってあるというのもいけません。
粗末な量産品やギターの塗装では私はそう思うことがよくあります。
ハンドメイドの楽器でも多いですけどね。

やりすぎてはいけないけども効果が薄すぎても費やした労力に自己満足するだけです。




今回はコピーではない新品の楽器の塗装について「スタイル」を確立できたと思います。あとは作業の効率とクオリティを向上するために「練習」が必要です。せっかく年間にチェロを何本も塗っているのでそれは将来も無駄にするべきではないと思います。ヴァイオリン職人でもチェロなんて塗ったことがない人がほとんどです。
私には独特なスタイルがあるわけですからそうなればすぐに私のものだとわかります。コピーを研究するほうが個性が出て来るという逆説です。


20年近くやってきてまだ練習が必要だなんて言ってるのですから。昨日聞いた理屈をもっともらしく語れば専門家のふりができます、練習は不要です。愚かな頭脳さえ持っていればいいのです。



f字孔です

f字孔についてはバロックチェロの話題でも取り上げました。f字孔は楽器を顔に見立てると目のようなものです。大きく楽器の印象を左右します。そのためバロックチェロでは工場でf字孔を開けないでもらって自分で開けることにしました。ニスも仕上がりが見えてくるとそのアイデアが良かったことを実感します。
工場で仕上げたものはだらしないものでしたが、ビシッとしまって鋭い眼力があります。

現代ではストラディバリのf字孔が最も基本となりさらにデルジェズのものもよく見られます。
自分でf字孔をデザインする人もいます。他の職人から見るととてもヘンテコだったり、ストラディバリモデルとあまり変わらなかったりします。ストラディバリモデルも今では印刷物によって誰にでも型を入手することができますが、かつては困難でした。流派ごとに独特のストラディバリモデルもあったのです。

他によくあるのは若いころはお手本通り作っていたのに晩年になるにつれてどんどんその人の癖が強くなるパターンです。自分の楽器ばかり見ていると少しずつ変化して行っていることに気づきません。自宅の工房で楽器製作ばかりやっていた人などは知らない間に癖が強くなっていることがあります。

そうでなくてもf字孔の作業にかかっていると眼が冴えてくる反面バランスは分からなくなってきます。私は腹八分目のように完全に満足する前に別の作業に移ったりして目が客観性を取り戻してから仕上げていくなんてことをします。それでも腹9分目で止めておいて方が良いです。のめり込んで満足するまで欠点を無くそうとすると知らない1うちに全体のバランスを崩してしまいます。そういういことができるようになってきたのここ数年のことです。完璧になっていなくても限界が来たら止めなくてはいけないのです。いかに初めの段階で大きなミスをしないかということです。ミスをするとそれを繕おうとしてバランスを崩してしまうのです。

そういうわけで、自分としては完璧を極めていると思っている職人の楽器でも他者から見るとヘンテコということがあるのです。それはその人の顔ですからそれで良いと思います。

今回のビオラはアマティのモデルですが、アマティのf字孔も現代の人から見ればヘンテコなものです。ストラディバリモデルのあとにアマティのf字孔の仕事をするのは大変に気持ち悪いものです。スチール弦を弾いているチェロ奏者が張力の弱いガット弦を弾くようなものです。逆も気持ち悪いです。今年はアマティモデルのビオラの直後にストラディバリモデルのチェロのf字孔の仕事をしました。そのあとにビオラを見ると本当に気持ち悪いです。

同じ流派のアマティとストラディバリでもこんなに違うように微妙な感覚によって仕上げられます。そのため機械では無理なのです。


アマティのビオラのf字孔には問題があります。
①小さすぎる
②細すぎる

オリジナルのアマティのビオラは40.8㎝の胴体を持っていながらヴァイオリン用の大きさのf字孔が付いています。オリジナルに忠実に再現するならそのままコピーするべきですが今回はそういうわけでもありません。アマティもその大きさが理想と思って作ったとは考えにくいです。まだ当時は大きさの規格が決まっていなかったのでそこまで頭が回らなかったと考えた方が良いでしょう。

太さについてはまちまちで同じくらいの時代に作られたものでも一方は太く、もう一方は細いのです。したがってそれを理想と考えていたというよりはよくわかっていなかったのでしょう。
細すぎると魂柱が入りません。太すぎても現代には異様に見えます。

そこで私はバランスがおかしくないくらい大きなf字孔をもしアマティが作ったらということで想像でデザインしました。アマティ風に私がデザインしたものです。アマティモデルに関してはとても面白いものでどれくらい「ストラディバリナイズ」するかが流派や人によって違います。アマティモデルでも近代に作られたものはすぐに近代の楽器だとわかります。

私はアマティのコピーをたくさん作っているのでストラディバリナイズはしません。その私がアマティが作りそうだと思うものを作ります。アマティもいろいろありますからその範囲には入ってくるように心がけています。


f字孔に関しては形は自由で好きなようにすれば良くてクオリティで言うとガタガタにならずに綺麗に切ってあることです。余りにもバランスが悪いものは素朴な感じがします。また落書きのように思いつきで作ったようなもの形を意識して作ってあるものでは違うことが分かります。

最低条件は魂柱が入るような幅になっていることです。これは意外と厄介な問題で現代では太めものもが好まれるのでそうなるとf字孔も太くしなくてはいけませんが一歩間違えると大参事になるのです。細めのほうが失敗は少ないですが魂柱が入らないのでもう少し広げると大失敗になるのです。ストラディバリやヴィヨームの頃には今よりも細いf字孔だったのできれいですがそれをもとにしても現代の太さにすると大参事になってしまうのです。

左右が対称であることも評価のポイントですが、完璧に同じにすることは不可能です。
もし完璧に同じだったとしてもそう見えないのです。これには個人差もありそうです。
ただし全く違うスタイルであればおかしいですからある程度は左右が似ている必要があります。



それから特に重要なのはストップの位置です。
f字孔の内側にある刻みです。駒の位置が決まるのです。これが正しくないと場合によっては使い物になりません。

そのほか左右のf字孔の間隔も重要です。
上の丸い部分の感覚で、これが狭すぎるとバスバーの位置が中央寄りに来てしまいます。駒の足との位置関係が合わなくなります。


私は透明なプラスチックで型を作ります。位置のしるしや木目が見えるのでやりやすいです。昔は当然こんなものはありませんでした。私は多少斜めになろうがその時の偶然に任せているところもあります。


横に弾いてある線がストップの位置、つまり駒の位置です。

こう見てもかなりゆがんでいます。下の丸い所なんて縦に長い丸に見えます。

このように斜面になっているからです。平面上で作図しても実際の楽器では印象が変わってしまうのです。ストラディバリなどの時代には厳密な型は無くアドリブで形を作っていたようなものです。おおよその目安のような型紙はありましたが表板の内側に線を描いたのがおもしろいです。
今の時代は紙の上に自分のアイデンティティとしてデザインするので形は自由さがあり大胆できれいにすることもできますが、楽器の周囲との調和が無視されているように思います。オールド楽器にはそのような不自由さがあって丸の位置を決めてその間をつなぐのでぎこちない感じがします。それもオールド楽器らしさです。

でも職人の多くは絵には自信が無くストラディバリの写真から型を作ったりします。


同じ型を反転させても見た目の印象が違って見えます。忠実なコピーをつくる場合には右と左の型をそれぞれ作ります。これもいろいろな方法を試しましたがほかにやりようがありません。


糸鋸できるのですがこれで正確に切るよりも余裕をもって切ってナイフで行くほうが安全です。
まだまだ完成には程遠いですがアマティのこの段階はストラディバリの若いころのf字孔に似ています。アマティはストラディバリなら行き過ぎてしまっているところまで行かなくてはいけないので気持ち悪いのです。


ラインまで切っていくわけですが赤い丸で囲ったところは残し気味にしてあります。斜面になっているので型に比べると歪みがあって底の部分はラインよりも少し残す感じになります。その穴の向こう岸は逆にラインを超えていかなければいけません。これが恐ろしいのです。頼りになるものが無くなってしまい、ストラディバリならすでにアウトになっているところをさらに行かなければいけないのです。下の丸も縦長になっていますから外側をラインを超えて丸くなるようにします。
このような補正は非常に恐ろしいです。一か所でも手元が狂って深く切りすぎてしまうとそこだけラインがくぼんで見えます。それをごまかすためにはそれ以外のところをすべて広げる必要があります。しかしやりすぎるとf字孔全体が太くなってしまい大失敗につながるのです。


もう少し進みました。赤で示したところは残し気味にして青で示したところはラインを超えていきます。目の感覚でやるしかありません。

同じ画像ですが赤で示したところはラインまでいっていません。
まだ完成とは言えません。

ずっと見ていると目がおかしくなるので他の作業に移ります。
完全に厚みを出してからf字孔を開けても良いのですが私の場合にはある程度の厚みまで荒削りをしたところでf字孔に取り掛かります。最終的に厚みを決めるのにf字孔の位置が分かるとやりやすいからです。もう一つは・・・


外側を彫ります。これは古い時代の作り方の場合にはおそらくf字孔のあとにパフリングを入れて周囲を彫りなおしたのでその時にf字孔の周りも彫ったのだと思います。

この後はスクレーパーで仕上げます。

これをやる前はこのように見えます。私には不自然に見えますが機械で作られた多くの量産品では彫っていないのですぐにわかります。またドイツやチェコの近現代の流派は独特の彫り方をしていることがあってですぐにそれだとわかります。イタリアの楽器に似ているチェコの楽器でもはっきりチェコの楽器だとわかります。下の丸いところをくるっと縁取るようになっていることがあります。やりすぎです。
フランスの19世紀の楽器は反対に上の方まで外側を彫ってあります。アマティやストラディバリの方式でも彫ってもおかしくは無いのですがフランスの楽器ではオーバーなものが典型的なフランスの特徴です。
こういうところはよく見ると面白いところです。
古い楽器では変形していますのでそれも考慮しなくてはいけません。

彫った後なら正確に厚みを出すことができます。よくf字孔からのぞいて表板の厚みが厚いとか薄いとか言う人がいますが、先にf字孔を開けてから厚みを仕上げる方法なら穴の周囲だけ厚みを整えることもできますので必ずしも板の厚さを表しているとは言えません。


最終的にはこのようになりました。いかにもアマティという感じがすると思います。
とてもはっきりした木目の木でこのようなものは線のところはとても硬く、間の白いところはとても柔らかいのです。加工はとても難しいものです。目が細かくて年輪のラインが薄いものの方が加工はイージーです。なんでこんなハードなものを選んだかといえば、アマティのイメージに合っているからです。アマティはいろいろな木を使っているのですが、これで細かい木目だとストラディバリっぽくなってしまいます。難易度は鬼ですが出来上がってみるとよかったです。これがチェロになるともっと難易度は上がります。手が届のかないところも出てきます。


これくらいならラインはガタガタしていないので上等な楽器であることは分かると思います。オールド楽器でも上等なものはきれいにできているのですぐにそうでないものは分かります。たとえばこの前ヴィチェンツォ・ルッジェリのニセモノの話をしましたがf字孔を見ても一発で偽物だとわかります。ルジェッリ家はきれいな楽器を作っていますし特にビチェンツォはきれい切ってあります。ドイツのオールド楽器でも安物と上等なものを見分けるのに分かりやすいポイントです。特にドイツの場合には形のバランスよりもカーブの滑らかさを重視しているのですぐに丁寧に作られたものかどうかわかります。シュタイナーがそもそもそういう点で異常にこだわっていてそれを受け継いでいます。オールド楽器には粗い仕事でも作者の知名度によって高価なものがあります。そのためそのような作者の偽造ラベルが並みの量産品よりひどい楽器に貼られるのです。楽器商なんかはそのような楽器が割と好きです。



右側も先ほどより少しだけ進んでいます。

アマティの特徴は下の丸の部分の矢印で示した流れにあります。早い時期のものほど顕著です。オレンジの矢印のように流れています。白の矢印のようなのが一般的でシュタイナーやそれ以降のドイツの楽器ではもっと極端です。ドイツの楽器かアマティ派の楽器か見分けるポイントになります。
青の矢印で示した刻みの角が丸くなっているのも特徴です。エレキギターではさらにオーバーになっています。近代の量産品でもそのようなものがあっておそらくギターの工場がヴァイオリンにも手を出したのではないかと思ったりもします。塗装の感じやアーチの感じも似ていたりします。ヴァイオリンとしてはひどいものです。

上の方のラインはストラディバリやデルジェズの場合です。もちろん下側も丸い部分に向かう方もそうですがストラドモデルなら外側は完全に行き過ぎているので失敗です。初心者がストラドモデルで作ったときにやってしまったのと似ています。だから怖いのです。

ここで重要なのは穴の幅を見ると中央付近が一番広く上下に行くにしたがって狭くなっていきます。デルジェズなら上下に行くほど狭くなるのがはっきりしていますがアマティは微妙なのです。

このレベルならクオリティも十分高級品として通用するレベルにあると思いますし、アマティらしいキャラクターも表現できていると思います。デザインしたのは私です。古い楽器を元に作っても構造上の問題があってオリジナルをそのままにするわけにいかないことがあります。その場合に作者の特徴は残しながらも修正を加える必要があります。もしその時代にアマティがビオラのf字孔をもう少し大きくするべきと知っていればどうしたかということを想像で再現するのです。

f字孔は本当に難しいもので最近ようやくまともにできるようになってきたように思います。
きれいにやろうという気持ちが強すぎてのめり込んでしまうとバランス感覚を失ってしまうのです。また行き過ぎやすいポイントを覚えてきたので失敗が少なくなりました。


f字孔は楽器の目のようなものだと言いましたが表板も顔のようです。いかにもアマティという顔をしていると思います。

コーナーも見ていきましょう。このような木は加工がすごく難しいのです。




まとめ

f字孔は簡単にできないかと思うのですがやってみるといつも本当に苦労します。オールド楽器でもイタリアの作者は全体のバランス、ドイツの作者はカーブの丸みのきれいさを重視ているように違いがあります。そういう意味でも作者によって特徴が出る部分です。

丁寧なf字孔を作る人は割と毎回同じようなf字孔にしますが、雑な人は形が毎回全く違うこともあって鑑定は難しいです。近代や現代は割とお手本通りに楽器を作るということになっていますがオールドの時代には個性的なf字孔があります。そのためきちんと教育を受けていない人の楽器や粗雑なものに偽造ラベルを貼って売られることがあります。「クサい楽器」になります。分かりやすいのはオールドにしても近現代のものにしてもクオリティの高い物です。仮にニセモノだったとしてもそれが上等な楽器であることには変わりはないのです。

蛇足

フリーの楽器商から修理を頼まれました。店などを持っていないブローカーです。


このようなひどいヴァイオリンを買ってはいけません。

近代の量産品ですが彼にはオールド楽器に見えるのでしょうか?

アンティーク塗装はザクセンの量産品に見られるものでわざとらしい汚いものです。

白い線が正しい駒の位置です。f字孔の位置があっていません。

これでは駒は高すぎます。

指板の下には板を入れて修理してありますがその結果高すぎるのです。角度が急すぎます。

ネックも長すぎます。

指板の幅も細すぎます。

指板は正しく加工されていません。これではセンターが分かりません。


ひどい割れがあり修理も汚いです。

前回説明したように溝が無いです。

表はもっとひどいです。オールドとは全く違います。


横板とネックの接合部分もグチャグチャです。

ネックは継いでありますが、接着面が浮いていて隙間が空いています。

エンドピンの穴も斜めになっています。
作った職人も修理した職人も少しもきれいに仕事をしたいという気がありません。
「働くのはお金のためだ」と考えている人はこのような仕事をしているのです。


このような買うべきでない楽器に興味を持ち売っているのが楽器商です。
まともに演奏ができないので買ってから職人に見せたら不具合しかありません。一つも正しいところが無いのです。修理代が楽器の値段を超えることでしょう。買ってはいけません。

こんなものをオールドかもしれないと欲にかられているのです。
こんなものも見分けられない人が営業努力で暮らしていけているのです。この商人も初めて会ったときは良い印象でよくいる怪しい人とは違うような感じがしました。ふたを開けてみると同じでした。身なりには気を使っているのも怪しい商人にはよくあることです。髪の毛はワックスでベタベタです。
シャッター速度を調整して写真を撮っていたら指先が凍えそうでした。