ビオラ製作で見るクオリティと木工技能【第8回】板の内側を彫る仕事 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

楽器の品質の見分け方について一つ一つ説明していますが、今回は板の内側を彫る仕事です。この難しさはやったことのある人にしかわからないと思いますが、弦楽器は版画や彫刻用の木とは違って癖が強いので加工が難しいのです。

こんにちはガリッポです。



前回のネックの話ですが、続報で調べてみると現代のネックと同じようなものはイギリスで1800年代の前半にすでに付けられていたようです。オリジナルのネックのものが残っています。バロックの時代にはイギリスでもシュピールマン式として紹介したタイプのネックが作られていました。イギリスではスルーネックと言うそうです。イタリアのようなタイプのバロック楽器も作られていました。いろいろなものが伝わったり、ヴィオール族のような古い楽器の作り方を取り入れたりしたようです。

イギリスの楽器を見ていて訳が分からないのはいろいろなスタイルの楽器が混在していることです。そのため「これぞイギリス」というものが無いのです。ロンドンの有力な楽器商が現代の楽器製作の基礎の一つになっていることも間違いありません。海の向こうのパリの影響もあるのでさらに元をたどるとやはりフランスの楽器製作が現代の基礎となります。船はかつては有力な交通手段でしたからイギリスのような島国は交通の便が良かったと考えることもできます。




チェロのニス塗は難航しています。
もはや製造コストがどうとか言っていられなくなってしまいました。
今回はコンセプトモデルみたいなものです。コストは考えずにどんなものが作れるかが目標となってきました。

完成させてから逆算して作業の効率化を次回は考えましょう。
重複している作業を一度に済ませたり事態を悪化させないで作業を進めていく方法を考えましょう。

満足のいく結果になるかもまだわかりません。あと10日はかかるでしょう。

途中の段階でも注文の依頼主の方は色合いなどを気に入ってくれました。
私はまだ完成のレベルには達しているとは思えません。そのため10日は必要です。

どこが完成していないかは私にしかわからないのかもしれません。
しかし私が納得するものを作りたいのです。


複製としてのリアルなコピーではない楽器のニスのスタイルができてきていることは確かです。
そうなると私の楽器のスタイルというのははっきりしてきます。一目でそれだと分かるようになるはずです。特にチェロに関しては名器のコピーではなく「私のスタイル」を確立したいものです。

研究は続きます。




この前もヴィチェンツォ・ルッジェリのニセモノの話がありましたが、ニセモノにはことを欠きません。その間にもアマティ派でトリノのジオフレド・カッパのニセモノがありました。これは音大ヴァイオリン教授の持ち者です。最初写真をメールで送ってもらいましたがニセモノっぽい感じがしましたが現物を見ないことにははっきりは言えませんでした。現物を見ると一瞬でそれが現代のアマティモデルの楽器であることが分かりました。アンティーク塗装で雰囲気も良いものでしたが現代の楽器だとすぐにわかります。現代の楽器としては悪くはありませんがオールド楽器風でもありません。それくらい違うのです。カッパとは全く違います。

別にカッパと比べて腕が悪いということではありません。流儀が全く違うのです。


それに対してドイツのオールドヴァイオリンが3本勤め先に入りました。これから修理もしていきます。クロッツ家のものが2本です。見ているとやはり今の楽器とは違うとすぐにわかります。今の職人には作れないものです。なぜ作れないかと言えば時代が違うからです。

そんなことばかり考えているのが私です。
他の職人はもっと簡単に考えているかもしれません。
簡単に考えているからアンティーク塗装を現代風の楽器に施して満足しているのです。
その結果すぐにニセモノだと分かるのです。
したがって彼には現代の楽器もオールドの楽器も違いが無いように見えているのです。



板の厚みとクオリティ

板の厚みに関してはこのブログでも散々語ってきました。今回は品質という点で見ていきます。

現代であれば、設計図があり設計図に正確に作ることが求められます。したがって初めに工房や職人ごとに厚みのシステムというのがあってそれに正確に加工できていれば合格ということになります。

システムにはいろいろな考え方があります。
これは音の違いにもなっています。

最低限守るべきことは楽器が壊れないことです。板が薄すぎて強度が足りなければ楽器が持ちません。特に裏板の中央が薄すぎれば魂柱によって押されて変形してしまいます。一点に力がかかるのでボコッと出てしまうのです。力を分散させなくてはいけません。ヴァイオリンで3.5mm位あるものなら問題なく耐えることができています。2mm台だと厳しいかもしれません。

しかしひどく薄くなければ作者の考え方の問題です。
音は好き嫌いの問題ですから演奏者が試奏して選ぶしかありません。
私は厚い板の楽器は好みませんが私の好みにすぎません。
厚めの板の楽器はうちの店では売れずに残っていることが多いと思いますが日本なら違うかもしれません。好みの問題です。


一方で楽器を買い取るときに「すごく重いな」というものはあまり歓迎はしません。
特に量産楽器でひどく重いものがあります。
そもそものシステムが厚いのならその人の哲学ですが、量産楽器の場合には仕事をズルしてちゃんと最後まで削っていないのです。設計図の通りに加工していないので厚すぎるということです。



また規則性がおかしいということもあります。
左右で極端に厚さが違うとか、厚いところのそばが急に薄くなっているとか不規則な部分があると仕事が粗いなとなります。だからと言って規則正しくしたから音が良いということもありません。

基本的に無計画な感じがすれば仕事が粗いなという印象を受けます。
削り残しがたくさんあれば仕事を途中で切り上げてしまったということです。







このように彫っていきます。

一度に削れる厚さは決まっているのでおおよそ感覚で分かります。一定よりも厚くなれば抵抗が大きくなり重く感じるからです。

私はスプーンのようにカーブしたノミを使います。
私は高いアーチの楽器も作るので深くえぐらなければいけません。したがって現代風の楽器製作ではこのようなノミは必要ないかもしれません。弦楽器製作用に売られているものを買っても私は使いものになりません。



私はできるだけノミを使って厚みを出します。この後カンナを使うわけですがカンナを使う量が多ければ時間がかかります。ノミの場合には手元が狂えばすぐに削りすぎてしまいますから正確なコントロールが必要です。



最終的には面がきれいに仕上がっていて刃の跡や割れたり傷が無いようにすると品質が良いということになります。楽器の価値を見ることがあった時、内側がきれいに加工されていればそれだけで高級品であるという証拠になります。ほとんどの場合外側に比べると内側の加工はおろそかになっているからです。




横板との接着面は削ってはいけません。外側から一定の距離で線を引いてその通りに加工します。これが行き過ぎてしまうと接着が確実ではなくなります。

左下の図のようになっているとビリついて異音が出る原因になります。
少しくらい良いじゃないかと思うかもしれませんが、少しが一番まずいのです。思いっきり空いていればビリつきません。くっつくかくっつかないかの微妙な隙間があると振動によって触れたり触れなかったりするのでビリつくのです。ビリつきが発生した時の多くは表板や裏板が横板からはがれています。剥がれるのは深刻な問題ではありません。気候の変化で板に歪みや縮みがあった時に剥がれることによって力を逃がしているのです。もし絶対にはがれないほど強力に接着されていれば板にひびが入って割れてしまうでしょう。
問題は図のようになっていたときに外からははがれていないのに内側が開いているのです。こうなると場所を特定するのがとても難しいです。修理代を作業時間で請求するなら原因がなかなか見つからなければそれだけ修理代が高くなります。接着しなおしても根本的な原因は解決しません。付けた直後はにかわで隙間が埋まるので直っても乾燥して水分が抜けるとにかわが痩せて隙間が空いてくることでしょう。

右のように削り残しが多いと板の強度が高くなります。周辺部分の削り残しは強度に大きな影響があります。削り残しが多いことは実質的に板の面積が小さいと考えるとわかりやすいと思います。周辺の厚みは板全体の厚みと同じような音の違いをもたらします。



ただし外側のアーチとも関係があります。周辺の部分を深く彫り込んであるアーチなら際まで攻めなくても板は十分に薄くなっています。オールド楽器にはよくあるものです。一方でザクセンの量産品のように周辺部分がほとんど掘りこんでいないものでは周囲が厚くなりすぎます。
この辺はルーズな人が多くて本人はオールドの名器を忠実に再現したと考えていてもこのあたりが全然違うことはよくあります。オールド楽器は外側はエッジが摩耗しているのでそんなに深く彫ってあるようには見えないことがあります。内側を見ると全く違うのです。
オールド楽器であれば周辺に削り残しがあるように見えても深刻な問題ではなくザクセンの楽器では厚すぎるのです。これも嫌な音がする原因だと考えられます。修理などによって改造すると素直な音になることがあります。

下の図のようにキワを深く彫る方法もあります。オールドやモダンの名器には珍しいでしょうが、実際にこのような楽器で力強い音のものがあります。しかし今楽器製作を教えるとすればやらないように指導するのが普通でしょう。でも音響的にはこれでバランスが取れている楽器もあります。間違っているとは言えません。現代の楽器製作ではオールドのように周辺を深く彫らないことが多いのでそのようなタイプの楽器ならこれでつじつまが合うかもしれません。「いかにも新作の音」になることを防げるかもしれません。

ただ修理などで開けてみたときにこうなっていると「変わっているな」とは思います。


今回のビオラでもオールド楽器のようなスタイルで作っているので多少雰囲気はあります。
しかし小型のビオラなので際まできっちり加工しています。

特にミドルバウツでは先ほどの図のように丸みがあります。現代の楽器では珍しいです。




厚みを出す仕事

初めに設計があって設計の通りに加工できていればクオリティが高いということになります。これも現代的な考え方です。オールドの時代には初めにシステムのようなものがありません。近代でもイタリアではそのあたりはいい加減で適当に作っていたことを紹介したこともあります。一方ドイツ人なんかは理屈屋なので理屈があることで説得力を増します。しかし音には必ずしも関係がありません。フランスの楽器は強度を最低限確保できるようにしてそれ以外はすべて薄くなっています。無駄が全くないので音量に優れています。

タッピングで叩いて音を聞きながら厚みを決めていくということには私は懐疑的です。
ちょっと削っただけでは音に変化が無いからです。はっきり違いが分かるほど厚みを変えるとそのころには前の音を忘れています。また行き過ぎてしまっても戻せません。

叩いたときに何ヘルツになっていれば良いとか言う人もいます。
その人の楽器と私の楽器を比べても好きか嫌いかの問題としか言いようがなく私の楽器の方を好む人もいます。私は自分が作った楽器はもちろんいろいろな楽器の厚みを測って記録しています。経験的に厚みを数字で把握していてこれくらいだろうという感じで作っています。木の硬さも削っていると分かりますので少し薄めにするかとか考えます。タッピングはやりますがそれで厚みを決めるということはしません。ちなみに高いアーチでは余韻は短くなります。板の厚みをそれ以上薄くしてもそれは変わりません。それは発音の明快さにつながっていると思います。フラットで余韻が長い楽器もよく鳴ります。どっちでも良いのです。

データをもとにいい加減に作るのが私の流儀です。
0.1mmまでシステムにこだわるようなのは実際に出て来る音とは関係のないものだと思います。
私の方法でもある程度は音を意図的に作ることができます。


音楽家にとっては「音が良い楽器は必ずタッピングするとこうなっている」という理屈を自信たっぷりに説明する職人は魅力的に写るでしょう。私は懐疑的です。弦楽器職人には思い込みが激しい人が多くこのような理屈は当てにならないことがほとんどだからです。

演奏者の声に耳を傾けるなら人によってさまざまな好みがあることを知ります。
同じ楽器をある人は絶賛し別の人にとっては箸にも棒にもかからないことがよくあります。

この違いはどうやって説明するのでしょうか?
私は自分の作る楽器の音が優れているとは言いません。
私は経験を積みデータを蓄積することで目指す音に近づけるように取り組んでいます。
私が10年研究して理想に近づいたとしても10年前の音のほうが好きという人がいます。
それは仕方がありません。その一方で大変に気に入ってくれる人もいるのです。

まともに作ってさえあれば音色に違いはあれども弾きこんでいくことで鳴るようになってきます。まともに作るだけで音が良い楽器はできるのです。それでもキャラクターは違います。キャラクターを作り分けるにはどうしたらいいかデータによって把握しているのです。


まとめ

個人個人どのような考え方を持つかは自由です。それに対してクオリティは加工や仕上げの正確さです。内側がきれいに作ってある楽器は外側もきれいに作ってあるでしょう。逆はあります。外側はきれいなのに内側がひどいものはあります。外が汚くて内側がきれいなものはまずありません。そのため内側がきれいに作ってあることは手抜きなく作られたものだという証明になります。

職人はそれぞれ考えがあり専門家として自信たっぷりに自説を論じることでしょう。しかしながらそれを鵜呑みにしてはいけません。あくまで音を試す事です。それが机上の空論なのか本当に的を得ているかは疑う必要があります。どんなに偉い職人でもです。

好みは人それぞれありその職人が自分の理想の音を作ったとしても演奏者が気に入るとは限りません。自分の知っている作り方で出る音を最高だと思い込む人もいます。私は師匠に教わってく作った楽器の音に満足しませんでした。それで研究が始まりました。多くの場合、人は自分が苦労して作った楽器には甘い評価をするものです。また師匠の元ではイエスマンであることが生きていくうえで必須になるかもしれません。


外は雪が積もっています。
職人をやっていると月日が過ぎるのが速いです。
この前夏だと思ったらもうすぐ年末ですね。