ひどいチェロの事例 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

チェロの話題です。
楽器選びについてヴァイオリンとチェロでは全く違う部分があります。
その難しさについて考えてみましょう。





こんにちは、ガリッポです。

ひさびさにチェロの話題です。
もともとチェロを作りたいと計画を立ててましたが、それとは別にチェロの注文が決まりそうです。

かなり変則的な依頼でバロックチェロなのですが、体格のために小さめのものが欲しいというものです。これもとても頭を痛めることになりそうです。昔は大きさが決まってませんから当然小さいものもありました。今になってみるとピッコロチェロと呼ばれることもあります。

ただピッコロチェロを作るとなるとその一回のためだけに型や枠から全部作らなければいけないのです。枠や型というのは正確さが求められるものでチェロでは作るのは大変です。
一方で特に日本人の女性などには良いのではないかとも思います。私のいるヨーロッパの地域では7/8というサイズはほとんど需要がありません。

たまに小さいのが欲しいという人がいますが、現在も過去にもあまり作られておらず選択肢がとても少ないということが言えます。したがって気に入ったものを選ぶのはとても難しいのです。

古い時代で有名なものはG.B.グァダニーニのチェロなんかは7/8くらいの小さいものがあります。馴染みの量産メーカーはこのモデルの7/8のチェロを作っていてチェロ教師の方などが試すと「悪くないね」と驚いています。

したがって小さ目で音が良いチェロを作るためにはただ縮小するだけでなくそれなりの研究が必要なのだと思います。


4/4と7/8ではストップの長さが1㎝違います。

1㎝というとチェロにしては意外と大した差ではないです。というのはストップが1㎝長すぎるチェロなんてのはいくらでもあるからです。ストラディバリの同じモデルのチェロでも現在の標準である40㎝位のものもあれば41cmを超えるものもあります。1cmなんていうのはf字孔の位置のバラつきの範囲内なのです。

胴体の縦の長さは標準とされるものより2cm小さくなります。これもチェロに関しては2㎝位誤差じゃないかというレベルです。それに対して横幅はチェロによって大きく異なり細いのはストラディバリ、太いので有名なのはモンタニアーナです。アマティにも極端に太いものとストラディバリの元になったものがあります。

なぜアマティには太いモデルと細いモデルがあったかなんかも面白いテーマですね。5弦のチェロもありましたからそれらとの関連性もありそうです。


幅が広くても構わないならストラディバリより2㎝くらい短い4/4でもいいんじゃないかと思うわけです。そうなれば音響的には遜色ないでしょうし、将来同じモデルで4/4で作ることもできるのです。そのあたりは依頼者との相談になります。

オールド時代にはヴァイオリンは割合どれも同じ形をしているのに対してチェロはメチャクチャです。メチャクチャなのに音が良いものがあるのです。面白いし難しいものです。こういうことを丹念に勉強していくと弦楽器について細かいことを気にしてもしょうがないということが分かります。一つの理屈で説明できるなんて便利なものはありませんし、専門家でも誰もよくわかっていないのですからウンチクなんてデタラメです。

職人というのはあんまり頭が悪いとできない仕事だなと思いますね。「勉強ができないから職人になろう」なんて簡単に考えないほうが良いでしょう。勉強しなくて良い仕事ではありません。




ひどい状態のチェロ



もう一つチェロの話題を行きましょう。
私のところでは「古いチェロ」がとても求めらるということでした。
古い良いチェロを入手するのは難しいものでトラブルも多いものです。

ヴァイオリンとは全く違う所があります。
ヴァイオリンは文句のつけようのない申し分のないものが中古品としてたくさん眠っていて作れる職人もたくさんいます。日本などでは有名な作者のものばかりが販売されるようですが無名な作者のものもそれと同様のものがその何十倍もあります。値段は50万円くらいからありますが有名な作者の500万円のものと物自体は変わりません。

ヴァイオリン奏者はそれらでは「平凡なヴァイオリン」として満足せずさらに奇跡のようなものを探しているのでなかなか良いものが見つからないのです。


それに対してチェロは文句のつけようない申し分のないものはほとんど出回りません。
それらは決して安くはありません。200万円以下ではまず無いのです。
300万円出したからといっていつも買えるのではなくタイミング次第です。

私たち職人も申し分のない仕事で300万円のチェロを作ってもそんなに買える財力のある人はそれほど多くないです。ドイツなんかの場合には売れるために機械化して150万円とかなら量産されていますが、本当にハンドメイドの良質なものは滅多にないのです。日本でイタリアのチェロを高い値段で買っている人がたくさんいると知ればヨーロッパの人は驚くでしょう。イタリア人の職人の話を聞いているとクレモナにはなぜか中国人がたくさんいるというのです。クレモナの場合には弦楽器店として開いていないので部屋で何をやっているかはわかりません。就労ビザを取得するのは簡単ではないでしょうからすべては闇です。

日本人でもコンスタントに良質なチェロを作っている職人というのは多くないと思われます。
作るのに時間がかかりすぎてしまうのにいつ売れるかわからないからです。



100万円かそこらで音が良いチェロを買おうとするとこちらの人達は昔の量産品を求めます。私のところでも戦前の東ドイツ地域やチェコのものを修理するとすぐに売れてしまいます。待っている人が何人も控えているのです。

しかしこれらの時代の量産品というのは機械化された現代に比べてはるかに品質の悪いものです。100年も経っている楽器なら修理代とチェロの値段が同じくらいなのです。

これらはタダ同然で買い取って修理を施して修理代がそのまま楽器の値段になるということです。


問題になるのは修理されていない状態で買ってしまうことです。修理されていない状態ならほとんど価値はゼロですがそれを100万円で買ってしまうのは災難です。買ってからさらに100万円の修理代が必要になるからです。業者は儲かりますよね。タダ同然で引き取ったものが100万円になるのですから。

現実には十分な修理が施されないまま使用されている人がほとんどです。


実例を見ていきましょう。
横板にひびが入って割れたということで修理の依頼が来ました。横板が割れると簡単な修理ではごまかしようがなく表板を開ける必要があります。
チェロの横板はとても薄いため壊れやすいところです。衝撃などが無くてもひとりでに割れてくることもあります。私たちも材料の段階で予想して見極めることはできません。


これだけでなく他にも何か所も割れが生じていました。
事故によるものではなく自然と割れてくるか、昔の傷がまた開いてきたのでしょう。

放置して置くと傷はどんどん開いていってますます修理が難しくなります。したがって私たちとしてはきちんと修理することをお勧めするのですが、高い修理代がかかります。


そもそも楽器の状態が悪いのでいつどこにひびが入るかわからない状況です。チェロ自体は戦前の量産品で当時は安かったものでしょう。木材はは古くなるともろくなります。




表板や裏板は平らな板を曲げて作ったものだと思います。
最近は機械化や物価の安い国で製造が可能になったので少なくなりました。今でもとても安価なものや合板(通称べニア板)のものもあります。


アーチはとてもフラットなものでメリハリが無くゆるやかに膨らんでいます。平らな板を曲げるのでこれが精いっぱいなのです。エッジには溝がありません。

こうなると修理代がすぐにチェロの値段を超えてしまいます。このチェロを完全に修理をすれば修理代のほうがチェロより高くなるでしょう。

それでも所有者は「音が良い」と気に入っているので財産的な価値とは違う考えを持っているようです。このような板を曲げて作ったプレスの楽器は値段の安さ通り必ずしも音が悪いというわけではありません。もちろん上等なチェロとは違う音なのですが未熟な人が弾いたときには音が強いと感じられるでしょう。それも古いものとなれば良質な現代の量産品よりも音が良いと感じる人はいるのです。


もう一つの問題はこれまでにもしょっちゅう修理をしてきたのですが、いずれも安上がりな修理を施されていたのです。接着剤には天然のにかわではなく木工用ボンドのようなものが使われていました。素人が独学でやっているような修理です。

木工用ボンドは接着力が弱いというのではなくてむしろ強すぎます。

表板を開けるときに接着面が剥がれずに表板が割れて持っていかれてしまうのです。

これは過去の修理ですが、表板を開けたときに表板が思いっきり割れています。
プレスなので木の繊維の方向がアーチに沿っているので被害も大きいのです。

さらにその上に木を張り付けてあるのですが接着面を加工して張り付けてあるのではなく木工用ボンドでベチョッと張り付けてあります。バスバーの位置の正しくありません、バスバーには手動のカンナではなく機械で加工した跡が残っています。木工の職人でも内装業くらいでヴァイオリン職人のレベルの仕事ではないのです。

バスバーの位置の間違いは今回の故障とは関係ありませんから残念ながら直しません。
バスバーの先端には木工用ボンドがべっとりとつけられているのが見えます。



それでは修理です



横板は割れを接着し直し木片を付けて補強するいつも修理です。
ライニングもいくつか交換しました。

これが今回の修理の目的でしたが、表板を再び閉めるということができません。
なぜなら過去の修理でエッジがひどく傷ついていたからです。以前の修理ではボロボロのエッジのまま無理やりくっつけていましたが、プロのヴァイオリン職人のレベルの修理ではありませんでした。

そこでエッジに板を張り付けて2重にするという修理を行います。
これは本来ならば石膏で表板の型を取ってそこにあてがって加工すると表板を変形させることなく正確に取りつけることができます。正しい修理の仕方としては石膏で型を取るのです。

しかしプレスのチェロにそこまでする値打ちはありません。

また損傷の具合のひどい部分だけをピンポイントに2重にして直すこともできます。ところが今回は損傷を受けていない部分がわずかしかないです。そうすると特にひどい部分だけ修理して、少し壊れている部分は放置するということになります。こうすると酷い部分に板を張り付けてもそこだけ厚くなってしまいますから少し壊れているところに統一する必要があります。せっかく修理したのに均等に少し壊れている状態に直すのです。

どこは修理してどこは修理しないかの見極めが大変に難しいです。考えているだけで時間がどんどん過ぎていきます。


そこで、面倒なので全部直します。


ぐるっと一周エッジに板を張り付けました。ただただ作業量の多い仕事でした。働くだけです。
様々な楽器で過去に行われたの修理では接着面がちゃんとついていないものもあります。接着面が開いてくるのは最悪ですが、見た目も汚いですね。正式な方法ではありませんでしたがうまく生きました。


ついでにエッジも修理しました。これだけ長い範囲を完璧に合わせるのは結構難しいものです。パフリングはオリジナルでその外側が新しくつけた部分です。

コーナーも直しました。上のコーナーは過去にひどい修理が行われていてその先端が壊れていました。

過去に行われた修理はひどいものでパフリングのラインが全く合っていません。予算の都合で今回壊れていた先端しか直せませんでした。



一番ひどいのは横板と表板の形が全く合っていないことです。以前からそうでした。ミドルバウツの部分が全く合っていないのです。
そこで・・・

このような仕掛けを考えました。

このように真ん中につっかえ棒を入れて横板を中から押し広げるのです。横板は接着するときに横板を押したりして変形させて表板に合わせることがよくあります。チェロやコントラバスになると力ずくです。表板をつけるのも名人技なのです。

押すことはできてもひっぱるのは難しいのです。そこでこんな棒を入れてみました。
バスバーがぶつかるところは段差を付けてくぼませてあります。

ただし中に棒が入ったままになると困ります。

表板を接着後ひもを引っ張ると外れて下の穴から取り出すことができるのです。
棒の長さや位置を変えながら表板を合わせるシミュレーションを何度もする必要があります。
本当に難しい作業ですコントラバスの場合には本当に大変です。ギターのように表板が横板に対して張り出していないものがあります。

それにしてもなんという原始的な仕組みなんでしょう。
石器時代の人たちが動物を捕まえるために罠を作っているみたいなものです。

これが高度な技術というのですからヴァイオリン職人というのはいかに原始的な仕事かということです。


製作は機械化できても修理というのは機械化できないので高い修理代が生じるのです。
教育も難しいため工場の作業員の様な人ではできませんが、中国まで送って直してもらうということも時間がかかりすぎます。

私も機械でできれば楽ですし、十分な修理を施さずに使っている人達がたくさんいるわけですから機械化してほしいですが、修理の機械というのは全く無いです。
同じ製造工程をこなす機械を作れても修理は皆違うので無理なのです。

普通の産業であれば壊れたものは捨ててしまって新しいのを買うのが経済的なのです。しかし弦楽器では「音が良くなる」ということがあり一般の産業とは常識が全く異なります。


こちらはヨーロッパでは大手のオンライン楽器店で売られているチェロです。弓とソフトケースがついて349ユーロという驚異的な安さで4万円もしないものです。見ると駒が既に低すぎます。これを修理すると10万円はかかるんじゃないでしょうか?
音はひどいので弦だけでもまともなものに変えるとチェロが買えるだけの値段がします。

現代社会のシステムだとこういうものを使い捨てにするのですね。
資源の無駄です。

この4万円もしないチェロよりひどい出来のイタリアのチェロも500万円以上するのですから高ければいいというものではありません。


まとめ

今回のような表板の修理でエッジを2重にする場合若干オリジナルより厚くなる部分が出てきます。今後もこのチェロでは幾度となく修理を必要とすると予想して若干厚くしてあります。

エッジを厚くすることは音に影響します。普通は明るく張りのある音になります。
もし耳障りな音の楽器ならよりひどくなるでしょう。低音が出ない楽器はより出なくなるでしょう。

ただ音を調整する手段としてこの修理を考えるのは難しいです。
今回この修理を行ったのはボロボロで横板と接着ができないからです。
それだけです。


今回紹介したチェロでは製造から過去に何度も受けた修理のいずれもひどい仕事のものでした。今回初めてまともな職人によって修理を受けたのです。


良質なチェロというのは本当に珍しいもので、ヴァイオリンとは全く状況が違います。

ヴァイオリンは良いものがあふれていてそれでは相手にされないのに対して、チェロで良いものは滅多にありません。作業に時間がかかるので値段が高くなりすぎるからです。ヴァイオリンの4倍は作業時間がかかるでしょうがそこまで高い値段にできないので、普通は2倍くらいです。

ヴァイオリンであれば100万円も出せば文句のつけようのない品質のものが買えますが、チェロではこのようなガラクタしか買えないのです。現代の量産品なら機械の進歩で比較的品質は良くなっています。しかしそれでは平凡だということで古いものを求めるのです。100万円で買った楽器にそのあといくら修理代がかかるか分かったものではありません。今回もきちっとすべてを直すには至っていないのです。またいつ傷が開いてくるかわかりません。

我々から見るとよくこんなひどいものを買うなと思うわけですが、こちらの人達は古いものを欲しがり、試演奏して音が良いということで楽器を選ぶのです。100年も経った楽器でプレスのものなら新しいものよりは鳴るでしょう。しかし特にチェロの場合弾き込みの効果が絶大で長い目で見れば質の高いものを使ったほうが得に私は思います。でもヨーロッパの消費者は自分で弾いて確かめ、「よく鳴る」というそれだけで楽器を選びます。日本人のようなブランド信仰とは全く逆の買い物の仕方があるのです。

我々が作った楽器も厳しい批判にさらされます。
私もヨーロッパの音楽家に鍛えられていくわけです。