気楽にストラディバリを味わう【第23回】もはや細密画か模型製作?アンティーク塗装の実践 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

塗装についていろいろ語ってきましたが、今回は実践編です。


▽ 気楽にストラディバリを味わう ▽

ブラインドテストで低い評価を受けるのがしばしばのストラディバリウス。
「そんなもの研究しても意味ないじゃん?」と頭の良い人は指摘するでしょう。
そう固いことを言わず、何億円もかけずにストラディバリを味わって楽しんではいかかでしょうか?



こんにちは、ガリッポです。

近くの川岸でこのような木を見つけました。
ずいぶんと深くえぐり取られています。結構大きな木なので、これだけ彫るのは大変な作業です。
誰の仕業でしょうか?


こんな跡も残っています。






齧歯目の動物、ビーバーではないかと思うのですが…
ビーバー自体は同じ場所で目撃したことがあります。近くの細い木が切倒されたこともありました。
どうなんでしょう?
わかる人いますかね?


木が倒されたときは、日ごとに樹皮がなくなっていっていました。夜にやってきては食べていたのでしょう。
調べてみるとビーバーの好物は柳の木だと書いてありますね、確かこの辺に柳の木が多く生えていたと記憶しています。この木も柳かもしれません。柳といえば、ストラディバリやアマティのヴァイオリンの内部に使用される木材です。私のヴァイオリンにも使用しています。

子供向けの説明やクイズなんかで「ビーバーの好物は?」とあったら、「木の皮」と答えれば正解ですが、地元の野生動物を紹介するテレビ番組で野生のビーバーにリンゴをあげたら喜んで食べている様子でした。

木の皮は大好物ではなくて、それしかないから仕方なく食べているのかもしれませんね。



ただし草食動物は植物の繊維を分解して栄養にするので人間の食べ物は美味しくてもおやつにしかならないらしいです。

木工職人でもあり、ダムや住居まで建築するのですから土木建築までこなすというとんでもない動物ですね。頭が下がります。







ヴァイオリンは作品などではなくただの道具

単に音楽を楽しむための道具というのなら、別に凝ったつくりのヴァイオリンは必要ありません、普通に作ってあれば十分です。音が良いというのだけなら平凡なできの古い楽器をお勧めします。

日本では歴史も浅く演奏者も少ないので何か特別なものかと思ってしまいますが、ヴァイオリンなどはただの道具です。道具ですから作品などと言うようなものではありません、道具として機能すれば良いのです。

弦楽器職人の工房はヨーロッパならどこの町にも数件あり特に珍しいものでもありません、たとえばミュンヘンだけでも40件以上あると聞きました。複数の人が働いていることもありますから職人の数はもっと多いです。まともに修行した人ならだれでも「道具」を作ることができます。

自動車整備工場のようなものです。自動車整備士を芸術家として崇拝することもありませんし「世界一」と評判でなくても良心的な価格で自動車をキチンと直してくれればそれでいいのです。

日本では歴史も浅く弦楽器がピアノや管楽器に比べ演奏者が少ないという特殊な事情もあるため、単なる日常的な道具として弦楽器が身近なものではないのです。その不安感が天才信仰やブランド信仰を生み商人に付け込まれてしまうのです。

多くの場合、50年でも100年でも経った楽器であれば新品のものに比べれば、発音が良く音量があってカラッと抜けが良いものです。音色には好き嫌いがありますからすべての古い楽器が優れているわけではありませんが、普通に考えれば古い楽器のほうが有利です。

私の勤める弦楽器店でも古い楽器と新しい楽器をごちゃまぜにして名前や年代を見ずに試演奏していただくと古い楽器を選ぶ人のほうが多いです。

ただの道具?

弦楽器はただの道具なので職業人として社会的責任を持つのなら作りに問題のなさそうな中古楽器を修理して売ることが主な仕事になります。ヨーロッパでは過去においてたくさんのヴァイオリンが製造されたのでそれらを修理することが新しく作るよりもずっと世の中の役に立ちます。音が良いからです。

クラシック音楽の歴史があり盛んな都市ではどこでも職人たちは修理の仕事ばかりしています。



先日も私の勤めるお店に100万円程度の予算でヴァイオリンを探していた人がきました。私のお店ではウンチクや能書きを垂れて、実力のない楽器を売りつけるようなことはしていません。名前なんかは見せずに予算にあった楽器をずらりと並べるだけです。

結局ハンス・トラウトナーという東ドイツのマルクノイキルヒェンで修業し戦前に活躍した職人の楽器を気に入っておられました。この人はおもしろいことに、理髪店を営みながら弦楽器を製作していた職人でとても独特のスタイルの楽器です。作風にはアマチュア的なところがあってチェロはストップの長さに問題があります。


ただ私が残念に思ったのは、じっくりと試演奏するのではなく音をパッと2~3音出してすぐに「これはダメ」という具合で選んでいたところです。楽器というのはそれぞれ音の出る加減が違っていて楽器に合わせて弾き方を変えなければいけません。我々業界の者が試すときは探り探り弾くわけですが、今まで自分が弾いていた弾き方と全く同じ弾き方で音がうまく出る楽器を選んでしまっているのです。それだと、自分の楽器が音が一番良いことになってしまいますし、同じタイプの楽器しか良さがわかりません。

こういうお客さんが来たときには全く新作の楽器の出る幕はありません。


私は会社に勤めて責任のある職業人として社会から求められる仕事をしています。ただし労働時間が短いので余暇の時間を使って自分の楽しみとして弦楽器を研究して楽器を製造しています。

弦楽器のおもしろさを深く知る人間として知ってもらいたいこと

ただの道具ですから楽器自体に興味を持つことなくても音楽にだけ集中していればそれでいいのです。

ただ弦楽器というのは人間の英知の結晶でありそれ自体興味を持つと面白いものです。技術的にも面白いですし、歴史もあります。芸術や文化とも密接に関係していますし、過去にはたくさんの職人がいました。単に「音が出やすい=優れている」というだけで終わりにせずに自分の知らない世界をのぞき見る窓とすることができればより人生に楽しみをもたらすのではないでしょうか?

戦前米国では鉄道模型が子供から大人まで一世を風儀したそうです。
私の地域でもショッピングモールに年に一度ジオラマセットが設置されて子供から大人まで模型の精巧さに魅せられ見入ってしまうものです。

私自身は詳しくありませんが、鉄道模型は、機械で動く車両の模型に加え、ジオラマセットを作ります、物を作る手作業に加えて工業技術や土地利用などの産業や自然の地形など背景まで想像する奥深い世界があります。

戦前子供の教育に良いおもちゃとして推奨され、発明大国アメリカの礎の一つになったとも言えます。

鉄道の車両や鉄道施設を所有することはできませんが、模型なら可能ですし、蒸気機関車が走っているような失われた過去の世界までも再現できます。

単に鉄道を利用することに加えてより一層楽しみが増えるのです。


私が行っている弦楽器の名器を再現する試みもこれに似ているところがあります。時代による弦楽器の作風の変化を知ることは重要です。その時代の人たちが何を考えて楽器を作っていたのか想像するためには時代背景も知る必要があります。さらに名器が数百年という月日を経過してきました。どのように使われてきたか想像することもイメージの世界が膨らんで楽しいものです。
経済史や木工技術、工具の歴史も興味深いです。

弦楽器以外の工芸品や建築物の装飾なども勉強になりますし、宗教や芸術が表現しようとしてたものを知ることも、普通日本に生まれ育っただけでは知りえない美意識を初めて知ることもできます。中高生の時には年長者をオヤジ臭いとバカにしヤンキーに感化され、そのまま大人になってしまうと美について知ることもありません。

私は弦楽器を通じて、情熱を持った多くの人たちが数千年にわたって作り上げてきた美というものを味わうことができたらなと思っています。


ちょっと大げさですが、もっと単純に、鉄道や航空機、戦車や兵器、各種業務用の機材や道具、レーシングカーやレース用バイクへの憧れのようなものだけでもいいかもしれません。世界的なソリストが使うような楽器をそのままスケールダウンしたものを手にできるという魅力を分かってくれる人はいらっしゃいます。

単に音が出やすいという一点に特化したものではなく、200年以上前の古い名器は50~100年くらい前の近代の楽器とは構造が違うため持っている音色の深みや味わいも違います、それを再現して・・・、もちろんオリジナルにはかないませんが、少なくともその値段の差よりは近いものになるでしょう。


それでも日本に実力のある安い楽器が輸入されていないのなら私の楽器でも十分優れた部類に入ってしまうでしょう。欧州の激戦区で魅力ある楽器作りを目指していることで常に高いレベルが要求されているのです。


塗装の工程

蒸気機関車はその効率の悪さから使われなくなってしまいましたが、その一方で人気があります。

ヴァイオリン自体が電子楽器などに比べれば演奏も難しいし音量も小さい、音色も澄んだ音ではありません。でもそれにこそヴァイオリンの魅力があります。その魅力をより引き出せるような楽器作りを目指しています。

これまでも塗装の話をしてきました。

アンティーク塗装ということでしたが、そのほうが雰囲気が出るという現実を無視できません。心理的な効果としてこれを積極的に活用したいと思います。しかしながら、中途半端なものは大変に醜いものだと紹介してきました。一般の人の目は騙せても、私は醜い楽器を作るの大嫌いです。全然古く見えないアンティーク塗装なんてただ汚いだけです。


そのため、①新品らしい新品、②風合い加えた新品、③本当に古い楽器に見えるリアリズムを追求する・・・そのどれかでしょう。

今回は③なのでとても手間暇がかかりすぎて流通させて商業ベースに乗るようなものではありません。



始めはこんな感じでした。下地のを着色して程よい色を付けるのがポイントです。




オリジナルニスもしくは同色の修理ニスが残っているのはこの部分です。ここにオレンジ色のニスを塗り重ねていきます。このように塗り分けただけで完成としてしまうアンティーク塗装は大嫌いです。




塗って終わりではなくて今度は剥がします。剥がしやすくするためにはニスの質を工夫する必要があります。すぐに固まらずにしばらくの間半ゼリー状でやがてしっかりと固まるニスです。柔らかいだけではニスとして耐久性がありませんし、早く乾きすぎると剥がすのに苦労します。色を濃くするには何層も塗り重ねる必要がありますから、何層も塗り重ねて中は半ゼリー状というのが理想です。これを応用すれば表面に亀裂を生じさせることもできます。古い楽器のすべてに亀裂が入っているわけではないので、やたらめったらやるとテクニックをひけらかしているだけになってしまいます。ストラディバリにはそのような亀裂は見られません。

剥げたところに汚れとして濃い茶色の顔料を刷り込みます。






うっすら出来上がってきました。ポイントはニスが残っているところもすべて均一にするのではなく濃いところと薄いところを作ることです。

さらに作業を続けていきます。1週間でこんな進展具合です。




さらにもう1週間・・・




別角度で


まずは表板から





ポイントは明るいところが島状に点在しているところです。



写真によって色がかなり違って見えます。実際も部屋の光によって色はさまざまに見えるのが難しいところです。

オレンジ色の色ニスだけでなく、黒っぽい部分があります。これは汚れを再現したものです。この黒っぽい部分も均一ではなく場所によって濃いところと薄いところがまばらになっています。難しいのはオリジナルのニスがない部分の色です。島状に点在しているところもです。

次は裏板・・・・






裏板も汚れを再現しています。どこが黒くなっているのかパッと見でわからないかもしれません。それは自然である証拠です。わざとらしいのが最悪です。わざとらしくするくらいならきれいすぎるほうがましです。使っていくうちに本当に古くなるからです。

そのほかの部分です。





難しいのはニスが剥げてしまったところの色です。この色をうまく出せるようになるのに何年もかかりました。ニスが残っているところも均一に塗られているのではありません。汚れのつき方も場所によって違います。

今は塗りたてなので光沢があります。これでは塗り立てっぽく新しく見えるのでやや落とします。さらに黒い指板や白い駒がつくとコントラストによってで見た目の印象はまた変わってきます。

ニスの表面はツルツルではなく、革の表面のように細かい凸凹にしてあります。アルコールニスではハケの跡が筋になって残ってしまいますのでハケの跡を取るためにサンドペーパーや磨き粉でゴシゴシと研磨する必要がありますが、これをやると表面がツルツルになりすぎて新しい楽器のように見えてしまいます。

私が使っているのはオイルニスでなおかつ粘性を適切に調整してあるのでそのような表面にすることができます。ちょっとだけ研磨して光沢を落とせばツルツルにしすぎることなく仕上げることができます。

またアルコールに溶ける成分を多く含んでいるのでメンテナンスにアルコールを使って磨き直すこともできます。

塗り分けるむずかしさ


次の二つの画像を見比べてください。


上の画像ではオレンジ色しかありませんが、下の画像には黒っぽい色が追加されています。これが重要なのです。オレンジ色の層も黒っぽい層も場所によって濃さがまばらになっていますが、もし黒っぽい色を用いずオレンジ色の濃淡だけで、黄色→オレンジ→赤茶色という濃淡で表現すると全く違うものになります。

黄色→オレンジ→赤茶色という濃淡と、無色→灰色→黒という濃淡が同時に存在しているのです。オレンジ色の濃いところと薄いところがあり、黒の濃いところと薄いところが別々にあるのです。

オレンジ色の色彩と、白黒の陰影が同時に別々に存在しています。
人間の視覚というのは色彩を感知する部分と、白黒の明暗を感知する部分がそれぞれ別の器官になっています。それを脳の中で統合するのです。

動物によっては色彩が発達していない種もあります。肉食獣などは色彩を感知する器官が発達していない代わりに明暗を感知する器官が優れているので暗闇でもものが見えるのです。

ゴシック、ルネッサンス、バロックのような古典的な絵画で人物画を描くとき初めに白黒で立体を描き、その上に色を付けます。昔白黒写真に色を付けることがありましたがそんな感じです。色の部分もすべて均一に塗ると不自然で色彩にも明暗を付けます。

ところが近代絵画では近代科学の光学の成果を取り入れたため、伝統的な白黒と色彩を別々に考える手法は否定されました。日本人の私たちが学校教育で西洋の伝統的な人物画の手法を教わることはありません。

人間は色彩の濃さと、白黒の濃さというのが実は別々に感知することができます。自分の手のひらを眺めてみてください。陰になっているところは肌の色が濃くなっているのではなく、黒っぽく見えると思います。肌の色に注目すると血液によって赤くピンク色に見えたり青く見えるところがあるでしょう。しかし影の部分はその赤が強いのではなく黒いのです。

ヴァイオリンのニスを塗り分けるときも、オリジナルニスの色彩の濃さだけで濃淡を表現すると古く見えません。古い楽器には黒っぽい汚れが付着しているからです。

もう一度例を示します。

色彩の濃淡のみです。

オレンジ色の塗り分けだけでなく、黒も塗り分けなくては本物らしく見えません。黒の濃淡も微妙なのでどこが濃くてどこが薄いのかわからないかもしれません。私がニスを塗るときにはオレンジ色の濃淡と白黒の濃淡は別々に見えています。
これを混同すると全然イメージと違う仕上がりになります。


ニスをムラなく均一に塗るのは難しいとこの前説明しました。それが難しく面倒なのでニスのムラを「アンティーク塗装」だと称して逃げる人がいます。とんでもないです。中途半端なものは古い楽器にすら見えません。塗り方がヘタクソで汚いだけです。

オリジナルのニスの濃淡、汚れの濃淡、ニスの剥げたところの色の色調や濃淡・・・それぞれを計算して濃さを塗り分けなくてはいけません。均一にニスを塗ることのほうがずっと簡単です。均一にニスがぬれないような人が意図的に濃淡を作り出すことができるでしょうか?

本物らしく塗るのは鬼の難易度なのです。

繰り返しになりますが、この後乾かして表面を研磨して光沢を落とします。すりガラスのようになります。この辺の加減もとても難しいです。長年使った楽器を修理して磨き直したくらいの光沢にしなければいけません。


野生動物の話題から入りましたが、動物の知識も思わぬところでつながってくるものです。近代や現代という時代は特定の専門分野にのみ特化することで効率よく知識を高めることができました。レオナルド・ダ・ビンチのように芸術家で科学者だったり、万能の知というのが尊ばれた時代がありました。弦楽器について理解を深めるにはまさに万能の知が求められるのではないでしょうか?