気楽にストラディバリを味わう【第17回】バスバーについて | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

バスバーは表板の低音側を支える梁(はり)の役割を担う部品です。
これは消耗部品でもありストラディバリウスもオリジナルより強いものに交換されています、名器だからといって特別なものを付ける必要はなく標準的なバスバーを取り付ければ優れた楽器なら良い音がするはずです。

問題は新作の楽器で、私はバスバーの改良を試みています。

楽器本体に改良を加えて初めから強い音の楽器を作ると50年後には耳障りな音になってしまいます。

バスバーなら50年以上経って鳴るようになってきたら普通のものに交換すれば良いだけです。



▽ 気楽にストラディバリを味わう ▽

ブラインドテストで低い評価を受けるのがしばしばのストラディバリウス。
「そんなもの研究しても意味ないじゃん?」と頭の良い人は指摘するでしょう。
そう固いことを言わず、何億円もかけずにストラディバリを味わって楽しんではいかかでしょうか?


こんにちは、ヨーロッパの弦楽器店で働くガリッポです。


日本と私のいるヨーロッパの地域では音について感じ方も違うのですが、日本ではよくこもった音が嫌われます。私のところでは特別気にしている人はいません。

こもるというのは高い周波数の音が少ない状態のことで、楽音(音階の音)よりもずっと高い倍音が少ない状態のことです。

英語でブーミーと言うときは高音がどうというのではなく低音がだぶついて不明瞭な様子を言います。それと近い感じで「こもり」をとらえると低音に注意が行きがちです。しかし問題は低音にあるのではなくあくまで高音にあるのです。

低音が豊かに出る暗い音でも高音も出ていれば問題ありません。
私のところのお客さんは、低音に限らず「光沢がない」とか「鈍い」と不満を訴えて低音を特別意識しません。


逆に高音が強すぎると耳障りな音になります。そのため強ければ強いほど良いというものでもありません。


高い音が足りなくても出すぎても良くないということです。
足りない場合ばかり気にするべきではないと思います。




こんな話を踏まえて今回はバスバーについて考えてみます。

バスバーを取り付けるのは難しい

バスバーの取り付けは弦楽器製作の作業の中でも最も難しいもののひとつです。ヴァイオリン製作学校で初めてバスバーの取り付けを教わった時、並の学生なら1週間くらいはかかります。

それも質は完全なものではなくかろうじて合格というレベルで、プロとして通用するクオリティではありません。

さらに年間に数十本バスバーの交換をやっていれば10年もすれば改善の余地がないくらいになります。真剣にやっていないと10年経っても上達しません。

先日コントラバスのバスバーを久しぶりに付けましたが、普通だったらチェロのクオリティでできました。ポイントは表板が動かないように作業台に固定したことです。コントラバスは大きさの割に板薄く自分の重さでグニャグニャ曲がってしまいます。

バスバーを削って表板の内側のカーブピッタリに合わせるわけですが、表板がグニャグニャ動いてしまえば何を基準に合わせるのかわかりません。また古い楽器の場合、表板を取り外して放置すると歪んできます。歪んだ状態にバスバーを取り付けてしまうと表板を胴体に取り付けるときに
無理やり押し付けてくっつけることになりストレスがかかります。

古い楽器でとくにアーチが複雑なものは取り付けるのが難しいです。
私の今回の楽器は難しいほうですが、新作の楽器なんかは簡単なものです。
高めのアーチなので真ん中のほうはマイナスのカーブになっています。

位置がずれないように気を付けてにかわで確実に接着します。

付けた後に余分なところを削り落として中央が高く両端が低くなるようにします。このカーブはアーチのカーブによって変わってくるので型などを作ることはできません。

このようにうまく取り付けられたバスバーでは、健康的な音になるとともに音の性格としてはきめが細かい音、太くて豊かな音になります。
もともとの楽器が良い物であれば、きっちりうまくつけてあげれば良い音になることが多いです。

ストラディバリの時代は小さかった

ストラディバリを忠実に再現する試みですが、バスバーも当時の通りに作ってしまうとバロックヴァイオリンになってしまいます。

逆に言えばモダン楽器として作られた楽器でもバスバーを小さいものにしてバロック駒と裸のガット弦を張ればバロックヴァイオリンと音響上は大差ないものになります。

バロックヴァイオリンと言うと「ネックが水平で…」と言うのですが実際には地域や時代によってさまざまでしたし、ネックは水平でも指板の形状によって弦の角度自体はモダンヴァイオリンとあまり変わらないです。

モダンヴァイオリンにそのまま、バロック駒とガット弦を取り付けたものは耳障りな嫌な音になりますが、バスバーを小さいものにすれば弦の張力とのバランスが取れます。

ネックや指板の様式、テールピースなどは見た目の「バロックヴァイオリンらしさ」に貢献しますが音については必ずしも必要がないことになります。



ストラディバリもモダンヴァイオリンとして使われているものは皆、近代現代のバスバーがついているということになります。


問題は新しい楽器

古い楽器を修理をして良い結果が得られたからといって新作の楽器で同じ方法を用いてもうまくいくとは限りません。

新しい楽器が鳴るのにはしばらく時間がかかります。
木材が微生物の作用で化学的に変化すること、楽器として力がかかって使用されていることによる変化が全くないのなら作者の技量が楽器の音のすべてになりますが、やはり変化していくものです。

変化して音が悪くなるのならソリストなどは新品の楽器を毎年買い替える必要があります。300年経っても使えるということは悪いほうに変化するとは考えられません。



新しい楽器はその楽器の潜在能力が発揮されていなくて、まだまだ本調子ではなく寝ぼけたような音だということになります。初めから目の覚めるような音がしている楽器は50年後には耳をふさぎたくなるようなひどい音になるでしょう。

新作の楽器をいくつか弾き比べて鳴りの良いものを選んだ結果、5年くらい弾き込んで「高音が耳障りだ」と不満を訴える人が何人かいましたが、それはそうです。倍音が強く出すぎているからです。


私がストラディバリやアマティを研究して作った楽器は耳障りな音とは正反対で、新しいうちは派手な音はしません。たくさんの楽器に中に置けば特別目立つものではないでしょう。

この問題について私は交換可能な部品で手ごたえを感じさせるようにできないかと考えています。


バスバーは太さや高さなどを変えることができます。


バスバーはカーブを描いて中央が高く両端が低くなっています。
バスバーを取り付けた後、もう一度表板を開けて、バスバーを低くしたことがあります。
音は柔らかい暗い音になりました。

これは目指す音の反対ですから、逆に高くすれば良いのか?ということなります。

しかしそれにも限界があり頭打ちになってしまいます。


かつて変わったヴァイオリンを修理したことがあります。
通常バスバーには表板と同じドイツトウヒ(スプルース)を使うわけですが、裏板と同じカエデで作られた楽器がありました。

この楽器は大変耳障りな強烈な音がしていました。
そこで普通のバスバーに交換したところお客さんは大変満足されました。


これはあまりにもひどいのですが、こういうことも何かのヒントにすることができます。
耳障りでひどいということは、倍音が出すぎているわけです。

しかし倍音が足りない物足りない音の楽器に対しては、この強烈さを多少入れたいのです。

ドイツトウヒは素材として柔らかいので高い音を吸収してしまうのでしょう。バスバーの太さや高さを変えても素材が持っている音響特性を変えることはできません。


そこでいろいろ試作して実験しました。

バスバーに必要なのは柔軟性と硬さ

硬い材質の木材でバスバーを作ってしまうと音の質だけでなく音の出方が硬い感じになって違和感が出ます。
したがって柔軟性は維持したままで芯の硬さを持たせる必要があります。
柔軟性と硬さという相反する性質を高い次元で両立させる必要があります。

そのために私が考案したのは・・・・



残念ながら企業秘密です。

効果を強力にすれば違和感が強くなりますし、違和感をなくせば効果がなくなります。
柔軟性と芯の硬さが、その楽器に合っていなくてはいけません。

このバスバーにすればどんな楽器もたちまち音が良くなるというのではなく、私は自分の楽器の音を知り尽くしているので適切な硬さと柔軟性が分かるというわけです。
表板と強度と柔軟性がマッチすることが重要です。

このようなバスバーを取り付けたヴァイオリンは新作なのに、たくさんの古い楽器の中から選ばれたこともありますし、すべて完売しています、ビオラでは力強い低音が魅力的です。
プロの演奏者からも「発音が良いね」と言われたこともあります。

このバスバーを作る技術の完成度も高める必要があり、今回はその辺が進歩しました。
生産コストの削減とともにチェロへの応用も見えてきました。


私が理想としているのは、演奏上、特殊なバスバーがついていることを感じさせることなく新しい楽器でも倍音を強調し発音の良さとして感じられるようにすることです。

実際にこれまでのものも特に低音ではもやっとした音ではなくなり力強さが伴い、それでいて高音は耳障りにならないものになりました。

さらにこれに合わせた駒の設計を予定しています。駒もその強度や柔軟性によって音が変わります。バスバーは50年くらいはもつものですが、駒は5~10年くらいで交換するものですから、その時その時に合わせて駒の強度を変えていけばよいです。

通常はフランスの大手メーカーの駒を使うわけですが、有名なメーカーだから音が良いというのではなく、これはどんな楽器でも変な音にならないように無難な設計になっています。

したがって知り尽くした自分の楽器にピッタリの駒を設計することで目指している音に近づけることができます。前回は一つの楽器に5つ駒を作って実験しました。駒もすべて手作りなのでこんなことコストを考えたらできませんね。駒だけで十万円を越えてしまいます。


私は楽器の研究をしてその成果を皆さんにおすそ分けして、作った楽器を売って、そのお金を研究費に充てるそんな活動をやっていきたいと思っていますから、どんどん楽器を作って売名行為で宣伝して売るようなことは私にとって成功とは言いません。

まとめ

バスバーに限らず弦楽器の音響的なことについて、新しい発明品や秘密の製造法が「これにすればたちまち音が良くなる」と宣伝されることがあります。

しかし、本来は○○過ぎてはダメだし、○○過ぎてもダメでそれを最適に持っていく必要があります。したがってある楽器と別の楽器で正反対の症状ならば対策として目指す方向は真逆になります。

そういうものが発売されれば実際にテストしてどっちの方向に行くのか知って、状況に応じてお客さんに勧めるのが責任ある売り手です。不満点を丁寧に聞いて目指していく方向を詰めていく必要があります、人によって好みがあるので自分の好みをはっきり言っていただくとやりやすいです。

新製品を「音が良くなる」と誰に対しても勧める売り手は信用してはいけないということになりますし、お客さんも何も言わないで「プロならわかってくれるに違いない」と決めつけてはいけません。希望をはっきりと言うことが改善への近道です。


今回のテーマのバスバーに戻ります。
バスバーと言うと低音に関わるもののように思いますが、私の改良型のバスバーでは高音が強調されるために低音が力強く聞こえるという効果があります。



勤め先の職場でクラシック専門局のラジオを常に聞いているのですが、地元の公共放送局一局しかないので職場にふさわしくない曲の時もあって、インターネットラジオが聞けるコンパクトなオーディオシステムを買いました。日本にはクラシック専門のFM局自体がないので、ぜいたくな不満ですが…

ドイツやイタリアなどに良質なクラシック専門局がいくつかあります。
おすすめです。


スピーカーが小型すぎたため低音が出ないので楽器屋としてはチェロやバスの音が聞こえないというのは許せません。そこで、サブウーファーを追加しました。

サブウーファーは調整が難しくてブーミーな音になりやすいのです。ポイントはチェロやバスなどの場合、高い倍音とバランスがとれている必要があります。低音を力強くしようとサブウーファーを強くしすぎると相対的に倍音が少なくなりブーミーな音になってしまいます。

面白い現象です。


低音の力強さに高音がカギを握っているという、私はこういうことはとても興味があって面白いです。こういう発想や考え方で弦楽器の音を理解できない人のほうが圧倒的多数なのも事実です。

たいてい低音が力強い楽器は高音が耳障りです。それはそうなんです高音が強いから低音も強く聞こえるのです。E線が多少耳障りだけどそれ以外は力強くて良い楽器だと購入したあとで、調整で何とかなるんじゃないかと思いかもしれませんがどうにもなりません。
そこで弱い張力の柔らかい音のE線に変えます。そうすると低音まで弱くなります。

弦楽器職人は魔法使いではないし、楽器も魔法の器ではありませんから技術的に根拠がないことはできません。一方で柔軟性と硬さを両立するバスバーのようなものを開発して初めて解決に向かうことできるでしょう。

職人が天才だとかの評判でミラクルが起きるわけではありませんし、心を込めて作ったから音が良くなるというものでもありません。





次回は音には関係のないスクロールのお話です。
画面の表示を動かすことではなくて、ネックの先端についている渦巻きのことです。