ブビンガ材でテールピースを作ってみた | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

以前テールピースについて「軽いほど音が良い」という俗説を退けてきましたが、さらに違う材質のものを作ってみました。明るくて軽い音がするツゲに代わるものを探しています。





こんにちは、ガリッポです。

はじめに前回の記事ですが、最後に追記があります。
ポジティブステインの使いこなしに成功しました。



以前こちらのラジオを聞いていたところ、ゲストにソムリエの人が出てインタビューを受けていました。登場して間もなくインタビュアーに「ワインの味なんて好みの問題じゃないんですか?」と聞かれていました。いきなり職業の存在価値を否定するようなきついことを聞くものです。
それに対してソムリエの方は「その通り、好みの問題です。」と答えていました。ワインの良し悪しは好みだと言うのです。さらにその上でいろいろなお話を始めました。

弦楽器についても同じです。
私たち専門家が言えるのはその楽器の品質や製造上の特徴がどうで、古い楽器なら修理の状態がどうか、値段がいくらかということだけです。その楽器の音を評価するのはユーザーの自由です。実際にプロの演奏家同士でも音の評価は分かれます。

粗悪な楽器や修理されていない楽器が異常に高い値段で売られていたら私は疑問に思います。しかし私が真っ当なヴァイオリンだと評価したものが誰にとっても音が良いと感じられるものではありません。

試していただいて好みと違うのなら別のものを試すしかないのです。
ソムリエもワインの良し悪しを強要するのではなく好みのものを見つける手助けをするのが仕事だと言えるでしょう。

現実の商業では専門の知識は安く仕入れたものを高く売ることに悪用されてしまいます。
ファンが増えていくと値段も高くなります。ただ値段が高いことで「高級品」と考える人がいるので値段は加速度的に上昇し値段に見合わないものになってしまいます。
ワイン通はまだ知られていない好みの良いワインを探すものだとイタリア人のヴァイオリン職人も言っていました。値段に見合っていない高いものをありがたがるのは素人なのです。


それにしても、ソムリエにいきなり「好みの問題じゃないんですか?」と聞く辛辣な質問はおもしろいですね。欧米の人は自分が人生の主役ですから主体の自分がどう感じるかが重要なのです。

このような概念を理解できない人もいます。
ある製品で専門家は「○○を好むような人には最適の製品」という紹介をしても読者は「絶賛している」「酷評している」のどちらかにしか受け止められないのです。自分の好みがはっきりしていればその製品を検討する価値があるのかわかる有用な紹介の文章です。それに対してわずかでも欠点が見つかってしまえば「この製品はダメだ」と信用できないと言うのです。工業技術には必ずあっちが良ければこっちがダメ、こっちが良ければあっちがダメという面があるのです。

信用できてないのは自分自身なのでしょう。





さて以前黒檀のテールピースの表面にツゲを貼ったものを作りました。ツゲのテールピースは明るい軽い音がするのに対して黒檀のものは暗くクリアーでしっかりした音になること、ツゲの突板を貼ることでツゲのペグやあご当てにもマッチするものとなりました。


そこで他の材料はどうかと考えてみました。

他の楽器では様々な木材が試みられてきたのに対してヴァイオリン属の弦楽器については500年くらい前に入手できた木材で本体に使用される木材が決定されて固定されています。いかに保守的な業界かということなります。

例えばギターでは様々な材料が使われた製品があり、ユーザーは好みに応じて選ぶことができます。

それは値段の安い量産品で差別化を図るためにメーカーによって研究されたということもできます。一方ヴァイオリンは加工のクオリティによって差をつけようとクオリティ競争になってしまいました。その結果、ヴァイオリンの良し悪しは同じものをいかにきれいに精密に加工できるかということになっています。
無理やり差をつけたいだけなのですから音には関係がありませんし、生産数が少なく競争が少なかったオールド時代には同じものをいかに精密に加工するかの競争はなかったわけですから個性的で味わい深い楽器もたくさん作られました。高価なオールド楽器が現代の良し悪しの基準から逸脱しているのはこのためです。

人々が良し悪しについて敏感に厳しくなるほど味わいや個性などが失われてしまったのです。おそらくオールドの時代には大きな心で楽器を買っていたのでしょう。

私のところでは「顧客は王様」という言葉があります。日本の神様とは違います。王様は贅沢の限りを尽くすのです。


そんな保守的なヴァイオリンの業界ですが、数少ないチャンスに取り組んでいきましょう。


テールピースは弦が直接固定される部品なので音に影響があるということは有り得ないことではありません。違う素材を使うとしたらこれくらいしか可能性が無いのです。

もちろんヴァイオリンにとって根本的なものは表板や裏板ですからそれの特性に比べたら微々たるものです。表板や裏板の特性は変えられませんから微調整ということになります。


木材の検討

現代では世界中の木材が流通するようになりました。日本でも外国の木材が輸入されるようになっています。一方で森林資源の枯渇や保護のため入手が難しくなってきているものもあります。何が良いのでしょうか?


その前に何を目指すのかをはっきりさせなくてはいけません。
好みの音と今の楽器の音とのギャップを埋めるものになるからです。

私が目指すのは私が製作した楽器に取り付けるためのもので「古い楽器のような音」というのが理想となります。古い音を定義するのは難しいですが目指すのはそういうことです。したがって他の目標や違う楽器に合うとは限らないでしょう。新しい楽器で枯れた暖かみのある音を目標としています。



その上で木材を選定する基準を考えてみましょう。

①硬い木材
ツゲは硬い木材のうちに入ります。これ以上柔らかい素材だと弦の力に負けて弦をひっかける部分が食い込んでいってしまいます。ツゲでも音は柔らかいとするともっと硬い木材を必要とします。

②比重の重い木材
ツゲが明るい音がするのは密度が低く、比重が軽いことにあるでしょう。軽くて硬い木は樫(かし)などが考えられます。オークとも言います。古い楽器のような暗い音を目指しているので重い木材がよさそうです。明るい音にしたい人は軽い木材が良いかもしれません。


この条件を満たすのは黒檀です。黒檀でもいいのですがひとまずキープとしておいて、他の可能性も探してみましょう。

そこで目を付けたのが…

ブビンガという木です。

この木はアフリカの熱帯地方に生えるもので巨木になるものです。和太鼓にも使われているそうです。和太鼓はけやきの木を使うのが伝統だそうですが、中をくりぬいて使う太鼓には直径の大きな巨木が必要でブビンガが使われているのだそうです。

ブビンガ材も硬く比重の重い木材の部類に入ります。
ただ黒檀よりは少し柔らかいでしょう。クリアーで澄んだ音の黒檀に対してもう少し雑味があってもいいかなと思います。暖かみが感じられれば好む人は少なくないでしょう。黒檀が良いというのならクラリネットに使うグラナディラという真っ黒な木ならさらに良いかもしれません。私には音の方向性がちょっとモダンすぎる気がします。

ブビンガはエレキベースにも使われています。
低音楽器に向いているということは高音の響きの多い明るい音ではなく暗い音だからなのでしょう。ドラムにも使われています。硬めの木材でアタックもメリハリがあるそうです。


したがって黒檀よりはあいまいな音になるかもしれませんが暖かみのある響きになれば良さそうです。


ブビンガのもう一つメリットは色が明るい赤茶色をしていることにあります。これならツゲとセットで使うこともできるでしょう。一般的なツゲよりは色が濃く赤いのですがツゲの製品にもいろいろな色調があり使い込んでいくことで濃くなっていきます。

またアフリカンローズウッドという異名もあるくらいで濃い茶色に着色すればローズウッドとも使えるでしょう。黒檀は真っ黒に染めればいいのです。

もし音が理想的ならツゲ、ローズウッド、黒檀いずれとも使用が可能になるのです。

ブビンガ材でテールピースを作る


右がローズウッドの完成品です。左がブビンガ材です。色はだいぶ明るいものです。銘木として美しいものです。表面に小さな穴があります。ローズウッドと同じです。黒檀にもさらに小さいですがあります。ツゲはなめらかなものです。

意外かもしれませんがバロック用以外テールピースなんて作ったことが無いのです。普通は専門のメーカーから買うのです。そういうわけで手さぐりですね。一つ目でうまくいくとは思っていませんが…
肝心なことは機能面で壊れやすいところは力がかかる所です。実験ですからうまく行ったら生産法を考えましょう。


何個も作るのなら治具なども開発したほうがよさそうです。基本的にはヴァイオリンの表板や裏板を作るのと同じです。荒削りをしてから徐々に仕上げていきます。

外側の形ができました。

弦を取り付ける穴を開けます。裏側の加工もします。


黒檀の部品を取り付けて完成です。

もうちょっと何とかしたいところもありますがとりあえずOKでしょう。

結果は?

私が去年作ったヴァイオリンに付けて試してみます。



ツゲのあご当ては暗い色のものがちょうどあったのであご当てのほうが濃いくらいです。ブビンガ材のテールピースを使っていることに違和感はないでしょう。明るい色のあご当てでも古くなってきたものには合うでしょう。


音ですが、初めこの楽器はツゲのものを付けていて、そのあと黒檀に変え、そしてブビンガにしたわけです。明るい軽い音だったものが黒檀でグッと引き締まり響きが抑えら暗い音色になり澄んだクリアーな音になったものでした。それをさらにブビンガに変えると一瞬音量が増大したように感じられました。響きは黒檀ほど抑えられるのではなく楽器用木材らしくよく響くのです。黒檀よりはわずかに明るくなったでしょう。倍音の高音にヒステリックな刺激的な音が混じっているように聞こえます。したがってなめらかでまろやかな音というよりは多少刺激的な音に感じられました。澄み切ったクリアーな音というよりは雑味があり暖かみもあります。その意味ではあいまいになるとも言えます。

とはいえ差はわずかなもので人によって感じ方は違うでしょうが黒檀から替えるほどの価値はないとも言えます。黒檀が悪いものではないからです。ブビンガも悪いものではありません。どちらでも悪くないのです。今回はテールピースの違いに注目していますから交換の前後での違いに意識を集中しています。楽器の持つ音がまるきり変わるわけではありません。

一方でツゲに対しては結構大きな違いになるでしょう。私はツゲよりもブビンガのほうが良いと思います。全体的には暗くしっかりした音で黒檀ほど締まってはいません。刺激的な音を含んでいるので楽器によっては金属的な音が強調されるかもしれません。柔らかい綺麗な音の楽器であれば程よいスパイスとなって枯れた木のような音色の多様さを生み出すでしょう。

テールガットにはカーボン系のものを使っています。胴体から自由になっている状態なのでよりテールピースの特性を試すことができるでしょう。プラスチック製のほうがおそらく胴体の響きが加わってあいまいな音になると思います。場合によってはそれで音がマイルドになるので楽器によって使い分けています。これは付けてから少しずつ伸びてきます。今はギリギリの短さにしていますからもう少し伸びてきたらまた変わってくるかもしれません。


テールピースはいずれの素材のものも構造的な欠陥というほど問題を抱えたものではありませんからどれでもひどく悪いということはありません。あくまで好みで微調整をするというだけのことです。誰にも薦められるものは黒檀ですね。刺激的な音の楽器には向きませんが私の作った楽器ならブビンガも悪くないと思います。

テールピースだけで「オールドヴァイオリンの音に変身」などと言うことはあり得ません。ただいくらかは効果があったようです。


ツゲのテールピースの代わりのものとしては使えるものだと思います。