事例研究/ケーススタディ【第5回】100年経ったヴァイオリンのオーバーホールの後半です | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

新作の楽器を作っているのですが、私の楽器には強敵がいます。
それは50~100年前の東ドイツやチェコやハンガリーなどの安い楽器です。

50~60万円で買えるこれらの楽器と比べられると本当に苦戦します。

この前の100歳近い楽器のオーバーホールの続きです。








皆さんからご意見をいただいております。
弦楽器に興味を持っている人も確実にいらっしゃるようです。
その一方で意見をうかがうとどうやら残念ながら東京は世界で一番弦楽器について間違ってい理解している地域ということになりそうです。
間違ったことを信じているくらいなら、弦楽器についての理解度は何も知らないジャングルの奥地の原住民のほうがましということですね。

それを正すのは私は楽しくないので勝手にやっていてくださいという気持ちです。
人様に指図するつもりはありません。

商業的な目から見た楽器の価値と、技術的な目から見た楽器の価値が全く違います。
東京でボッタクリ価格で高い値段がついていたときに、それを見て「うわーすごい一流の職人の作品だ」と皆さんが思っても、技術者としての私の目には、他に同じレベルのものを作れる人が世界に数千人はいるありふれた楽器でしかありません。東京で名前が有名なだけでそれはクラシックの本場で言っても誰も知らない名前です。

技術というよりは心理学の話なので何度も言いたくないです。








ごく一般の弦楽器奏者はそこまで興味を持たなくても実用的に優れた楽器を買ってメンテナンスを行えば十分です。

当ブログではそれよりも一歩深く弦楽器を楽しむことができないかと考えています。


弦楽器を作っている側の人間から、弦楽器を作っている実際のところをお話ししたいと思います。


腕時計などは、時間が正確であることが大事である人もいるでしょうし、宝飾品のように自分自身を飾り付けるということもあります、また精巧に作られた精密機械に興味がある人もいると思います。

弦楽器でも音が出ればそれでいいという人もいるし、まあ無駄にお金を払っても有名な作者の高価な楽器を持っていれば舞台でも自信が持ているということもあるでしょう。

ヴァイオリンの初期の時代から、精巧に美しく作られたものは貴族たちがコレクションとして大事にしてきました。

そういう理由で、必ずしも高いものが音が良いというわけではありませんし、精巧に作られたものが音が良いというわけでもありません。昔から貴族は腕の良い職人が作った精巧な楽器を買い、職業音楽家は安い値段の実用的なものを使っていたのでしょう。


そのようなこともありますから、適当に作られた楽器でも音が良いことは十分あり得ます。


師匠から聞いた話なのですが、教会の建物でいろいろな楽器を試す試みがあったそうです。優れた音楽家たちと名だたる名器が集められました。ストラディバリやガタニーニなどもあったそうです。それらの名器の中で一番音が良かったと誰もが認めたのは、私の今いる地域の19世紀前半に活躍したヴァイオリン職人の楽器だったそうです。世界的には全く無名で私も地元だから知っているようなものです。値段にしたら最高で250万円くらいでしょう。新作に300万円出すのがいかにばかげているかわかっていただけたでしょうか?

この人はかなり早い時期にフランス風のモダンヴァイオリンを作っていた人で仕事はそんなに特別精巧な人ではありません。むしろかなり雑な楽器もあります。同じものを今ヴァイオリン製作コンクールに出したら最初の審査で落選してしまうでしょう。



私は音が良い楽器の特徴とか条件とかそういうものがあるのか調べてきましたが残念ながら、調べていくほどわけがわかりません。仲間の職人とも話していますが「古ければ何でもいいんじゃない?」というところに落ち着きます。

私が古い楽器の複製を試みると音色に関してはある程度再現できます。したがって音色に関してはその作風によると言えるかもしれません。しかし鳴る鳴らないで言うと同じようには鳴らないのです。

古いクレモナの楽器などは材料が特別じゃないかなどと言われることもあります。当時高い名器を専門に扱っていた職人に、安い楽器でも50~100年前のものには強い音の楽器はよくあると教えました。安い楽器を気にしたことが無かったのでしょう、実際にその人も安い楽器を試したら私が言うように音が強かったということを言っていました。

盲点ですね、彼にとっては新発見です。
高い楽器ばかり扱っていると初めから安い楽器が音が良いなどとは考えないのです。アメリカ大陸の発見みたいです。原住民からすれば「発見?すでに俺たちが住んでいるのに・・・。お前らが知らなかっただけだろ?」って・・・・



音量で言えばどこの産地の楽器でも材料でも構わないわけです。
とにかく音が大きい楽器を良い楽器だと考える人は少なくないので、そうなると「古ければ何でも良い」という話になってしまいます。


名品を手にしたいとか、優れた職人のファンになりたいという人もいるでしょう。しかし作っている側からは、「音の良さ=楽器の良さ」とすると職人としても腕前について「ひどくなければ何でも良い、古い世代が有利。」としか言えません。




ヴァイオリンに作家性はあるか?
創作的なものには「作家性」というものがあります。これはその人独自のアイデアや独特な表現が評価されます。また、技術の分野では発明の特許があります。これもその人が新しい技術を発明したために知的財産として許可なく真似することはできません。

弦楽器についても同様な「作家性」や「発明」ということがあるのでしょうか?
もし作家性や発明のようなことがあるのなら、高く評価されている人の楽器が高価であるのもうなずけます。その人にしか出せない音があるからです。

また商品はそのデザインによって人気を獲得することがあります。意匠登録された商品のデザインを真似することは許されませんし、人気商品を真似するという行為自体が「パクリ」と消費者に非難されることが当たり前です。

弦楽器もより魅力的なデザインを目指して職人たちは、独創的なデザインを作り出そうと日々努力しているのでしょうか?



私は弦楽器の業界はこれらとは全く違うものだと考えています。

弦楽器職人は基本的に、同じ技術で同じデザインのものを作っている。
ただ人によって微妙に違いがある。そして音も微妙に違う。



こういうものだと考えています。
変わったデザインの楽器を作る人もいましたが、私たちの業界ではゲテモノとして相手にされてきませんでした。

音についてもこういう音にしようと考えてその音の楽器を作っている人はごくわずかでしょう。
私が知っている職人にそういう人は一人もいません。
世に出回っている楽器のほとんどは音のことなど考えずに教科書通りに作っているだけです(本人は音が良い作り方だと盲信している)。音のことなんて考えていない楽器が古くなって良い音になることが十分に有り得ます。ひどくなければ何でも良いのですから。

仮に音について研究に研究を重ねてイメージして音が作れるようになったとしても、何も考えずに適当に作られた楽器に負けることもしばしばでしょう。


そもそも音について語ることは業界ではタブーになっている部分があります。
ストラディバリについて書かれた本は数多くあります。しかし音についての記述はありません。作者ごとの音の特徴を書いた記述などは全くありませんし、それについて良し悪しを専門家たちが評論している記述もありません。

音の価値については定まった評価などはありません。


唯一あるのは商業的な価値・・・つまり値段です。これは相場と言ってオークションなどの取引価格などがもとになっています。ただこれは人気の話であって実力を反映したものではありません。個々の作品や作者ではなく流派によって値段が決まっています。

技術者からすると公平で客観的に音を審査する手続きがないので人気は実力を反映しているとは言えません。

さらに相場が定まっているのも、第2次大戦よりも前の作者に限られています。現役に職人についてはまだ相場すらもありません。

現役の職人の評価は存在しません
東京のローカルでは西ヨーロッパでは誰も理解できない謎の評価があるようですが・・・


独創的なデザインはないにしても、人によって特徴がある場合もあります。これについてはその人の美意識が反映されている場合もありますが、あまりにも微妙です。何かを表現しようというよりは人の顔のようにみな違うという感じです。

職人の立場から言うと見慣れているものは普通に見えます
仮に独創的なデザインだと思っても本人はそれを見慣れているので普通に見えているだけかもしれません。師匠や自分の流派の楽器しか見たことなければそれが普通なのです。意図的にそういうスタイルにしているというよりはそれしか知らないというのが本音です。他の流派の楽器や古い時代の楽器について研究している熱心な人は少数派です。

また生涯にわたって全く同じ楽器を作り続けた職人もいます。
それでも若い時と晩年では多少違います。本人は同じように作っていたつもりでもいつの間にか少しずつ変わってきていたのでしょう。本人は独自のスタイルを貫いたつもりでも知らない間に変わっていったのです。

同じものを作ろうとしても変わってしまうわけですが、作風がバラバラの職人は少なくありません。作者を特定するのが難しいのは品質も作風もバラバラの職人が多いからです。設計するのも適当なら加工するのも適当です。そうなると同じ作者の楽器には見えないくらいになってしまいます。依頼主の都合で高級品を作ったり安物を作ったりもしました。

個人で一つの楽器を作ったと決まっているわけでなく家族経営の町工場みたいなケースも少なくありません。ストラディバリ家やグァルネリ家もそうです。スクロールを違う人が作っていることもあります。弟子が作った楽器に師匠の名前がついていることもしばしばです。

J.B.ヴィヨームは本人が作っていなかったことは有名ですが弟子が作っただけでなく、独立した弟子から買い上げていたでしょう。下請けシステムですね。
弟子のほうが師匠よりうまいこともあります。
アントニオ・ガダニーニはフランス人の弟子が作っていました。本人は楽器が作れないといういわゆるゴーストライターですね。





多くの場合作者の意図と音は関係ない上に、音について語ることはタブーです。
独創的な音についての評価は存在しません。
その人が独創的な技術やアイデアでその人にしか出せない音を作り出しているわけではありませんから、作家性や発明などというものはないと考えています。

弦楽器については独創的なアイデアは技術が入り込む余地はあまりなく、独創的な楽器に対する評価も評論もありません。



本人が作っていなかったり腕の良さも音とは関係ないとすると、あの作者はどうだとか真面目に語るのもバカバカしくなってきます。




その上で・・・・弦楽器を味わう

ここからは私個人の楽しみ方になるのですが、「音が良い楽器はこういうものだ」とか「こうなっているものが良い」とか、「こういうものは良くない」とか「最近はやらない」そういう理屈でこれはダメとか言うのではなくて、それぞれの違いを見ていくと面白いものです。始めはヘンテコな楽器だなとおもしろがっていたのが、見ているうちに今度はそれに見慣れてしまって普通に見え始め、「美しい」なと感じることすらあります。そして別の楽器を見ると今度は別の楽器がヘンテコに見えます。

例えば細長いモデルの楽器を初めて見ると「なんだこれ、細長いな。」と思います。修理などをして毎日のように見ているといつの間にかそれが普通に見えてきます。そして他の楽器を見たときに「なんだこれ、太いな。」と感じるのです。

修理していると初めは何とも思っていなかった楽器が、完成するころには美しく見えるようになっていることがよくあります。仕事中に加工の正確さや細部まで見ることによっていつの間にか魅了されているのです。修理が終わるころにはすごくいい楽器に見えてしまうわけです。

私だけじゃなくて他の職人にもあって、はたから見ると「なんだこの変な楽器」というのを、彼は大変美しい価値の楽器と感じていて過大評価しているように感じます。

職人あるあるかもしれません。


大きさもそうです、ヴァイオリンの仕事をしていてチェロの仕事を始めると「大きいな」となりますがそのうち慣れてきます。ヴァイオリンになるとこの前まで普通だったのに今度は「小さいな」となります。チェロを作った直後にヴァイオリンを作ると普段より短時間でできます。感覚が大ざっぱなになっているのでしょう。

意外かもしれませんが、大きい楽器の仕事をしているとヴァイオリンをパッと見たときにこれは大人用なのか子供用なのかわからないことがあります。0.1mm単位で仕事しているのにです。


このように目の感覚というのは相対的なものです。
いろいろな楽器を見比べることが大切です。一番良い方法は同じものを作ることです。それは私がみなさんの代わりにやって伝えていきたいと思っています。

音についても同様のことがあって、比べてみないと特徴が分からないということがあります。新作ばかりで自分の楽器しか見たことなければ、見た目が独特になっていくのもありますが、音についてもかなり特殊な音になっていても気づかないでしょう。本人はまともな音のつもりでしょう。大きな産地では周りにあるのは新作ばかりですから、それとの比較になります。

常にいろいろな楽器と比べる必要があります。私の場合には外観が古びたものを作ることがあるので、古い楽器と比較されることがよくあります。ふつう新作と古い楽器は別の種目の競技のように比較されないことが多いです。古い楽器と比べることは自分の実力を知るうえで大切なことだと思います。

私は暗い音の楽器をよく作りますが、新作ばかりの一大生産地なら「自分の楽器の音は変な音じゃないか?」と不安になるでしょう。しかし古い名器と比べると同じように暗い音がし、場合によっては名器のほうがさらに暗い音の時があります。

新しい楽器しか弾いたことがない人なら、古い楽器が音がどんな音がするのかわからないわけですから、新しい楽器の音が普通だと思ってますが、実はかなり偏った音かもしれません。お店の品ぞろえも同じですね。

国単位で見ても新しい楽器が多い日本のオーケストラは明るい音がすると、トマスティク社も分析しています。


ニスの色も新しい楽器では鮮やかなオレンジ色・赤が多く見られますが古い楽器では渋い暗い色をしています。古い楽器が多い地域ではカルテットをやるのに新しい楽器を買うと一人だけ浮いてしまうので私のアンティーク塗装の楽器を使っていただいている方もいます。日本なら古い楽器が浮いてしまうのでしょうか?

音色についても同じです。他が古い楽器を使っていると一人だけ明るい音だと浮いてしまいます。


楽器や職人の優劣は置いておいて、そういうわずかな違いを感じることが味わうことになるのではないでしょうか?

弦楽器職人は基本的に、同じ技術で同じデザインのものを作っている。
ただ人によって微妙に違いがある。そして音も微妙に違う。


違いを楽しむとそれ自体が楽しみですが、好きなものが見つかったり、気分や曲に応じて使い分けるというようなことも楽しいかもしれません。


ザクセンのあいつ


予定を変更してこのまえの続きにします。
商業的には全く取るに足らない楽器でも技術的には高い値段がついている楽器と大して変わらないので音が良いことはいくらでもあるという話です。


安い楽器を大量に作ったザクセン州マルクノイキルヒェンのマイスターヴァイオリンです。値段にしたら60万円くらいのものです。

その後調べてみると小さな工場を経営してたようですね。
同じメーカーのもっと安上りの製品も目にしました。
今回取り上げているものはこのメーカーのものでも高品質なものです。

大量生産品の上級モデルやマイナーな作者のハンドメイドの楽器は、見た目は最高ではありませんが音響的にも品質も悪くなく実用上は優れたものものです。これらの楽器の100年前のものになるとさすがにバカにできません。チェロは大変人気があり、修理が済んで1週間以内に買い手が決まることも少なくありません。

最高ではないとはいえ見た目も悪いものではなく、並の職人のハンドメイドのものと変わりません。戦後のものでも荒化工は機械を使い、仕上げは入念にすれば並の職人と完成度は変わりません。私は個人的な趣向で、機械では出せない味を大事にしています。

これよりずっとひどいイタリアの楽器もたくさんあります。同じ時期のものなら値段は10倍です。


当時マルクノイキルヒェンではストラディバリのラベルを貼るのが多かったですが、このメーカーは自分の名前を付けていたようです。

もう少し早い時代のラベルには「最適化された共鳴板を使って物理法則に基づいて作った」みたいなことが書かれています。共鳴板というのが何かは分かりません。

おお、例のいわゆる怪しいやつです。

表板の中央が異常に厚い理由はこれでしょうか?
現代の日本でもマイナスイオンとか血液型で性格がどうとか言っていますから人間なんて変わらないものです。

変な理屈を信じることは音が悪い楽器が作られる原因になります。多くの場合は効果がなく音は普通だったりします。健康食品と同じです。医薬品のように効果を検証していませんが、毒であるかも怪しいですね、何も効果がないならお金を失うだけでまだましです。

このブログでもオカルト思考に陥らないようにと再三注意を喚起しています。


残念ながら表板が厚すぎると思いますがそれでも、作られてから100年経っているというプラス効果はあると思います。


修理が完了しました


一番大きな損傷はスクロールでした。

スクロールの左側壊れていていい加減な修理がされていました。ブナの丸棒を突き刺してパテで成型してありました。新しい木を取り付けて加工しなおしました。

塗装すると・・・

普通に見たら壊れていたなんてわからないでしょう。ちょっと繊細すぎてアマティっぽい気もします。


表板はヒビを接着し木片で補強しました。バスバーも交換しました。

これくらいは軽傷で修理としては簡単なほうです。


表板を接着します。これも程度が良い楽器なので割と簡単です。横板がずれないようにするのが難しくチェロやバスで非常に苦労するものもあります。

薪ストーブを使っているので焼き芋を作りました、アルミホイルが散乱しています。ポルトガル産のさつまいもです。


ネックの角度つまり駒の高さが理想より3mmほど低いのでしたが、表板を付けるときに多少動かすことができます。多少では無理でしたので指板の下に薄い板を張り付けることにしました。

これもよくある安上がりな修理です。本格的に直すならネックを外して付け直すか、もっと理想はネックを切って新しく継ぎ直すことです。この楽器の値段を考えると安上がりな修理で十分でしょう。

新しい木は白いですが、ネックの部分はニスを塗らないところなので色を合わせるのは難しいです。私がイミテーション塗装で培った木を染める染色のノウハウでこれくらいにはなります。

完全ではありませんが、音響上も演奏上もこれで理想的になることを考えれば実用上十分だと思います、もともとそういう楽器です。

特にザクセンのこの時期の楽器は耳障りな音がすることが多いので、ネックの角度には神経を使います。


表板のエッジやコーナーも損傷を受けていました。

新しく木を足します。


塗装するとこんな風になります。また傷がついて汚くなるのでこれくらいにしておきます。
高価な楽器ならもう少し真剣にやりますが十分です。

全体像はこんな感じです、指板はすでに新しいのものに変えてあったので削って仕上げ直しました。

ペグも新しいものを取り付けます。前回の記事と同じことです。
穴を埋めなおしたので細いペグを付けられます。太いいペグはペグボックスの中が狭くなるだけでなく、弦を巻き取るスピードが速くなります。つまりちょっと動かすと音程が大きく動いてしまうのです。細いペグのほうがゆっくりと音程が変わります。そういう意味でも快適です。
古い楽器を買うときはこういうのもちょっとした差ですけども重要です。

ペグは良質な材料で加工も美しく手にもなじむローレンツのものです。
クラシックなデザインなので素人目には安物に見えるかもしれませんが、本当にクオリティの高いものをというのはこういうものです。


ニスも補修して磨き直すことでピカピカになります。ニスの素材はラッカーだと思います。ラッカーはセルロイドと同じもので初期のプラスチックです。伝統的に名器に使われてきた天然樹脂のものではありません。

ただしラッカーは数十年もするとひび割れを生じてボロボロになるものです。普通ラッカーで100年も耐用年数はありません。ラッカーとしては良質なもので柔軟剤など材料の配合なども洗練されていました。エレキギターではラッカーでさえ伝統的な塗装だとされています。

アメリカでギターの製造にあたった人たちもこのマルクノイキルヒェン出身の人が多くいたそうです。マルクノイキルヒェンは弦楽器だけでなく様々な楽器が作られていました。塗料の需要も多く専門の工場があったのでしょうね。

弦を張って完成


魂柱を入れ駒を取り付けます。これらも前回説明したとおりです。

弦を張って完成です。

弦はピラストロ社のオブリガートを張っています。
この弦はうちの店で最も使っている人が多い高級ナイロン弦です。どちらかというとクリアーで落ち着いた暗い音です。荒々しい音がすることが多いザクセンの楽器には最適です。日本では使っている人が少ないと聞いています。同業者の人と話をすると音の好みや弦の選択がまるで違うのに驚かれます。

ピラストロでもアメリカや日本向けに開発されたのがエヴァ・ピラッツィのほうです。うちではあまり使っている人はいません。
ちなみにドミナントを使っている人は全くと言ってもいいほどいません。古い製品なので新しく開発されたものを素直に受け入れている人が多いということです。

日本は上下関係が厳しいので先生などが薦めたものを神聖視して古い銘柄の弦が使い続けられるのだと思います。



古い楽器は音が良いと言っても、修理が欠かせません。
100年間大掛かりな修理はされていませんでしたから、これで事故が無ければ次の50年くらいは大掛かりな修理はいらないでしょう。大人の人なら一生何とかなりそうです。それでも消耗品の交換やメンテナンスは欠かせません。50年も使えば150年前の楽器です。


気になる音ですが…
広いホールの遠くまで音が届くかどうかというのは試していません。
自分で弾いた感じでは新作の楽器よりはいくらか音が強く感じられます。

それはいわゆる「鳴る」ということと音色のキャラクターが「硬い」という両面があると思います。
厚い板にもかかわらず暗い音に感じました。本質的には薄い板のオールドの名器とは違うのでしょうがパッと弾いた感じでは新しい楽器にありがちな明るい音ではありません。


こういうタイプの楽器は音が硬いことが多く、それを強い音だと評価する人もいればうるさいだけで上質な音ではないと評価する人もいます。やかましい音の楽器は意外と遠くまで届かないものです。表面的に鳴っているだけで楽器全体が大きく振動していないようなイメージを持っています(科学的には分かりません)。

このような楽器を良いと思うかそうでないと思うかは自分で判断するしかないです。

私の働いている店では一度に1週間5本くらいまで楽器を貸し出して、ホールに持っていったり仲間や上級者に弾いてもらって離れて音を聞くということもできます。そうやって納得して購入してもらっています。

こういうことですから実力がない楽器は売れませんし、新作の楽器は不利になります。
東京で5倍くらいの値段が付けられてちやほやされている作者の新作楽器も全く通用しないことがしばしばでしょう。
60万円くらいの大量生産品の延長のようなこの程度の楽器でも新作の楽器にとっては強敵になります。倍くらい出せば100年前の日本では名前が知られていなくても正真正銘の素晴らしいハンドメイドの作品もたくさんあります。

それがイタリアの新作楽器がヨーロッパで売れていない理由です。

鳴らない楽器を喜んで買うのも異常です。「有名な職人の楽器だから鳴らないのは自分の腕が悪い。」と考えてくれるのは日本人くらいです。

弦楽器職人は基本的に、同じ技術で同じデザインのものを作っている。
ただ人によって微妙に違いがある。そして音も微妙に違う。


特別な人だけが音の良い楽器を作れるわけではありません。


私は古いオールドヴァイオリンを研究してつくっています。まだ鳴っていないとはいえうるさいだけの楽器とは違う魅力を感じていただける一部の方には愛用してもらっています。


このシュースターの楽器も特別なものでも何でもありません。
例として紹介するために載せただけです。ありふれたものです。

シュースターの名前の楽器を特別に探す必要はありません。品質がそこそこで100年も経っている楽器、作りに問題がなくしっかり修理されていれば音が良い…少なくとも音が強く感じられる楽器はゴロゴロあるということです。

日本にはゴロゴロはないのかもしれませんね。