気楽にストラディバリを味わう【第26回】妄想を楽しむ時です。完成像をご覧ください。 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

ストラディバリの複製を作る試みでしたが完成した姿をお見せできる時が来ました。
外観の再現については私独自の表現方法です。音については画期的なものではありませんが噛むほどに味が出てくるのではないかと思います。





▽ 気楽にストラディバリを味わう ▽

ブラインドテストで低い評価を受けるのがしばしばのストラディバリウス。
「そんなもの研究しても意味ないじゃん?」と頭の良い人は指摘するでしょう。
そう固いことを言わず、何億円もかけずにストラディバリを味わって楽しんではいかかでしょうか?


こんにちは、ガリッポです。

時代というものは刻一刻と変わっていくものです。

80年代までは超能力やUFOなどがテレビ番組で紹介されて、みな真剣に見ていたものです。
とりわけ川口浩探検隊は学術的な調査の体裁をとることで真実味を演出してました。

今あのような番組を見ればヤラセとすぐにわかってしまう冷めた時代になってしまいました。

バブル時代までの商売を続けている業界はことごとく斜陽化して「若者の○○離れ」なんて言葉で時代の変化に置いて行かれています。今の消費者は言いなりにはならず主体的に情報を集め行動しています。


未だにこのような神通力が本気で信じられているのが日本の弦楽器業界なわけですが、ネタをばらすのも良いことなのか葛藤もあります。




川口浩探検隊では小さな蛇とかが出てきて「ガ~~~~ン!!!」というピアノ鍵盤を押さえつけるような効果音で大げさに恐怖を煽ったものです。


それで思い出したのですが、小学校の時に車にひかれた蛇の死骸を学校に持ってきたやつがいました。その時は盛り上がっていたのですがやがてそんなことも忘れていました。ある日ロッカー付近が「何か臭いぞ?」となりました。

そうです・・・ロッカーの中に蛇を隠していたのです。
子供のときはバカなことをしていたものです。思い出すと楽しい気持ちになります。

あのころのほうが楽しかったとも言えます。何でもわからないほうが幸せなのかもしれません。



まあ、でも数百万円ものお金が動くとなるとバカバカしくて面白いとも言っていられません。


食品業界で起きれば大変なスキャンダルになる「ラベルの偽造」も我々の業界では中古品の9割の楽器には偽造ラベルが張られていると思っておいて良いでしょう。仮に本物のイタリアの楽器だったとしても大げさな過大評価で値段が実力に比べて高すぎるという始末です。高価な銘器も古いだけで名人ではなく家業としてやっつけ仕事で作られたものも少なくありません。

ユーザーの間にも弦楽器業界のキナ臭さに勘付いてしまっている人も出ていることでしょう。



ヴァイオリンの製作に「天才」や「超一流の職人」などはなくある程度のところまで行くと皆頭打ちになってしまいそれ以上になりようがないのです。それらは最高水準のクオリティの楽器になるわけですが、19世紀のフランスの楽器に多いです。現代のヴァイオリン製作コンクールでも受賞者だけでなく上位の20%はみなこの水準に達しています。世界には千人はこのような一流の職人がいるでしょう。数人だけがずば抜けているということはないのです。

19世紀でフランスの楽器に匹敵するものを作れるイタリア人は少ないためイタリア人の中からそのような楽器を探すと大変に希少で高価なのです。
近年出版された専門書にジュゼッペ・ロッカのヴァイオリンは「ミルクールのものに似ている」と書かれていました。ロッカの師匠のプレッセンダがフランス人に教わっているのでフランスの楽器に似ているのは当然ですが、パリではなくてミルクールというのがポイントです。
フランスでは一流の楽器職人はパリで活動し二流以下の職人はミルクールで働いてたのです。ロッカのヴァイオリンがミルクールのものに似ているというのは二流のフランスの楽器と同レベルという意味でしょう。弦楽器のことをよく知る玄人の専門家の人が皮肉たっぷりに書いています。


さらに言うと最高水準のクオリティで作られたものだけが音が良いというわけでもありません。音に関してだけ言えば基本さえしっかりしていれば表面的な加工のクオリティは関係ありません。信じられないくらい精巧に加工できる職人がいたとしてもそういう作風の職人というだけです。



先日お客様のヴァイオリンを修理しました。
戦前のチェコか東ドイツの大量生産品のちょっと品質の良い感じのものでした。作りを調べてみると悪くないのです。一流の音楽家たちが使っているような名器の構造と比べてよく似ているのです。

ヴァイオリンを始める初心者の方でしたが、知人から15万円くらいで譲ってもらってそれ修理して消耗品を交換して弾けるようにしてほしいというのが依頼でした。

日本の物価で考えると5万円くらいの修理で見事によみがえりました。その結果40~50万円の価値はあるでしょう。ただしそれだけでなく音についてはそれ以上のものでした。現代の有名な作者のハンドメイドの高級品でもこれに対抗するのは難しいでしょう。

これは幸運なケースで、所有者は楽器を必死に探し回って買ったわけでもありません。量産品ですが音が良いので将来本格的な楽器に買い替えるには相当音が良くなければ満足できないでしょう。ブランド信仰を押し付けて高い楽器を売りつけようとしても無理です。


私は楽器の作りを調べることで楽器の良し悪しというのはある程度見分けられると考えています。
現代の職人は過去400年の楽器をまじめに勉強することで誰でもこのような楽器を作ることができると思います。



商業的な意味での楽器の価値というのは値段に現れますが、商業的には価値の低い大量生産品の多くは手抜きのために構造に問題を抱えていることが多いです。

今回のように量産品でも問題なくきちんと作ってあれば音が良いことはあります。
私も経験によって「良さそうだな」とある程度分かるようになってきました。

弦楽器というものは特別秘密の作り方があるのではなく、オーソドックスな楽器を手を抜かずに作ればいいだけです。それが50年100年としっかり手入れをしながら使っていけば素晴らしい音の楽器になっていくのです。


「作りを調べる」と「実際に弾いて音を確かめる」の二つの作業によって値段や生産地、作者の名前などを一切知ることが無くても音が良い楽器を見分けることができると考えています。

日本の弦楽器店で楽器について真っ先に聞かされる情報は、値段・生産地・作者名ですがいずれもまったく知る必要がないのです。

それが良い楽器だと分かればそれ以外のことを知る必要がないのです。




こうなると弦楽器には夢も希望もないのでしょうか?情熱をもって愛好する余地はないのでしょうか?


知名度や値段にかかわらず、バカ丁寧である必要はないのですがキチンとオーソドックスに作られた楽器ならどれも素晴らしいものだと考えています。
音はそれぞれみな少しずつ違います、それは弾いてみないとわかりません。
どれが優れているというのを決めるのは難しく「なんかちょっと違う」というものです。
鑑定や修理などのリスクは高くなりますが、音については古いほうが有利です。
1700年代でまともにつくられた楽器は数が少ないです。

これらの楽器はすべて愛するに十分な文化遺産です。好きなものが見つかれば愛用できるものです。お客さんのために条件の悪いホールでも演奏しなくてはいけないプロのソリストならともかく残りの99.99%のプロのオーケストラ奏者や学生、アマチュアならそれで素晴らしい演奏や十分な修練ができるはずです。

私程度でも日頃からいろいろな人の演奏を聞いていますから、なんとなくうまい人未熟な人というのは分かるものです。楽器の良し悪しで演奏の腕前が違って聞こえることはありません。ましてやプロの指導者の人が惑わされることはないでしょう。




私の楽器もただオーソドックスに作ってあるだけです。
新品のうちは大した音ではありません。



ただし、今回のストラディバリの複製には何億円もする銘器を妄想して楽しめるように趣向を凝らしてあります。それがギミックであることも公言しておきます。根本はオーソドックスに作ってあるので数百年後に本当に古くなったときには表面的なギミックなどどうでもよくなるでしょう。オールドイミテーションは弦楽器製作の歴史では一般的な手法の一つでこれを邪道とか低く評価されることはなく、上手い下手の差がつきやすいのでそれ自体が優れた技で、また古い楽器の知識の豊富さとしても評価されるでしょう。

私は快楽主義者で「人生楽しんだもの勝ち」と考えています。

写真で紹介します。
写真を見て妄想を楽しんでください。

画像で紹介

まずは表板から


当然ながら古い感じが出ていると思います。10年~20年使うとより雰囲気が出てくると思います。


f字孔も左右が非対称で雰囲気があります。右側のf字孔もコーナーも本当はもっと傷ついているのですが、理想的な保存状態になっています。画像の右端が切れているのでクリックで全体が表示できます。以下横長のものはみなそうです。



オリジナルのニスが残っているのは全体の10%~20%くらいの面積で、その様子を再現しました。このストラディバリのモデルにはちょっとアマティ的な感じがあると思います。私はアマティコピーのスペシャリストなので私のストラディバリの複製はアマティ感が出ているのが特徴でしょう。堂々とどっしりとしているというよりは、なよなよした繊細な感じがします。

ミドルバウツの両端とアッパーアバウツの下部に少しニスが残っているだけです。ニスのあるところとないところの境目を自然にするのが難しいところです。ニスが残っている部分も均一になっているのではなく不規則になっています。


スクロールもストラディバリらしさが出ていると思います。実物は摩耗が激しいので難しいところもありました。まあ、雰囲気ですよ。

正面も適度に左右非対称です。ペグボックスのG線のペグ(左下)のところの幅が指板よりも広くなっています。昔の指板は幅が広かったことは以前紹介しました。現代は演奏しやすいように細くしてあります。

右側は調弦するときに机などに押し付けて行うことがあったので摩耗が激しい場合がよくあります。渦巻きのカーブは現代の優秀な職人の楽器はもっときれいな円を描いていることがあります。独特ないびつさがストラディバリの雰囲気です。ただいびつであれば良いというものではありません。



スクロールの彫り込みの深さも、深すぎず浅すぎず微妙なところです。浅めであっさりと作ると雰囲気が出ます。

反対側です。



アーチはこんなものです。これでも現代の楽器ととしては高いほうです。コンセントが見切れていますが日本と形が違いますね。横板もオリジナルのニスはコーナー付近にしか残っていないという設定です。

反対側です。表板のエッジは厚めにしてあります。実際は古くなると摩耗して薄くなり、表板の開け閉めを繰り返すことでも痛んでいきます。痛んでくると修理で新しい板を下側に張り付けることが行われます。修理が済んでいる状態を再現してあります。音にも多少のスパイスとして「張り」をもたらすでしょう。

オリジナルはアーチの中央の駒付近が大きくくぼんでしまっています。複製ではくぼんでいない理想的な保存状態を再現しています。

横板はコーナーの付近にだけオリジナルのニスが残っている設定ですが、汚れも剥がれもあります。意外とミドルバウツには傷などが少ないもので安価なイミテーションではここにわざとらしい傷があります。



コンサートなんかでソリストが弾いているのを見るのはこんな角度です。ペッタンコなアーチの多い現代の典型的な楽器に比べると雰囲気があります。



裏板も見てみましょう。

裏板もペッタンコではなくただ膨らんでいるわけでもありません。エッジは摩耗してるもののぐるっと裏板の周囲を一回りチャネリングという溝が彫られています。大量生産品のイミテーションではここがちゃんと作られていなく耳障りな音のものが多いです。

溝になっているところにはニスや汚れや残っています。高いアーチの楽器はここだけにニスが残るケースがよくあります。アーチのスタイルによってもニスのはげ方が違うのです。


これでおしまいです。

音よりは高い見た目の再現度

私としてはまだまだ完璧とは言えない出来ですが、それでも音よりも見た目の再現度のほうが高いでしょう。見た目で期待して音でがっかりということになってしまうかもしれません。

塗装を除けば普通の新作ですから音を脳内の妄想で補っていたくようにお願いします。


よくアンティーク塗装はきちんと精密に加工した楽器を作れない人が逃げとしてやるわけなんですが、そんな甘いものではないのです。本当に難しいです。それらから学ぶことも多く自分や自分の師匠の楽器製作の限界を超えるためにも重要です。

「自分自身のオリジナリティ」ということを言いますが、現代の楽器作りはストラディバリのモノマネが主流ですから自分のスタイルだと思っていても知らないうちに中途半端なストラディバリコピーになっているのです。

過去500年間、数えきれない職人たちによって作られた楽器から学ぶのは決して無駄なことではないと考えています。自分で新しいものを考えたと思っていても誰かと被っているものです。ただ無知なだけなのです。



この楽器の試演奏について募集します。
詳細は次回発表します。