気楽にストラディバリを味わう【第20回】ニスの下地について | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

前回までにネックの取り付けまで紹介しましたが、エッジを仕上げた後に塗装工程に入ります。

ヴァイオリンのニスは大変に難しいものでこれまでの木材加工の工程よりも習得するのが難しいものでもあります。ニスばかり研究するニスマニアという職人もいますし、人や流派によって差が大きく高級品と安物の見分けが最も付きやすい部分でもあります。

木材を加工する工程では機械化で安い楽器の品質が著しく向上しました。塗装についても人工樹脂(プラスチック)のニスをスプレーで塗布することで安くできますが、見た目は明らかに安物になってしまいます。

伝統的な天然樹脂を手作業で塗ると手間暇がかかり安くならないからです。
「とんでもない、職人は余計なことしてクソ高い楽器を作りやがって・・」と思う人もいるかもしれません。

ユーザーは好きなほうを選べば良いと思います。




▽ 気楽にストラディバリを味わう ▽

ブラインドテストで低い評価を受けるのがしばしばのストラディバリウス。
「そんなもの研究しても意味ないじゃん?」と頭の良い人は指摘するでしょう。
そう固いことを言わず、何億円もかけずにストラディバリを味わって楽しんではいかかでしょうか?



こんにちは、ガリッポです。

今回はオープニングトークみたいな感じでグダグダ行きます。
面倒な人は飛ばして結構です。



弦楽器の売買については弦楽器の登場以来、悪質な業者がいなくなったことはないわけで、世の東西を問わずにつきものと言えばつきものです。

作者を偽って売るなどは詐欺になりますが、特定の品目の商品を除けば日本では値段は自由に決めることができます。ヨーロッパで売られているよりはるかに高い値段でも問題はありません。


私のいる国は古くからギルドのような生産者の組合があり、それが今では労働組合になっていて、職人の教育と労働に対する対価というのが決まっています。

したがって原則として職人の作るものの値段は

職人の労働時間×時給+材料費・経費

ということになります。
この考え方が広く普及しているので、お客さんや物珍しさで訪れた観光客でも学校の社会科見学でやって来た子供たちも「ヴァイオリンを作るのに何時間かかるの?」と聞いてきます。職人の資格試験でも定められた時間の中で楽器を作れるかが試されます。時給は資格によって決まります。

つまり作業にかかる時間で物の価値を考えています


日本での考え方はそれとは全く異なり、おそらく、職人の格によって価値が決まると思います。
相撲の番付のように、格が高いか低いかということをとても重要に考えています。


もしヨーロッパなら一通り修行して能力を身に付けたのなら一人前の職人として労働時間に応じて値段を決めることができますが、日本ではいかに技術があっても格が低くければ貧困になるような安い値段も当然だと思われます。

そこで、日本で職人の修行をすることは、技術を身に付けると言ってもどちらかというと偉い人に認められたり箔を付けたりすることに重きが置かれています。


日本の楽器店でイタリアの作者の楽器をヨーロッパでは考えられない高い値段で売っています。ヨーロッパの人なら作業時間で値段を考えていますから、高すぎると考えてそのようなものを買いません。

一方、日本人は作者の格で値段が決まると考えていて、商人が広めた宣伝によって格が高いと信じた人たちは喜んで高すぎる楽器を購入します。

また日本人の作者はその実力よりはるかに低い格を与えられているので、ヨーロッパでは驚くほど安い値段で売られています。



何が言いたいかというと、私のいるところでは骨董的な価値のあるほんの一部の有名な作者の楽器を除けば、中古品を含めて楽器の値段を決めるときに、作業時間を基順にしていることです。

一般に美しく丁寧に作るには時間がかかり、粗雑に神経を使わずに使った楽器は短時間でできます。

そのため粗雑なものは安い値段になり、丁寧に作られたものは高い値段になります。


日本の場合には作者の格によって決まるので、短時間で雑に作っても作者の格が高いと信じられていれば値段が高くなり、格の低い者が丁寧に美しいものを作っても値段が安くなります

こちらでは、私のような若手の日本人が作った楽器でも喜んで買ってくれる人がいますし、日本の工業製品が簡単に受け入れられたのもこのためでしょう。

つまり、日本のように名前で判断するのではなく物の出来栄えで判断しています。一方日本人は外国のものを輸入するときブランド名で判断しますね。本国ではとっくに時代遅れになった製品でもブランドが信仰の対象となり日本だけで売れ続けるという例がよくあります。

これは何も日本に限ったことではなくとかく新興国では起きやすく、東アジア全般的に起きやすいです。

こちらでも、中国人で子供にヴァイオリンを習わせる場合、なんとしてでも有名な先生にレッスンを受けさせたいという人がいました。紹介してくれと頼まれました。

まだ小さな子供で初心者です。

私の師匠は、子供の扱いに慣れた先生なら世界的に有名な人でなくても良いと考えます。
いずれ才能を発揮すれば自然と道は開かれていくでしょう。

東アジアの人にとっては誰に教わったかと言うことが何より大事で先生の名前が物を言うのです。

私の師匠や同僚は「アジアの親はなぜこんなに猛烈なんだ?」と理解できません。
音楽を楽しんでいけばより人生が楽しめるだけの話です、才能があればプロになるし、他の職業に就いても音楽を楽しむことはできます。高校生くらいで「なかなか上手いな」と思っていた子が医学を勉強したいとか数学を勉強したいとかで進学するそんな子もよくいます。

プロになれないからヴァイオリンの訓練なんかやめてしまう、そういうのが残念だと考えているようです。


パガニーニなんかは練習しないとご飯を食べさせてもらえなかったというくらい厳しかったようで、また別の話ですね。




話がそれましたが、イタリアで短時間で作られた楽器を日本で高い値段で売ることができますが、ヨーロッパでは高い値段で売ることはできません。




いずれのシステムにも問題があります。

・作業時間で値段が決まるのなら、のんびりした怠け者の職人の値段が高くなってしまう
・丁寧に作られた楽器は高価だが、ユーザーはそんなことより音が良い楽器を求めている


現代の経済原理と合っていないという問題です。
自分は資格を持っている職人だから当然だと、ふんぞり返って怠け者が高い値段を設定していては楽器が全然売れません。1950~80年くらいまでの高度成長期には職人の数も少なく楽器は売れました。現在の西ヨーロッパの生活水準と労働時間で当然だという価格を設定をしていても他の作者より魅力的でなければ「試験で合格する正しい製造法」で作っていても売れないので、多くの工房では仕事が修理ばかりになっています。




何が悪徳業者で、何が良心的な業者かそういうことは非常に難しい問題をはらんでいます。

私のブログではあくまで自分で楽器を作っている職人の立場からの意見です、他者が作った楽器の売買をしている人とは考えていることが当然違うでしょう。私からは商人の考えることは理解できないことが多くあります。

楽器を作るという行為と、楽器を売る行為は全く違う行動です。製造者のほうからの意見というのはほとんどお客さんには届いてなかったと思います。このブログが目指しているのは職人の声をじかに聞いてもらいたいということです。


製造者と商人では、スポーツ選手とテレビのコメンテーターくらい違う職業だと考えていいでしょう。

選手が何年も人生をかけて日々時間と労力を使ってきたか全く伝わらずに、織田裕二さんの主観で感じたことが視聴者に伝えられます。テレビ局が話題になりそうだと注目した選手だけが映し出されます。


製造者の声も少しは聞いていただきたいものです。



良心的な職人と悪質な職人を区別するのに一番難しい問題は、何が美しいのか定めることです。スポーツであれば勝ち負けがはっきりつきますが、美しさは感じるもので勝ち負けを持ち込むと美しさとは違うことを争いだしてしまいます。

美しいものが作れるのか資格試験で判定するのは困難です。人によって意見が分かれるからです。
美しさの基準を明確に決めたとすると皆同じ作風になります。その基準がストラディバリのものと違えば現代ではストラディバリウスのような楽器が作られないことになります。ストラディバリウスを基準にするとガルネリウスのような楽器は作ることは許されません。

実際にはストラディバリウスの解釈が人によってさまざまで、多かれ少なかれ自分や自分の師匠の作風とストラディバリの作風を混同しています。



私の哲学は「快楽主義」です。「正義」を目指すものではありません。

私は美しい楽器を作るのが楽しく、美しいものができなければがっかりと落胆します。
美しい音が聞ければ本当にうれしいし、音が美しくなければ失望します。





こんなことを考えてしまうのは、美しい塗装をしようと思うととんでもなく手間暇がかかってしまうからです。私は美しいものが作りたいからやっているのであって、「公正で正しい方法」だとは思いません。後輩に同じやり方を「これが正しいやり方だ」と強要するつもりもありませし、教えたところで同じようにできないでしょう。

私が美しいと思うだけですから、他の人は違うものを美しいと感じてもおかしくありません。




これはウィーンの宮殿です。
民主主義の立場からすれば、多くの民衆たちを犠牲にして権力者が贅沢の限りを尽くしたものです。したがって「公正さ」や「正義」を求めていけばこんなものを作るべきではないのです。

美しすぎるものを作るのは間違っているので、すなわち悪です。

美しいものを作るのは間違っているので正義を愛する人たちは美しいものを作ることを許しません。カトリックが教会を美しい芸術品で飾り立てたのに対しプロテスタントはそれを許しませんでした。ルネサンスのフィレンツェでもサボナローラが民衆の支持を集め芸術品を広場に集めて燃やしてしまいました。


私は際立って美しいものをつくるのは、他のことより美しさに夢中になる頭がおかしいクレイジーな人のすることだと思っています。私は文句のつけようのない正しいことを言う人やそのように評価されたものに魅力を感じないのです。

大企業や業界団体のように関わる人の数が多くなればこのようなクレイジーな人の声はだんだん小さくなっていきます。業界で美しさを定めることができないですし、国全体で見たときに美しくない製品を売っていはいけないと法律を定めることはできません。



安上がりに作られたものをバカ高い値段で売ろうとするのが悪徳業者なら、頼んでもいないのにバカみたいに美しいものを作ろうとする私も悪徳業者です。

雑なもの、醜いものを手早く作るのは私はストレスを感じてしまいやりたくありません、しかしこのことに何のストレスを感じない職人もいます。

私には醜い楽器を作る才能がない悪徳職人ですが、自らの快楽のために楽器を作っていきます。

皆さんの中にもクレイジーなほど美しいものを愛するド悪人の方がいたら一緒に楽しんでいけたらと思います。




過去にはこういう悪人たちがいて、今ではウィーンの宮殿は人類の遺産と称賛され多くの観光客を集めています。アマティやストラディバリのような美しい楽器も民衆から吸い上げた富がなければ、作られなかったかもしれません。

エッジの仕上げ

ネック取り付けるところまで紹介しました。あと一息でニスを塗るところまで行けます。

やり方はいろいろあって、ストラディバリの当時のやり方はまたちょっと違うのですが、私は原理主義者ではないのでやりやすいようにやっています。これから角を丸くします。

このようになります。

エッジの仕上げ方は以前にも詳しく紹介しました。
http://ameblo.jp/idealtone/entry-11931281392.html

19世紀のフランスの楽器もストラディバリをお手本にしていたのでこのような仕上げ方でした。しかし現在のストラディバリでこのようなコーナーのものは数えるほどしかありません。なぜかと言うと摩耗して角が丸くなっているからです。

今回はアンティーク塗装にしますから後で角を摩耗したように再現します。

どうせ角を丸くするのなら初めから丸くすればいいのですが、私の場合はまずきっちり新品の状態を作ってから角を丸くします。

全体像

ネックがついてエッジも加工し終えると全体が出来上がります。ニスを塗る前の楽器をホワイトヴァイオリンと呼びます。




裏板を取り付ける前に染めて色を付けてあるので厳密にはホワイトヴァイオリンとは言えません。接着時にかわが染み込んだりすると色がつかないところが出てきてしまうのです。

ストラディバリには非の打ちどころのない完璧さとは違うのですが、得も言われぬ美しさがあります。とはいえ大量生産品とそんなに違うかと言われればそんなに違いません。私は大量生産品で満足したことはありませんが…

アーチは独特で大量生産品には決してないものです。


写真で伝えるのは無理です。


スクロールはこの前と同じですが、これも染めて色を付けてあります。難しいのは場所によってステインの染み込み方が違うことです。木というのは縦にストローのような細かい管を束ねたようになっています。上下方向では液体を染み込みやすいのです。

ステインは植物を乾燥させたものが売られているのでそれを溶かして調合して作ります。3種類の染料の色を混ぜて好みの色調にしました。

下地

塗装つまりニスと言っても木に染み込ませるものと木の表面から上に層を作るものがあります。

よくDIYなんかで木工品を作った時に素人が汚らしくなってしまうのは、ニスが木の中に染み込んでしまうからです。色が強いニスだと染み込んで汚くなってしまいます。

これを防ぐために「目止め」と言うことが行われます。これによって木の中にニスが染み込むのを防ぎます。

目止めにはいろいろな材料や手法があります。

①タンパク質系
②樹脂系
③鉱物系
④油

①タンパク質系
各種にかわ、ゼラチン、卵の白身など

少ない量で強力な目止め効果があります。
にかわの目止めはオールドの時代南ドイツではよく行われていたと聞きます。古いドイツのヴァイオリンのスクロールを修理した時に新しい木で継ぎ足した部分ににかわで目止めをしたところ良くマッチしました。

印象はやや灰色っぽくなり、透明度が落ちる感じです。これは光の屈折率によります。

屈折というのは、水でも生じますが、水面を光が通過するときに曲がる現象です。屈折率は水を基準にしています。屈折率が高いほど透明度が高く感じられきらきらと輝きます。ダイヤモンドは最も屈折率の高いものだそうです。


タンパク質系の材料は屈折率が低めなので裏板のようなカエデがきらきら深く輝く感じが出にくくなるでしょう。

私は表板には使用しています。


②樹脂系
樹脂というのは要するにニスの材料です。色がついていないものか明るい黄色のものを染み込ませて吸い込まなくなるまで塗ります。そのあと余分なものをふき取ります。

樹脂は屈折率がタンパク質よりも高いので透明度高く輝きや深みが出ます。私は裏板に使っています。

水溶性のアラビアゴムもあります。水彩絵の具を固めるために使われているものです。下地に使
うのはいいのですが上の層に使うとニスが水に溶けてしまいます。

ここでは植物の樹液からとれる天然樹脂の話をしています。石油などから作る合成樹脂も大量生産品では使用されるかもしれません。

③鉱物系
石を粉末にしたものなどを使います。

いろいろな種類があって石の粉を木に刷り込んでいきます。他のものと複合にすることもできます。
石だけでも水に溶いたものを塗り込んで乾燥させるとしっかりとした目止め効果を持つものもあります。

これは結構マニアックな方法で、音が良くなるなどいろいろ怪しげな研究をしている人がいます。

私もしばらく研究している時期がありましたが、はっきり言って特別音が良いことはありませんでした。多くのものは屈折率も低く透明度も低いです。ガラスの粉は透明度は高いですが、見た目にも音にも何のメリットもありませんでした。


石の粉でも色があります。
石や土から作る顔料(絵の具のもとになる色のついた粉末)を使うこともできます。黄土(オーカー)という黄色い粉を下地に刷り込むというのも聞いたことがあります。顔料はそれぞれ屈折率があって同じ色でも材質によって透明度が違います。画材辞典などを調べればわかります。

顔料は一般的に透明度が低く特にオーカーは透明度の低い材料です。
私はこれを使うのは屈折率を考慮に入れると意味が分かりません。


後は水ガラスという液体のものもあります。私が試してかたまりを作ったところもろく割れてしまいます。完成直後から使用していくうちにあちこちが細かく割れていくのでしょうか?


このような知識は知ったかぶりして偉そうにできるというメリットしかないように思います。音が良くなると言ってお客さんを騙すことには役立ちそうです。

④油
酸素と結合して固まる性質の強い植物油を乾性油と言います。油絵や油ニスに使うものと同じで亜麻仁油とクルミ油が有名です。

近代のミッテンバルトでは亜麻仁油の目止めはよく使われいたようです。

問題は乾くのが遅いことと、上に塗るものをはじいてしまうことがあるということです。
油が乾いていない状態や、はじいてしまうニスを上に塗ってしまうとボロボロと剥がれてきてしまうと聞いてます。戦前のミッテンバルトの楽器によく見られます。

「油は初めは柔らかくて音が良いのが、50年100年もすると硬くなって音が悪くなる」と言われることがあります。私は油はそんなに硬くならないし、柔らかいほうが音が良いなどと言う単純なものではないと考えているので疑わしいと思っています。

昔大量に生産して夏の間外に干して乾かしていたという話を聞きます。

私は油を単独では使用せず、樹脂とともに使っています。
亜麻仁油の屈折率は樹脂よりやや低いですがタンパク質よりは高いです。



西洋の絵画では古くはテンペラ画といって卵に顔料を溶いてテンペラ絵具としていました。詳しいことは避けますが、タンパク質は透明度が低いので絵具も下の層があまり透けません。それに対して油絵具は顔料を乾性油に溶いているためテンペラ絵具よりも透明度があります。重ね塗りなどの効果が利用できます。樹脂を混ぜるとさらに透明度が上がります。

このような材料は油ニスとも共通する部分があります。
絵画でも画材マニアのような人がいます、画材はおもしろいですが、そのような知識も絵が下手だとなんの意味もありません。

逆に絵がうまい人が画材の知識がないと高校生の美術部のような色遣いの絵になってしまっていてとても残念です。


知識も大事ですが、知識だけでなく効果を理解して使う必要があると思います。


目止めを施す


成分は企業秘密ですが塗り込んでいきます。


吸い込まなくなるまで塗り込んだ後余分なものをふき取ります。


さっきの写真と比べると杢が強くなったのが分かると思います。これが光の屈折によるものです。

動物にとって水というのはとても重要なので、それを感知できる機能が備わっているのでしょう。道路でも濡れていると黒っぽく見えます。


透明度の高い物なのでギラギラと光って見えます。やや黄色がかっているのでもともと茶色に染めてあった下地がいわゆる黄金色に見えます。

エッジを摩耗させる

目止めを施してからエッジを摩耗させます。

エッジの摩耗を再現するにはサンドペーパーややすりでやる程度ではダメです。せっかくきれいに作ったエッジを思い切ってぶち壊します。

このようにガタガタさせてこれをサンドペーパーでならすと適度なボコボコ感が出ます。古い楽器をよく観察して摩耗の仕方を勉強しておきます。

せっかく美しく加工したこれを

このようにします。新しく削ったところは他の部分よりも黒くなるように染めます。これは使用しているうちにニスが剥がれ汚れが木の中まで染みついてしまうからです。またこの部分は後でニスをほとんど塗らないので色を強めにしておくと雰囲気が出ますし、使用中にニスが剥げ落ちても白い木が露出しません。ニスが残っているほうを黒くしてしまうと全体に黒くなってしまい黄金色でなくなってしまいます。


スクロールも同様です。スクロールは汚れが付着するのでエッジ以外の部分も相当黒っぽくなります。この段階ではエッジばかりが黒く見えますが他の部分も後で黒くなります。

表板は損傷が激しいのでオリジナルのストラディバリそっくりにしません。状態が本物よりも良くなっています。

難しいのは表板

裏板のようにメイプル材はステインによって着色することができますが、ドイツトウヒ(スプルース)の表板で同じことをやると大参事になってしまいます。

表板も裏板同様に古くなると色が変わって黒ずんできます。また赤みを帯びてくることもあります。外に野ざらしにされた針葉樹の木材は数か月で灰色になりますが、ニスによって保護されている弦楽器は数十年数百年という単位で赤茶色になってきます。

針葉樹はメイプルのような広葉樹に比べ、特にステインの吸い込み方に差があります。
縦の線が入っていますがこれは、年輪の断面です。年輪は冬の間木の成長が遅い部分で硬く黒い色をしています、冬目と呼びます。その間の白いところは柔らかく夏目といいます。夏目の部分は色を吸い込みやすいので染まりやすいです。したがって強く染めるともともと白い夏目の部分が濃くなり濃いはずの部分が相対的に白く見えます。

色が逆転してしまいます。したがって長い年月を経た木材とは全く似ても似つかないことになります。プレッセンダの楽器は表板に赤い色が染み込んでいるものがありますが、ストラディバリの複製ではダメです。

いろいろなことを試しましたが、上手くいくものはありませんでした。かつては紫外線に反応して黒っぽくなるステインもありました。これは年輪の部分が濃くなります。しかし、毒性のためか製造されなくなりました。そのステインでも木によって反応の出方が様々だったりして場合によってはうまくいき、場合によっては大参事になることもありました。色も緑っぽく見えてしまい上に塗るニスの色調を調整するのが難しかったです。

最も無難な方法が太陽光にさらすことです。
普通は3~5年もすればいい色になります。そんなに待っていられないので紫外線を照射するライトを使うと2か月もすればいい色になります。濃すぎると後のニスで調整できないので1か月ほどで、やや明るめにしました。

さっきの写真でも表板は染めていないにもかかわらず裏板と比べてそんなに白くないのが分かると思います。


さらに古い木のように年輪を濃くするトリックは他にもあります。大量生産の楽器でよく用いられている方法でもあります。ニスの技術を持った人が指導したからでしょう。ただ大量生産の場合には色調が目茶苦茶でわざとらしすぎることが多いです。そうなると「大量生産っぽいな」となってしまいます。

やり方のテクニックだけではダメで目で色の微妙な加減を見分けなくてはいけません。


このように表板は年輪の部分がくぼむように加工してあります。そこに濃い色のニスを塗り込んでいきます。


右半分にこれを施したところです。

クローズアップして見ると年輪が濃くなっているのが分かると思います、これが濃すぎるとわざとらしくなり私には台無しに見えます。何度かそういう経験をして今があるのです。

ところが、私から見れば台無しのようなもので自分の作品として堂々と売っている人もいます。本人は自信過剰でうまくいっていると思っているのでしょう、もしくは目で見ていないのでしょう、手法だけ学んで猿まねしているだけです。

自信過剰は職人の大敵です。気の弱そうなシャイな人が職人として腕が良いことが多いのもそのせいでしょうか?私から見て台無しのようなものでも消費者には分からないので気の強い人物のほうが貫禄のあって巨匠っぽい印象になります。そのほか腕の良い職人が楽器商の食い物にされて買い叩かれたりゴーストライターのように雇われ職人で終わってしまうのは残念です。

昔はあご当てがなかったのでこの部分は損傷を受けています。
他の部分とは逆に年輪ではない部分が削れてくぼんでいます。

「古いな!」って感じがしますね。


それでこんな感じです。





これでニスを塗る準備ができました。
もうすでに古っぽさが出てきています。

ポイントはいかにナチュラルにできるかということで、いかに目が良いかということになります。トリックの手法は流行のように広まることがあります。ロンドンの有名店で働いていた職人の楽器とかを見て風合いはあってそれなりに美しくても、「全然本物の古い楽器を見てないだろ?」というのがあります。有名店だから古い名器もたくさんあって見ているはずなのです、しかし見えていないのです。私はニスのトリックに関しては完全に独学なので流行の手法はわざとらしいと思います。私と同じようなものは見たことがありません。私のアンティーク塗装の先生は知ったかぶりで偉そうな師匠ではなく、本当の古い楽器だけです。

複製を作るなんてオリジナリティがないと思うかもしれませんけども、現代の楽器製作ではフルバーニッシュの新作のほうがどれも同じで作者による差がないものです。


次回はさらにニスを塗っていきます。