ピエトロⅠ・グァルネリの複製を作る【第13回】完成です。 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

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クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

これまで作ってきたピエトロⅠ・グァルネリのヴァイオリンのコピーもいよいよ完成しました。
現代のヴァイオリン製作のセオリーから逸脱したものでしたが、私は音も外観も満足しています。




冬時間になったので暗くなるのが一時間早くなりました。
バロック絵画のようです。



ついにピエトロ・グァルネリのコピーが完成しました。
このヴァイオリンにははっきりした特徴が3つあります。

①アーチが高い
②板が薄い
③裏板が板目板

私は個人的に好きなタイプのヴァイオリンで自分が弾くならこういうものが良いと思います。売ってしまうのは少し残念な気もします。娘を嫁にやる父親の心境でしょうか?娘を持ったことはないのでわかりませんが…。

職業人としてはおかしいですね。
また作ればいいのですけども。


自分が好むヴァイオリンを作るためにヴァイオリン職人になると費やした費用と労力はとんでもない量になります。買ったほうが安いです。道具代だけで買えるでしょう。20年近くやってようやくここまで来たのですから。

現代の楽器製作に疑問を持って取り組み始めたのが12年前ですね。ちょうどその時に作ったヴァイオリンをメンテナンスしました。今見ると現代的な特徴とオールド楽器を再現するための試行錯誤が偏在します。常識に立ち向かう一歩を踏み出した記念すべき楽器です。

所有者の方は音はだんだん良くなってきていると言っていました。




ピエトロのコピーに話を戻しますと、このような3つを併せ持つものは現代ではまずないです。これで正統派の現代の楽器と音が同じならいよいよヴァイオリンの作り方なんてなんでも同じということになりますが、さすがに違う音がするでしょう。

③の板目板は主流ではなく珍しいもので、①と②に至っては現代では「やってはいけない事」と考えられています。腕が良い真面目な職人は作りません。古い楽器のスタイルを理解するのは難しいので腕が悪い職人にも作れません。


そういう意味では珍しい楽器なのですが本当にやっていはいけない事なのか検証することになります。セオリー通りに正しく作ったところでどの程度になるかは私はよく知っています。

ヴァイオリンというのはできて間もない時の多少の音の強さというのは長期的にはさほど重要ではありません。基本がしっかりしていれば鳴るようになります。しかし音質や音色に関してはちょっとやそっとでは変わっていきません。


音楽と楽器の音色は直接関係ないとも言えます。しかしギドン・クレーメルでもデルジェズからアマティに変えているくらいですから必ずしもストラディバリやデルジェズが最高で買えないから仕方なく代わりに使うという単純なものではないのだと思います。

さらに現代のセオリーはストラディバリやデルジェズの実際からはかけ離れているのでそれに従う必要性なんてありません。

現代のヴァイオリンはどれもよく似ているのですが、典型的な新作っぽい音のものが多いとはいえすべてではなく音はそれぞれ違います。同じセオリーで作ったのに音が違うのです。つまり偶然です。音が良い楽器を選びたければたくさん試奏して自分の耳で選ぶしかありません。無知な人たちの語るウンチクを聞いていると笑ってしまいます。


私は作り方を変えることによって意図的に音を作り出せるように研究しています。


技術的に言えることは高いアーチの場合、胴体に打楽器のように叩いて振動を与えるとすぐに余韻が消えるということが言えます。弦楽器ですから、弦自体の余韻はありますし、弓で弾けば持続的に振動を与えることができます。そのため歯切れの良いすっきりした音になると考えられます。その代わりボリューム感は損なわれるでしょう。

弓の扱いはシビアで適切な力加減が必要になるでしょう。乱暴に弾くと音がつぶれてしまうのです。

さらに板の薄さが加わります。板が薄いと低い方の音が出やすくなります。オールド楽器に多い「暗い音」に近づきます。新作の楽器がいかにも新作の音がするのは明るさによる部分も大きいでしょう。

板目板は木の繊維の方向の関係で柔軟性があります。野球のバットでも持つ向きを間違えると飛ばないという話です。板目板の楽器を作るのは3回目で同じ傾向があるのでしょうか?


低音が強いバランスでも歯切れが良ければもやもやとした鈍い音にはならないでしょう。ただし良い事ばかりではなく使いこなしにはコツがいるかもしれません。

高いアーチの楽器は現代では少ないばかりか古いものは修理がまずいものが多いです。修理のノウハウも不足し適切に修理されたものは少ないです。そのような楽器は音が細く窮屈なものもあります。そもそも古い時代の楽器はバラつきがとても大きく、高いアーチの楽器の間にも作風やクオリティの差があるのです。


とはいえこのようなことは全く知らなくても良いです。
弾いてみて独特の味わいのある音が気に入れば楽器マニアでなくても良さが分かるはずなのですから。

テールピースの製作

今年はテールピースの材質について研究しました。テールピースは弦を直接取り付けるところなので音への影響があります。ペグやあご当てでは音への影響は大きくないようです。

とはいえ、楽器本来の音が全く別のものになるわけではありません。テールピースを異なる材質のものに変えて試せば音の違いは分かります。しかし音だけを聞いてテールピースの材質を言い当てることはできません。


今回もブビンガ材にします。ブビンガ材はツゲに比べるとしっかりした落ち着いた音で暖かみがあり枯れた味があります。元の楽器の音を変えるために付けるのではなくツゲの明るい軽い音を避けるためです。

一般的なテールピースはコンピュータ制御の工作機械で量産されていて安価なものです。ブビンガのものはありませんから自作します。

美しく加工されたものは少ないものです。

完成です。木材が持つ本来の色合いが魅力的です。

演奏できる状態にする


指板を取り付けます。ペグ、指板、ナット、魂柱、駒の取り付けはそれだけで5~10万円くらいになる仕事です。演奏上とても重要な部分でもあります。事故でなくトラブルが起きるのは大抵これらです。


駒も自作しました。ドリルで穴を開けて間を糸鋸で切っていきます。

弦は今回はピラストロのオブリガートGDAにE線はカプラン・ゴールデンスパイラルソロ・ヘビーテンションを選びました。オブリガートはヨーロッパでは一般的な高級ナイロン弦です。正しくはナイロンという材質ではなく別の合成繊維です。同様の合成繊維を用いて世界的にも有名なエヴァ・ピラッチも私のところでは使う人は少なくオブリガートのほうが圧倒的に多いです。高いアーチのオールド風の楽器ですからガット弦もおもしろいでしょう。今回は一般的なユーザーを想定して扱いやすい合成繊維弦の採用です。

演奏者はそれぞれこだわりがあって何にしても間違いになってしまうのです。

オブリガートは基本的には優れたもので、エヴァ・ピラッチのような派手な音ではなく地味に感じるかもしれません。しかし暗く落ち着いた音はヨーロッパでは好まれます。やかましい楽器にも最適です。A線は2種類あって芯は同じですが外側に巻いてある金属の部分が違います。標準はアルミニウムで、オプションとしてクロームスチールのものがあります。クロームスチールのほうが明るく輝かしい音でA線が弱いという場合には面白いです。傷みやすいアルミニウムのA線は体質によってはさらに傷みやすく本来は耐久性を増すのがクロームスチール版の目的だそうです。今回はひとまず標準のアルミニウムのものにしました。

E線も好みによって選ぶしかありません。強いテンションのものなら輝かしい音となり他の弦も明るくなります。巻線のものは柔らかい音で同じカプランでも「Non Whistling」は柔らかい音となります。私の楽器の場合には耳ざわりな高音はしませんので特別柔らかいものでなくても大丈夫だとは思いますがあくまで好みです。オブリガートと同じピラストロでそろえるなら「No.1」という名前のE線があり透明感のある音になります。

完成です


すっかり古い楽器のようになりました。木目もきれいに写っています。表板には現代の職人が捨てるようなイレギュラーな木目のものを選びましたが、ドンピシャリです。アマティ派の雰囲気が出ます。

いかにわざとらしくなく自然に古さを表現できるかです。f字孔もアマティともストラディバリとも違う独特なものです。


裏板も自然に仕上がっています。
本やポスターの写真ではありません。消しゴムを下に敷いています。

細かな傷は水玉模様のように等間隔にまんべんなくあると人為的に見えます。少し集めるのがポイントです。夜空の星のようです。ニスのはげ方や傷のつき方はアーチの出っ張り具合と関係があります。

スクロールです。









当然アーチには高さがあります。表の方が高いです。
古い楽器では表板の駒のところが押されてくぼんでいることが多いです。新品なので表板の中心が頂点になって高くなっています。こんな理想的な保存状態のオールド楽器があったら最高です。

ネックの角度にも気を使いました。
高いアーチの楽器では胴体がしっかりしているのでネックの付け根に負担がかかります。今は駒も十分な高さになっていますが徐々に下がってくるでしょう。オールド楽器でも理想的な角度になっているケースは少ないです。

気になる音は?

自分で弾いてみましたが、私では限界の性能は分かりません。これから上級者の方にも試していただきます。中途半端な腕前で職人が自分で判断してしまうことは危険です。離れて聞くことも重要です。

ただ私自身の感じ方を申し上げますと音を出してすぐににんまりと笑顔になりました。新しくヴァイオリンを作るときは半年以上前からいろいろ考えて毎日作業してようやく完成ですから音が出る瞬間はとても心配しています。特にセオリーに反する楽器ですからダメなんじゃないかという不安もわいてきます。

私は大満足でした。自分が弾くならこの楽器は良いですね。
「高いアーチの楽器を作るべきではない」とか、「薄い板の楽器を作るべきではない」という現代の常識を全く相手にする必要が無いということは明らかです。それらの教えは自分で試したことのない無知な人たちの神話なのです。

10年ほど前にヴェネツィアのピエトロ・グァルネリのコピーを作りましたが、それとはまた違うようです。それは高いアーチの特徴がはっきり感じられました。独特の味わい深い音色で響きは抑えられ柔軟性に欠けるものでした。今回のものでは高いアーチの特徴をあまり感じませんでした。デルジェズのコピーと比較すると音は違うとしか言いようがなく、どう違うか規則性を言う事は難しいです。これまでに作った高いアーチの楽器とも印象が違います。何が高いアーチの特徴なのかわからなくなってきました。

これからいろいろな人に弾いていただいて結論付けていきたいと思います。

バランスは低音側が明らかに強く、G線では深い暗い音色でとても強く音が出ます。手元に修理したばかりの1750年頃のミッテンバルトのものと思われるヴァイオリンがあったので比較してみましたがデルジェズのコピーもピエトロのコピーも新作っぽい明るい音とは感じませんでした。ピエトロのコピーのほうが暗いくらいです。


これまで3度板目板の楽器を作りましたがいずれも深々とした暗い音でした。板目板と音の暗さには関係があるかもしれません。同じものを柾目板で作ってみない限りデータはまだまだ不足しています。


明るい音が良いか暗い音が良いかに決まりはありません。
個人の自由です。自分が好きな方を選んでください。
私のいるところでも80年代くらいはあまり暗い音は好まれなかったそうで、そのような楽器を買った人は肩身の狭い思いをされていたようです。ところが最近は暗い音がとても好まれ、他人から羨まれるようになったそうです。



戦後ヴァイオリン職人の数が少なく高品質なヴァイオリンは少なかったでしょう。ところが多くなってくると新作特有の明るい音の楽器は平凡な音になってしまいました。オールドの名器などを試すと全く違うことに驚きます。

それでも明るい音を好む人が全くいなくなったわけではありません。私は消費者の選択肢として両方選べることが重要だと思います。音色の明るさには興味が無い人も多くいます。

現代のヴァイオリン製作のセオリーで作るとふつう明るい音になります。もちろん明るい性格で生まれながらヴァイオリン製作の天才であるイタリア人が作ったから音が明るいのではなく板の厚さなどの技術的な要因によります。北ヨーロッパの人でも日本人でも中国人でも大量生産品でも現代のヴァイオリンの多くは明るい音がします。

日本では店頭にイタリアの楽器だけを同じ価格カテゴリーに置いて「ほら、明るい音がするでしょ?」「これがイタリアの楽器の音です」と宣伝してきたのです。実際にはどこの国のものでも明るい音がします。

オールドのイタリアの楽器では暗い音がします。それに対しては「ダークな音」と言うのです。ダークとは暗いという意味の英語です。暗い音とダークな音は同じです。言葉遊びは止めましょう。同じ言葉を英語にしたらカッコいいというレベルでしょうか?


私は技術者なので価値判断は含めず客観的に日本語の「暗い音」と表現します。
開放的な鳴り方をするという意味で明るい音と言うかもしれませんがそういう時は「開放的な鳴り方」と言いましょう。


弦メーカーのトマスティクはヨーロッパでは暗い音が好まれ日本では明るい音が好まれると分析しています。ヨーロッパ向けと日本向けで同じ銘柄でも音を変えているそうです。

日本人が本当に明るい音が好きなのか、それしかヴァイオリンが売っていないのかは疑問です。
暗い音の楽器が作れる人は少なく入手が難しい事、安価な古いドイツの楽器のほうが売りたい楽器より音が良くなってしまう事など事情がありそうです。

少なくとも私は日本人ですが暗い音が好きです。

私の知人のイタリア人の職人はモラッシーの教え子ですがどうしても彼は切望する暗い音の楽器が作れないと言うので私は作り方を教えました。イタリア人の彼も暗い音が好きなのです。

私はプロの職人ですから明るい音の楽器が欲しいと言われれば明るい音の楽器を作ります。設計を変えればどちらも作ることができます。明るい音の楽器は他に作る人がたくさんいるので私が作るまでもないかもしれません。

業界の常識に染まってしまって自分の感性も裏切り演奏者も無視するというのは心の底から仕事をしていないのでしょう。

楽器の演奏も全く同じだと思います。

デルジェズに技術革新はない?

デルジェズがストラディバリと並んで最高の評価を受けている職人というのは常識です。

彼らはそれより前の世代に対して革新的なヴァイオリン製作方法を考え出したために最高のヴァイオリンが作られるようになったとする意見もあります。私はストラディバリやデルジェズの革新というのはモダン楽器の時代の人たちが自分たちの都合の良いように作り出した解釈だと考えています。アマティなど古い世代は高いアーチであり、ストラディバリはフラットなアーチを発明したというのです。実際にアマティはストラディバリが生まれるより前にフラットな楽器を作っていますしストラディバリやデルジェズの晩年にも高いアーチのものがあります。

私がストラディバリやデルジェズのその「技術革新」を再現してみても別段音量に優れたものにはなりません。逆に作るべきではないとされる17世紀のクレモナ派のスタイルでも決して音は悪くないのです。
デルジェズの特徴を理解してコピーを作った時、抜群に音が良いとなるはずなのですがそうでもないです。そうなると別に技術革新なんてものはないと考えるべきです。デルジェズ本人の楽器の音が他のオールド楽器にくらべて良くても「癖」というだけです。

楽器製作を始めると現代の有名な職人が作る楽器を教科書として教科書通りの楽器を作れるようになるまでが厳しい道のりです。しかしそこに到達した時に「みな同じ」という限界に直面します。楽器は誰が作ったものも同じで売れるか売れないかは知名度があるかないか、もしくは安いか高いかだけの差なのです。

そうなると職人の人生はつまらないものです。あきらめの境地です。
ところが今回のような試みで魅力的な楽器ができることは大いに希望になります。現代の常識の中でいかなる創意工夫をしても限界があります。現代の常識が全く当てはまらないオールド楽器からやり直すことは違う楽器を作り出すひとつの可能性だと思います。

立体感?

今回のピエトロのコピーは平面で見ても美しい楽器ですがやはり立体感こそが魅力です。優秀な現代の楽器はプロポーションもカーブも完璧でアマティ派の楽器は平面の写真で見たときさほど印象を受けません。しかし実物を手にしたときの味わい深さは一瞬で虜になります。残念ながら写真ではわずかしか伝わりませんので実物を見て音を試していただきたいと思います。

試演奏は11月7日現在まだ募集していますのでぜひ試してみてください。
ブログもしばらくお休みにします
また12月に再開します。お楽しみに。



それではいろいろな角度から写真を撮ってみたのでお楽しみください。