すてきな演奏会で私の楽器も活躍しました | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

クラシックの演奏会と言えば都会の一等地で世界的なスター演奏者を招いて・・・そういうのもいいのですが、もっと生活の中に溶け込んだそんな素晴らしい演奏会を紹介します。

田舎の小さな村で行われた室内楽の演奏会です。
クラシック音楽の本場で人生を楽しんでいる様子を紹介します。

建物の響きと音の関係についても考えていきます。







こんにちは、ヨーロッパの弦楽器店で働いているガリッポです。

天才的な芸術家の個人の偉業に注目することが多いのですが、作品が生まれるのに重要な役割を果たしてきたのは享受する人たちです。作品や芸術家について知るには、それ以前にピラミッドのすそ野を知らなくてはいけません。

音楽がどのように楽しまれてきたかそんなことも考えていきます。


これぞまさに室内楽


室内楽と言いますが一般的な意味で「室内」の対義語は「屋外」ですね。しかし、室内楽に対して「屋外楽」とはいいません。

「室内」の対義語はなんなんでしょうか?


そうですね、ヨーロッパで音楽が発達する中心的な役割を果たしてきた「教会」です。
教会に対して室内です。

今回の演奏会が開かれたのもそんな建物でした。

この中が会場です。

どの町にも村にも中心に教会があります。私が訪れたこの村もバロック装飾に彩られたカトリック教会があります、そのバジリカに付随した部屋で今回の演奏会も行われました。教会の中ではないので室内です。

残念ながらバジリカの中は撮影禁止でした。
日本の学校で歴史を習うとカトリックは悪者で、プロテスタントが正義のように教わってしまいます。

腐敗の象徴として教わりますが、少なくとも芸術や文化についてカトリック教会が大きな恩恵をもたらしたことは間違いないです。そこに集まった人たちは単に欲深さだけではないと思います。



中はこんな感じ。

コンサート用に作られた施設でもなければ、現代の鉄筋コンクリートのビルなどとも違います。

使われてきた部屋の響きというのが楽器の発展や人々が楽器に求める音の好みなどにも大きな影響があると思います。

この部屋はそんなに大きな部屋ではありませんが、暖かい音がよく響きます。
この部屋も当時の一般的な建築資材で作られていて特別にコンサート用に設計されたわけでもありません。したがって、他の一般的な建物でも日本の建物とはやはり響きが違います。

私が日本に弦楽器を持ち帰って弾いてみたときに、建物の響きが全然違うなと思います。

日本の建物は音を吸収してあまり響きません、伝統的な住宅はもちろん現代の住宅でもそうです。そうなると音は響きを聴くのではなくて楽器から出る音を直接聴くことになります。

一方で近代的な鉄筋コンクリートの建物でも美しいというのとは違います。


もし日本人が独特な音の好みを持っているとすればこのような建物の違いが大きな影響を与えているのではないかと思います。

私は日本で演奏するためにセッティングを変えて直接音が明快なようにしてしまいます。
ほんとうは響きの良いところで弾くのが一番良いのですが、演奏するために古い洋館みたいなものを建築するわけにもいきませんからね。

日本も各地に市民会館など文化施設が作られましたが、こんな簡単な建物で素敵なコンサートができるのですからね、・・・・耐震性のこともありますが、レンガを積み上げて漆喰を塗ってそういう建築技術がないのでしょうね。




また、コンサート専用の施設ではないのでステージなんてありません。聞く人と同じ高さです。
昔は演奏者のほうが身分が下で聞く人のほうが上でしたから昔もそうだったのでしょう。邸宅に演奏者を招いていわば「宅配」で演奏していたのでしょう。

演奏会もかしこまって「有難く聞かせていただく」というのではなくパーティーの催し物の一部のような感じだったのでしょう。
今回も、パーティー会場のようにお客さん同士が歓談をしている光景を演奏会の前や休憩時間に見ることできました。



「こんな田舎でお客さんが入るのかな?」と心配していましたが満員でした。
そんな雰囲気の演奏会が田舎の小さな村で行われて親しまれていることは、生活を楽しんでいるなと思います。

特にすばらしいのはクラシック音楽は時代によって廃れたりしないので、若い時にクラシック音楽に興味を持っておけば一生の楽しみになりますよね。


ヨーロッパ旅行で訪れる一般的な観光地では外国人だらけですが、鉄道や幹線道路から離れている小さな村にアジア人なんて私一人でした。

ベーゼンドルファーのハンマーフリューゲル

今回の目玉は1850年製のベーゼンドルファーのハンマーフリューゲルです。ハンマーフリューゲルとはグランドピアノの前身の楽器で日本語でフォルテピアノなどと呼ばれるようです。

鍵盤楽器のことは全く無知で申し訳ありません、長年使われず眠っていたものを修復して現代によみがえらせました、それを記念しても演奏会でもあります。






修理の様子も写真で見せてもらいました。

塗装の修理の仕方は弦楽器とまるで違います。弦楽器ではオリジナルの塗装をできるだけ残すようにするのに対して外側はすべて研磨して新しく塗装をし直しています。弦楽器ならオリジナルの塗装を削り落として、木の表面まで研磨してしまうと価値が落ちてしまいます。

ストラディバリでも黄金色になっている楽器ではこのような修理が行われたのかもしれません、オリジナルのニスと汚れを削り落とし、黄色のニスを塗り直したことで、古くなって木自体が黒ずんでいるので黄金色に見えます。現在ではこのような修理は行われません。新しい白木の楽器に同じニスを塗ってもレモンイエローになります。黄金色に見えるのはニスに秘密があるわけではありません。

このハンマーフリューゲルでは剥げたところだけ直したりするときりがないのでしょう、大きい楽器ですし、木自体に色があるので無色のシェラックでコーティングするだけで済ましているようです。その結果新品のようなきれいさです。

ピアノの場合にはメカニックの部品がたくさんあるので作業は大変でしょう、鍵盤も失われた分も象牙で新しくしてあるそうです。

音は現代のグランドピアノのようなカチッとした力強い音ではなくて、暖かくて柔らかい物でした。演奏中も楽器がグラグラ揺れていて全体に強度が低いのがわかります。

チェンバロのような音では全くありませんしポーンと特殊な音がするわけでもありません、現代のピアノのようで音色が暖かく柔らかいのです。

修復で多くの部品が取り換えられています。どこまで作られた当時の音なのかわかりません。

私の作ったヴァイオリンも活躍

このハンマーフリューゲルとともに私の作ったヴァイオリンと私の先輩の職人の作ったチェロでトリオの演奏も行われました。


このヴァイオリンは、お買い上げいただいてから半年ほどですが、とても気に入っていらっしゃるそうです。当初に比べて音も出やすくなってきました。

特に気に入っていただいているところは音色の枯れた味わいです。
明るい元気な音とは反対です。
私の作った楽器の中でも特に音色の味わいに秀でたものです。

「とにかく大きな音」を求めて楽器を選ばれるユーザーが過半数ですが、この演奏者の方はそれより美しい音色を求めてらっしゃいました。

この演奏会では演奏メンバーの趣向も色濃く出ていて味わい深い物でした。


もちろんこんな演奏は生ぬるいとおっしゃる上級者の人もいるでしょうけども、会場にいた人たちがみな幸せに感じる良い演奏会だったと思います。

建物と音

技術研究ノートなのでイベントだけで終わりにしません。

改めて建物と音の関係について考えました。

教会で音楽というとやはり、ミサなんかで歌われる讃美歌などが思い浮かびます。私も教会のミサに参加したことがありますが、プロの声楽家ではなく聖職者の方が歌っていらっしゃるわけです。

オペラ歌手に比べたら地味な歌い方ですが、やはり建物に響かせるような発声方法なのでしょう。日本の民謡や演歌の発声法とは違うようです。私は現代のポップミュージックでさえこのような発声の基礎の違いがあるのではないかと思っています。

そうなると弦楽器についても何も考えなければ音についての感じ方や、音の出し方も西洋と変わってきてもおかしくありません。

先日もトマスティックという弦メーカーがヨーロッパ向けとアジア向けで音を変えているという話をしました。
ピラストロでもヨーロッパをメインターゲットにした製品とアジアをターゲットにした製品を作っています。同業の日本人の職人と話をすると売れ筋の弦が全然違うのに驚いていました。

つまり日本で皆さんが使っている弦とヨーロッパの人たちが使っている弦が違うということです。


日本の人たちの間で「この楽器は音が良いな」と絶賛されているものがヨーロッパに持っていけば「別に大したことない」と認識される可能性が十分にあるということです。

楽器の価値を音で判断することができないのは人や地域によって感じ方が違うからです。


西洋の文化を日本に取り入れるという場合には、日本人の好みに合わせて変えるという方法もありますし、本格的なものをまず知ることが大事だという考えもあるでしょう。

料理でも西洋の料理をそのまま出しても口に合わないということで、日本風にアレンジされて広まった料理がたくさんあります。

その一方で少数ながら本格的な味を求める人もいます。
かつてはスパゲティーのナポリタンと言えばケチャップ味で、麺もうどんのような質感のものでした。本場のナポレターノとは違います、ナポリの人が日本のナポリタンを食べたら「これはアメリカーノだ」と言うかもしれません。
それも分かったうえで、ナポリタンをもはや日本食として味わうこともできます。

逆にヨーロッパで寿司は、アメリカ経由で入っていますからアメリカ風のSushiが売られています。

スターバックスなんかもアメリカ経由のイタリアンコーヒーですね。
喫茶店のレギュラーコーヒーも日本のものはヨーロッパよりアメリカのものに近いです。さらにアメリカンというのがあるのが謎ですね、「どっちもアメリカンだろ?」という話です。


脱線しますが、日本でカレーはもともと洋食ですよね。
私もこちらで日本式のカレーを作ってふるまったことがあります。とても好評でした。

日本でカレーが人気があるというと、ヨーロッパ人は「やっぱりアジアだからカレーなんだ」と思うわけで、寿司やカレーをひとまとめにして「アジア料理」だととらえているようです。

日本人からするとカレーはイギリスやアメリカから伝わった洋食なんですよね。



関係ない話になってしまいましたが、文化とりわけ「味」については優劣を判断するのは難しいものです。弦楽器も音が優れた楽器と劣った楽器の順位を付けるのはできません。

私が職人として楽器販売業者としてできることは「適正価格である」というだけです。
「この楽器の音は良いと私は思う」とは言えても「この楽器の音は優れている」と言うことはできません。

「この楽器は世界的に高い評価を受けています、これを買っておけば間違いない、有難く弾かせていただきなさい。」そういうことを専門家に言ってもらいたいお客さんはたくさんいると思います。
実際にはそんなことを言うことはできませんし、そんな楽器はありません。もし弦楽器店の上司や社長がそういう人なら私は会社を辞めます。


やはり職人は頑固だなと思うかもしれません。
「お客さんが望んでいるようにすれば楽器も売れてお金も儲かるんだから良いじゃないか?」そう考えることが私には無理です。こんなことを言っていたら一般企業の採用試験の面接では落とされるでしょう。


私はモノの良し悪しが最終的にわからなくなったときに、作り手が理想を求めて真剣に作っていればそれで十分価値があると思っています。

私はヨーロッパの人たちが好むような本格的な音の楽器を目指して作った楽器を適正価格で販売しています。

お金になるからと言っていい加減な商売をしていると、誰も良さや味が分からなくなってその業界自体が衰退してしまうものです。



森脇健二さんがラジオ番組をやるときにモットーにしているのが「三方良し」ということだそうです。近江商人のことばで「売り手よし、買い手よし、世間よし」と公正な取引を心がける言葉だそうです。

私も職人として心から「良い物を作ろう」と情熱を持って楽しんで作る、その結果お客さんも気に入って使っていただく、演奏会のお客さんにも弦楽器の良さを味わって楽しんでもらう、今回の演奏会はそんな三方良しの演奏会になったと思います。

森脇健二さんの声で「三方良しや!!」と脳内に響いています。