次に研究するヴァイオリンとは・・・・? | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

これから、研究テーマを持ってヴァイオリンを作っていきます。
どのようなテーマにするか固まってきました。




こんにちは、ガリッポです。

先日あるチェロを持って年配の男性のお客さんがいらっしゃいました。
見ると合板、俗に言うべニア板でできたチェロでした。裏板も表板も板を貼り合わせたもので表面にはカエデとスプルースの突板(薄い板)が張られています。表面にはラッカーのようなニスが塗られひび割れを起こしています。

当然アーチはプレスといって型に押し付けて曲げて作られたものです。彫ってしまうと突板を突き抜けてしまうからです。

したがって値段はとても安いチェロになります。
おそらく初心者かなんかだろうと思っていたところ、意外にも見事に演奏されていました。

話を伺うといくつか持っているチェロの中でこれが一番音が気に入っているとおっしゃっていました。コンサートが近いのにA線の音がおかしくなったので何とかしてほしいという依頼でした。


私たち職人はびっくりしてしまうわけです。
普通に考えれば合板のチェロというのはもっとも粗末なもので、どちらかと言うとコントラバスの安物でよく見るものです。

修理などをするとすぐにチェロの値段を超えてしまうのでためらってしまいます。しかしながらご本人がとても音を気に入っているのなら高級品に施すのと同等の修理をしても構わないのです。

修理が終わって音を出してみるとやはり安い楽器特有の音になりました。それが好みとおっしゃるのであればそれを尊重するしかありません。


プレスの楽器と言うとアーチがほとんどなくてギターのような楽器です。音もピチカートではギターみたいな音がします。音の大きさについては決して小さいことはないばかりかむしろ大きかったりします。

安い楽器では「やかましい」と感じるような音の楽器が多くあります。つまり音は小さくはないのです。

意外にもはるかに高価な楽器のほうが「鳴らない」という印象を受けるでしょう。これはよくあることで、ヴァイオリンでも日本の読者の方からいろいろな楽器をお仲間で試奏したらスズキの安いヴァイオリンが一番音量があったという報告をいただきました。


こうなると「べニア板のプレスの楽器は音が良い」ということになります。
それならば、様々な材質の合板を作ってより理想的な音のものを作り出すのはどうかとも思います。複数の板を貼り合わせてあるわけですから、その組み合わせは無限にあります。最高のべニア板のチェロを開発するということもあり得ます。

表板や裏板だけでなく、バスバーや駒にも合板を使うのはどうでしょう。硬い材質と柔らかい材質を組み合わせたり、軽い木材と重い木材を組み合わせたりこれも無限の可能性があります。


常識から考えると「安物」であるべニア板もそれのほうが音が好きだという人もいるということはあり得ます。イワシやサンマが大好きで高級魚よりも好きという人もいるかもしれません。高級魚で嫌いなものがある人もいるでしょう。私もイワシの鮮度の良い刺身などは大好きですし、サバも好きですね。一方で私は鰆(さわら)が苦手なのです。鰆も漁獲量が減って今では高級魚とされています。

高級品の値段が高いというのはコストや需給関係などの要因によって決まるわけで、個人レベルでの好き嫌いと完全に一致するわけではありませんね。



自分の好きな音がたまたま安い楽器から出るものだったというだけですから、安く上がって幸せですね。

私たちはいろいろな楽器の音を知っているので「安い楽器の音だな」と思ってしまいます。いくらでもあるので貴重なものとは思いません。このような音の楽器があった時は本能的に「何とかしなければ」と改善できないかと考えてしまいます。しかしこのケースでは「これがこの方の好みなのだから」と自分たちに言い聞かせて思いとどまらなければいけません。

主流以外を認めない人は「浅い」


様々な趣味や食材の味などで業界の主流派の価値の体系というものがあります。熱心なマニアや生産者でも主流派で熱心に取り組んでいる人もいます。

それに対して自分のフィーリングを大事にしている人もいます。自分が「良い」と思うことが大事なのです。

主流派は競争になるのでコンテストなどで賞を取るために努力し、受賞して高価になったものを素晴らしいものだと考えるのです。


私はタイプとしては自分のフィーリングを重視するほうの人間で、業界の物差しで測って優れたものをありがたがる人はあまり尊敬しません。他人のものではなく物差し自体を自分で作る人をクリエイティブとして尊敬します。

この辺の考え方は人それぞれでしょう。

主流派については、底が浅いという印象を受けてしまいます。
排他的で自分たちが正しいと考えているもの以外を認めないのです。

自分たちが知らない素晴らしいものを探そうという気がありません。悪いものとわかっていてもそれを無視するのではなくそれについて何が悪いのか知りたいと思って研究する人のほうが技量が上だなと思います。そうなると研究対象となる悪いものを探しているのです。

「これは良いもの」と既に定まったものしか関わりたくないという人は「浅いな」と思ってしまいます。ユーザーはわざわざ悪いとされているものに興味を持たないかもしれません。しかし、少しでも深い知識を持っていると自称するなら主流以外は認めないという態度ではいけません。





音が良い楽器の条件?

次に作るヴァイオリンについてどうしようかと考えています。

師匠から教わった唯一の製作方法を経典のように信じているのなら迷うことはありません。前回作ったものと全く同じものを作ればいいのです。井の中の蛙であり続けることで大変な満足感が得られるでしょう。


私は師匠に教わった方法以外で作られた楽器にも音が良い楽器があることを知っています。音が良い楽器の条件について調べてきました。見分け方があるのでしょうか?


「音が良い楽器が欲しいなら○○のものにすればいい」という言葉があれば便利です。
便利なので人はそういう言葉を求めるでしょう。

しかし残念ながらそういうものはありません。
冒頭の合板のチェロもその人にとっては音が良いのですが、じゃあ合板のものが音が良いと言えるでしょうか?

また50年ほど前に作られたある作者のヴァイオリンの音がとても良いとおっしゃる方がいました。この作者は天才なのでしょうか?

私のようにたくさんの楽器の音を知っていれば同じような音の特徴ははるかに安価な無名な作者の楽器でも得られることを知っています。作られて50年も経った楽器には発音がよく音量があると感じられる楽器はたくさんあります。その作者の才能ではなく古さによる部分が大きいでしょう。

それでは「古いヴァイオリンの音が良い」と言ってもいいでしょうか?


50年経ったヴァイオリンには発音が良く音が強いものが多くあります。しかし音の質はどうでしょうか?音色はどうでしょうか?

楽器の音を評価するには様々な要素があり、ある人が「とても良い」と評価しても別の人は「あまり好きじゃない」という反応はよくあります。その人が目を輝かせて「このヴァイオリンは素晴らしい」とおっしゃられても別の人が試したときに曇った表情ですぐに弾くのをやめてしまうこともあります。


50年経ったヴァイオリンが良いのなら100年経ったものはどうでしょうか?音の強さや発音はさらに良いかもしれません。音色にも深みがあるでしょう。それでは100年経った楽器が最高でしょうか?


300年くらい経ったオールドヴァイオリンとは音が違うと感じることが多いでしょう。発音が良い、音が強いという基準で楽器を評価するなら優れている100年前のヴァイオリンですが、多くの場合オールドヴァイオリンの音とは音の質が違います。

歴史を知ることで見え方が変わる


私が独自であることはもう一つ「歴史」ということがあります。
同じ物事でも歴史を知っていると見え方が違ってきます。スポーツでも歴史に名を残す過去の名選手を知っていれば今目の前にそれに匹敵する選手がいれば今、伝説が生まれる瞬間に立ち会えていることに感動を覚えるでしょう。歴史を知らなければ偉業に気付かないかもしれません。
逆に歴史上いくらでもいるくらいの選手でも歴史を知らなければ「すごい選手だ」と過大評価をしてしまうかもしれません。

古典主義という考え方があります。
クラシック音楽はそもそも古典を重視する考え方ですから古典主義のように思います。しかしこれは違います。ヨーロッパで古典というのは古代ギリシアやローマのことで古典主義とはギリシアやローマのことをお手本とする考え方です。音楽では、バロック時代にはオペラ・セーリアとして盛んにギリシア神話が題材にされました。本来バロック芸術というのはカトリック教会の宗教政策で生まれたものですが、古典主義はそれ以前のルネサンスから文化人の間で尊ばれてきました。

クラシック音楽の場合にはある時代の人から見てバッハやハイドンが古典だったということで古典主義の精神を表している言葉ではありません。


古代ギリシアの美意識について学んだ後で、ギリシア彫刻を見ればその美しさの感じ方が全く違っています。それをお手本にしたルネサンスの彫刻でも同じです。ミケランジェロのダビデ像を中学生の時に教科書で見てもなんとも思いません。思春期なので裸であるということが気になってしまうかもしれません。


歴史を知ることによってものの見え方がまるっきり変わってくるということが言えます。


べニア板のチェロの音が良いと感じてもいいのですが、弦楽器の歴史を知ることで楽器や音が全く違うものに感じられるようになるかもしれません。

私が皆さんに歴史を知ることによって弦楽器の魅力というのをもっと感じられるようになって楽しんでもらいたいと思っています。ブログでもいろいろな珍しい楽器についても紹介していきます。

ひどくなければ何でも良い

現代の楽器で満足する人もいればそうでない人もいます。オールドの楽器は現代のものとは構造や作風が大きく異なることがあります。音も様々です。

そのどちらにも愛用者がいます。


したがって特定の作りを音が良い楽器の条件とすることはできません。


こうなると、私がいつも言うように「ひどくなければ何でも良い」と言うことしかできません。
音が良い楽器の条件は「ひどくないこと」それだけなのです。

次に作るヴァイオリン

アーチの高いものと低いものを作ってその違いを確かめてみたいと思っています。先ほどの合板のチェロは極端にアーチの低いものでしたが、その前にフラットなチェロの修理も行いました。

チェロというのは違いが分かりやすいという面もあります。ヴァイオリンはとても微妙でわずかなことが思わぬ影響を与えてしまうため規則性を見出すのが難しいとも言えます。

フラットな楽器でよくある問題点は発音が不明瞭であることがあります。それに対して高いアーチでは発音がダイレクトであるという傾向があるでしょう。

一方高いアーチは窮屈な鳴り方だったり、自由度が無かったりすることがあります。フラットな楽器の感覚で強く弾こうとするとたちまち音がつぶれてしまうのです。

一方で高いアーチの楽器を特別に好む人もいます。私も最近は作っていませんが10年くらい前に作ったものはプロのヴァイオリンン奏者の方に使ってもらっています。ドイチェグラモフォンからもCDが出ている楽団の人です。同僚の団員からも好評でした。正統派の新作楽器ならそれと同じものの50~150年前のものが手に入りますから新作をプロの人が使うということは現実的ではありません。私の楽器が珍しかったので大いに気に入ってもらいました。


それ以来同じ音のものが2度とできないということもあって今回もう一回このようなものを作るのにチャレンジしましょう。何度でも作ることができなければ技術として確立していません。


マントバのピエトロ・グァルネリ

今回モデルに選んだのはマントヴァのピエトロ・グァルネリです。

ピエトロⅠはデルジェズの伯父にあたる人です。もう一人のピエトロⅡはデルジェズの兄です。

ピエトロⅠはマントヴァに、ピエトロⅡはベネツィアに移住しています。区別するためにピエトロⅠはマントバのピエトロと呼ばれています。


楽器の値段はストラディバリおよびグァルネリ・デルジェズにいかに近いかということで決まると考え良いでしょう。ピエトロⅠは伯父さんなので兄弟のピエトロⅡや父のジュゼッペⅠよりわずかに遠くなります。

しかしながら、職人から見るとピエトロⅠはとても腕の良い職人で、グァルネリ家の中では一番腕が良いと言えます。美しさではアマティやストラディバリと並ぶものでしょう。アマティ派の楽器として高い完成度に仕上げられていると考えています。それに比べるとジュゼッペⅠ、ピエトロⅡ、デルジェズなどはひどいものです。ピエトロⅠはキチッとしすぎていることでアマティ派の中でも古い世代の楽器とみなされるのかもしれません。


今回作るのは板目板の裏板を考えています。ヴァイオリンでは先ほど紹介した10年くらい前に作った高いアーチのもの以来です。ビオラは去年作りました。

同じモデルのビオラを何台か作りましたが板目板のものは他と違うようでした。音色には独特の味わい深さがありました。


ピエトロⅠのヴァイオリンについて調べてみると、やはりクレモナ派のオールドヴァイオリンらしくとても板が薄くなっています。アーチの高さ、板の薄さ、板目板という条件のものは現代ではとても珍しいでしょう。


一方で他のアマティ派と違うところはその輪郭の形、つまりモデルにあります。アマティなどの場合、ミドルバウツの幅がとても狭くなっています。裏板で106mm以下です。それに対してピエトロⅠは111mmほどあります。これは実はデルジェズのモデルとほぼ同じなのです。見た目の印象はだいぶ違うのですが、実際の形はよく似ています。

いわゆるガルネリモデルがどこから来たのかということに関してよく似ているのはピエトロⅠと言えます。父のジュゼッペよりも似ていると言えるでしょう。したがってデルジェズがもとにしたのはピエトロⅠではないかとも考えられるのです。

ピエトロⅠが腕が良いということは職人ならわかりますが、工房の中でも勤勉で中心的な役割を果たす働き者だったかもしれません。初代のアンドレア・グァルネリのもとでも、父親を助け工房の中で技術分野では中心の役割を果たしていたでしょう。アンドレア・グァルネリのビオラでもその作風はピエトロⅠのヴァイオリンによく似ていますから彼が設計したのかもしれません。

デルジェズが残された木枠を使った可能性もあります。

いずれにしてもよく似ているということは間違いありません。


一方で仕事のタッチやアーチのスタイルはだいぶ違います。その結果全く似ていないように見えます。デルジェズはベルゴンツィの影響を受けているからだと思います。アーチについては兄のピエトロⅡとピエトロⅠが似ていてぷっくりと膨らんだ高いアーチになっています。私も初めて見たときにはびっくりしました。ヴァイオリン製作学校で習ったヴァイオリンの作り方とはまるで違ったからです。ピエトロⅡはベルゴンツィの影響がないということになるでしょうか。

デルジェズはグァルネリ家伝統の膨らんだ高いアーチから真ん中だけ高くなったとんがったもの、平らなものまでいろいろありました。特に何も考えていなかったと思います。

ピエトロは割とスタイルが確立してきっちり作る人でしたから、どの楽器もぷっくりと膨らんだアーチになっています。
ストップの長さがバラバラのデルジェズに対して定まっています。困ったことはストップが長すぎるのです。このあたりは修正しましょう。オリジナルを忠実に再現するのは演奏に支障があるのでまずいですね。印象が全く変わってしまわないように最小限にとどめます。このあたりがオールド楽器の複製を作るうえで難しいところです。



マントヴァはポー川の流域で肥沃な土地に恵まれ栄えていました。ゴンザーガ家は文化芸術を愛し庇護しました。

クレモナ出身の弦楽器奏者クラウディオ・モンテヴェルディもその一人です。最初のオペラ『オルフェオ』を上演したことで一躍名を高めたということでオペラを確立した地とも言えます。

ピエトロが来たのはそれよりずっと後でしたが宮廷に迎えられたということはやはりその腕前が評価されたのでしょう。


まとめ

オールドのスタイルの高いアーチのものは現代ではほとんど作られないうえ、板が薄く、板目板ということになると大変に珍しいものになります。

10年前に作ったのはベネチアのピエトロ・グァルネリのコピーでしたが、構造の似ているマントヴァのピエトロで同じような音を再現できないかというのが今回の挑戦です。

こちらは芸術文化を特に愛する貴族たちが愛した美しいヴァイオリンです。ベネツィアのダメ人間のようなルーズな感じも魅力的ですが、格調高い美しさの楽器というのは現代では忘れ去られた美意識とも考えられます。

また、時代が最近に近づくほどモダンヴァイオリンの評価が高まっている半面、アマティ的なヴァイオリンの注目度は下がっているとも言えます。19世紀~20世紀初めにかけて演奏家に珍重されていたのはこのような楽器だったわけです。クラシック音楽の全盛期には今よりもずっと高く評価されていたでしょう。

そのような時代の音楽でも不勉強な現代の私たちが忘れてしまったものを教えてくれるかもしれません。べニア板やプレスの楽器にはない音というのがそこにはあるのでしょうか?






モデルがデルジェズと共通なため現代のガルネリモデルとも通じるものです。したがってアーチと音の関係だけを理解するには良い研究テーマになるでしょう。

完成したらぜひ皆さんにも試していただいて何か感じてもらえたらと思います。