気楽にストラディバリを味わう【第8回】ストラディバリの造形美 実技編 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

弦楽器というのはみな同じ姿をしているので素人には、安価な大量生産品とマスターメードの手工品との違いが分かりにくいものです。

コンピュータ制御の工作機械で品質が向上した今日、我々プロの技術者でも大量生産品とハンドメイドの作品の見分けがつかないことがよくあります。仕上げだけを手作業にしたり、ニスを手塗にしたりすると決して悪くないものができます、ハンドメイドの作品でも際立って美しくないと見分けがつきません。弦楽器業界ではラベルの偽造は行われるのが慣習ですから、実際には手作りであっても見分けがつかないような楽器は中古市場で大量生産品として扱われ使い捨てになってしまいます。

機械が持っていない「美の心」について前回力説しました。ただ合理的に作るのではなく、作者の造形センス・美的センスが反映されやすい製造方法を研究することで高級品であることが確実となり、大事に使いこまれていくことで素晴らしい音の楽器になっていくと考えています。




▽ 気楽にストラディバリを味わう ▽

ブラインドテストで低い評価を受けるのがしばしばのストラディバリウス。
「そんなもの研究しても意味ないじゃん?」と頭の良い人は指摘するでしょう。
そう固いことを言わず、何億円もかけずにストラディバリを味わって楽しんではいかかでしょうか?




こんにちは、ヨーロッパの弦楽器店で働いているガリッポです。


まずは続報から
ケーススタディで紹介した、セバスティアン・クロッツのヴァイオリンが、数か月プロの演奏者に弾き込まれた結果素晴らしい音になってきました。当初は細い音の感じでしたが今ではほんとうに力強い音になりました。50~100年前くらいの現代的な楽器で音が強いものはただうるさいだけのものですがそういうものとは全く違います。音色に深みと味わいがあり、その上で懐が深く表面的なギャーという音ではありません。

「高いアーチのドイツの楽器は室内楽向き」などと理論上は言われてきましたが、全くその理論が間違っていると演奏者の方とも話しています。

我々の業界の常識は嘘ばかりですよ。


ストラディバリを楽しみながら、ストラディバリの複製を作っていく今回のプロジェクトですが、このようなオールド楽器の良さの原因としては

①古いこと
②構造が違うこと

が考えられます、古さについては私にはどうすることもできないので、構造について古い楽器に迫っていきます。その結果、名器の良さの半分を再現することができるわけです。
オールドの名器は高価だったり珍しかったり、偽物をつかませられるなどがありますが、私の複製なら数百分の一の値段でオールドの名器の雰囲気を味わうことができると思います。
一般的な現代の楽器にはない音色でありながら、性能に関しても現代の優秀な楽器と遜色ないレベルに持って行けるでしょう。


いずれストラディバリなどの名器が古くなりすぎたとき、私のような古いスタイルで作られた楽器がそれらの代わりになるでしょう。

手作り・ハンドメイドの定義はない

ストラディバリの時代にはコンピュータ制御の工作機械はもちろん、電動の工具もありませんでした。

19世紀には自転車のように人力で動かす回転式の工具はありました。足踏みミシンだって結構最近までありましたよね。ストラディバリの時代にどれくらいあったのかはわかりませんが、水車小屋とか牛や馬など全く動力が無かったわけでもありません。

現在入手できる工具は、完全な手動か電動かどちらかしかありません。

「ハンドメイド」とか「手作り」と表記して商品がよく売られていますが、これには定義がありません
電動工具を使っても「手作り」として売られている商品がたくさんありますし、詐欺でもありません。極端に言えば完全なオートメーションでなければすべて人の手が入っていてほとんどすべての工業製品に「手作り」と表記することができてしまいます。

業界での標準的な工法として語られることなんだと思います。


私はできるだけ電動工具を使わないでやっています。年々減らしています。
今はヴァイオリンとビオラの製作では、ネックのペグを取り付けるための穴を真っ直ぐにあけるために電動のドリル(ボール盤)を使っています。手動でもできますが、ペグが真っ直ぐついているほうが良いでしょう。

魂柱も手カンナで作りますが仕上げだけはボール盤を使います。回転させて表面を仕上げたほうがきれい仕上がります。

100年くらい前の手動のボール盤もヨーロッパのアンティークショップなどで売られているのですが、使えるかどうかわからず手が出せません。

木枠に穴を開けるのにもボール盤を使っていますが、枠の形は手作業です。
照明器具と製図にコピー器も使っています。夏は扇風機を使用し、エアコンはありません。
にかわを温めたりニスを作るのに電熱コンロを使っています。またニスの材料の重さを測るのに電子式の秤、温度計、ニスを乾かすのに紫外線を発生させるライトも天候によっては使っています。

材料を買ってくる時点で電動工具で荒加工されているものもあります。


手動化できるところは手動化していくという感じですね。
時代の逆ですね。

電動工具を使わないでやってみましょう

楽器専門の木材商から材料を買うのですが、木材商も材料を最小にするためにはじめに電動のノコギリでカットしてあります。

今回は裏板に一枚の板を使用しました。チェロのための材料で節があったり質が均一でないために使用できないという場合にヴァイオリン用の一枚板として売られているようです。
したがってかなり分厚くて大きいことが多いです。

大量生産なら電動工具で余分な部分をカットするわけですが、手動でやってみましょう。

まずはスクラブプレーンという荒削り用のカンナを使います。これは日本にはない種類のカンナで平らな台にラウンドした刃がついています。普通カンナというのは0.01mm~0.1㎜そういう単位で削っていくものですが、これでは分厚い板の余計なところを削り落とすには日が暮れてしまいます。電動のカンナを使わないにしても、現在は荒い加工は電動工具、仕上げを手動のカンナというのが一般的で荒削り用のカンナは木工の世界でほとんど使われなくなってきています。

西洋のカンナは押して使うということを聞いたことあるかもしれません、カンナ自体は古代エジプトの時代からあるようです。ローマ時代のものは残っていて引いて使っていたようですね、イタリアでも長らく引いて使うカンナが使われていました。現在では押して使うものになっています。

こんな感じに削れます。これぞ「荒削り」という感じですね。これで3~5mm位板を薄くしてしまいます。
そのあとカンナをかけていきます、私が使っているのアメリカのメーカーのカンナです。

これはジャックプレーンというカンナで中荒削り用にセッティングして使います。細かい材料の時は仕上げ用としても使えます。

さらに幅の広いカンナを使うと簡単に正確な平面にすることができます、難しいのはカンナを調整することで、カンナという道具は台の通りに削れます。したがって台を削ってミクロン単位で理想的な状態に調整する必要があります、これは鋳鉄製なので木製のものと比べると狂いにくいのですが、金属の底を削って調整するのは大変です。カンナが調整できていなければ、いくらカンナをかけても板を平面にすることができません。また裏板にするカエデは縦方向にカンナをかけると割れてしまいます、上手く調整されているカンナでは全く問題ありません。

下の面が平面になると、さらに余計なところをノコギリで切断します。これは西洋式のノコギリで日本とは違い押して切ります。縦に板を切る場合日本のノコギリは逆目になってしまうので西洋のものを使っています。
日本にも木挽き鋸という専用のノコギリがあったのですが、今ではほとんど使われていません。西洋でも伝統的な縦挽きノコギリはほとんど売られていません。

それほど電動ノコギリが普及したということです。
これだけの作業で3時間くらいかかりました。今後も練習を続ければ10%ずつくらい早くできるようになるでしょう。手動工具の楽しさは「上達」という喜びがモチベーションになることです。

西洋のノコギリは日本のものに比べると真っ直ぐに切るのが難しいです。西洋のノコギリがうまく使えれば日本のノコギリなんて余裕です。



このように手動で加工していくわけですが、ノコギリで正確に切るのは難しいですし、大変労力がいります。昔であれば両側から二人の人が使うノコギリなどもありました。

これはこっくりさんのように、自分の感覚とは違うように切れていってしまうかもしれません。
これでは板が厚く切れたり、薄く切れたりしてしまいます。

私はストラディバリやアマティでアーチの高い物や低いものが混在する理由として、こういう誤差が影響しているのではないかとも考えています。流れ作業の工場であれば、電動工具にガイドをセットすればすべて同じ厚さになります。

こっくりさんのようなものは西洋にもあるようです。こっくりさん方式だとすると「精霊がノコギリに宿って厚さを決めた」ということにもなりかねませんよね。まあ冗談ですが、もしかしたらないこともないかもしれません。

設計図通りに型紙を作ってけがき、弓鋸で切っていきます。普通は、電動のジグソーかバンドソーで切るのをハンドメイドと呼ぶのでしょう。量産品はコンピュータ制御のルーターを使うでしょうから。
ストラディバリの複製なので、設計図通りに正確に加工します。一般的には横板を基準に作っていくのですが、私は設計図に正確に作るため、裏板表板を先に作ってそこに横板を合わせていきます。

横板を基準に裏板と表板の形を決めると、横板の誤差によって狂ってしまいます。特にコーナー付近の誤差は目で見てわかるほどの差になります。
そのため横板を正確に作る必要があるわけですが、正確に作ろうとすると製作態度が近視眼的になって細かいことばかりチマチマ気にしすぎになって全体のバランスがおろそかになります。

こうなると「木を見て森を見ず」の楽器作りになってしまいます。

ストラディバリは、横板を基準にしたのか型紙を基準にしていたのかわかりませんが、それらはあくまでおおよその目安としてアドリブで形を作っていました。スクロールなども型紙に忠実ではなく一台一台皆形が違います。
形が違うのに美しいという事実は、美意識によってもたらされているということですね。

現代の工業生産ではデザインする人、設計する人、加工する人が別ですね。
加工する人は設計に対して正確であれば良いのですが、ストラディバリは作りながらデザインもしてしまうという・・・それがとんでもない技量です。

そのため、非の打ちどころのない完璧なものを作っていたわけではありません、まるでジャズやバロック音楽のようなアドリブの世界です。それこそストラディバリの魅力です。

「欠点がどれだけ少ないか」という目線で見た時は、300年経って古びた印象が無ければ近代現代の非の打ちどころのない楽器と比べれば特別美しいわけでもないただのヴァイオリンです。
タイムスリップしてきて現代のヴァイオリン製作コンクールに出しても平凡な順位に終わるでしょう。

しかし欠点のない完璧さとは違う何とも言えない美しさが漂っていると思います。


まあ、今回は複製ですから、設計に対して正確に加工する必要があります。

ここからがヴァイオリンという楽器の肝です


ノコギリで周りを切った後ノミを使って彫っていきます。

このようにノミで横方向に彫っていきます。目の感覚だけで彫っていきます。
この時いち早く形を作っていくのが大事です、初めノミのラウンドは急なものにします。そうすると抵抗が少なく深くえぐることができます。
細かいことは気にせず、とにかく大雑把に形をつかむことが大事です。

でこぼこしていますが、全体の形はこの時点でつかめていないといけません。

このように横方向にノミで彫っていく方法は以前にも紹介しています。
実際ストラディバリがこのような方法をとっていたかは分かりませんが、この写真を見てもいかに形が見やすいかわかっていただけると思います。

次の段階ではノミのラウンドを少し平らなものにして一段階掘り下げて形を整えていきます。先ほどの段階で多少行き過ぎてもここで修正できます、今回はそんな必要もありませんでした。

こうして周辺の部分が薄くなってくると輪郭を加工できます。
輪郭も一度に仕上げずに徐々に荒削りから仕上げにかけて削る量を少なくしていきます。

輪郭が大体できてくるとアーチのほうもエッジが正確に加工できるようになります。

私は用途によって西洋のノミや日本のノミを使い分けています。西洋のノミは刃が薄いのでえぐるのに向いています、日本のノミは一定の深さで彫り続けるのに向いています。

それから私は一般的に使われてる柄の長いノミを使いません、あんなものでは形を作ることができません。

さらに加工を進めていきます。


エレガントで滑らかなカーブに仕上がってきています。パフリングのラインをコンパスで引いてみます。コーナーに向かってS字にカーブしています。ストラディバリはこのカーブに特徴がありとてもエレガントなカーブになっています。大量生産品のストラディバリモデルで満足いく物にお目にかかる機会はまずありません。アマティはコンパスで描いたような曲線なのに対しストラディバリは自然な感じです、おそらく目の感覚だけで形作っているのでしょう。目に心地よいカーブです。グァルネリ・デル・ジェズになるともっと無頓着なのが特徴です。


オリジナルのストラディバリはエッジが摩耗しているので輪郭というよりパフリングのラインが正確になるようにします。そして本の写真と見比べて微調整します。95%は型紙に対して正確に加工するのですが、最終的には職人の目で形を決めます。


コーナーは特に難しいところです。摩耗しているのでその辺も計算しなくてはいけません。
ずっと見比べていると目がどんどん冴えてきて細かい違いが見えるようになってきます。
しかし一番まずいのは「ちょっと違うな・・」とやりすぎてしまうとどんどん細く小さくなっていきます。98点で満足するのがコツです。
そもそも私の製法は誤差が出にくいように工夫した方法ですから98点でもかなりのレベルになっていると思います。

このあとさらにパフリングという象嵌を溝を掘って埋め込んでいきます。アーチの表面を仕上げて今度は中をくりぬいていたの厚さを薄くします。
その模様は、今後随時紹介していきます。

まとめ

ただ単に決められた寸法に加工していくというのではなく、「美しくなるように」作っていくということに私は情熱を燃やしています。そうでなければ、機械が作った楽器で十分です。

ストラディバリもまた、欠点のない完璧さとは違って、アドリブでなんとなく美しい形を作っていました、おそらく不恰好なものを作るのは気持ちが悪かったのでしょう。

楽器製作の手順は美しさに無頓着な多数派の職人に合わせてマニュアル化されてしまうことがあるので、自分なりに改めていかないといけません。
技術的に根拠がなく、ただ気持ちだけで美しいものができると私は考えません。

原則として、荒い加工から仕上げに至るまで、それぞれの過程でやるべきことをやる必要があります。

荒い加工では大雑把に形をとらえること、そして形を整えながら、最後は仕上げで微妙な加減に気を付けます。

始めに形が捉えられていないのに、仕上げだけ頑張っても造形的な形はグズグズです。
仕上げはまじめにやれば誰にでもできますが、大雑把に形をとらえるというのは大変に難しいものです。

50年以上やっている職人でも弟子に「サンドペーパーをしっかりかけたか?」と厳しく言うようなどうしようもない職人もいます。


学生や徒弟の初心者に教えるとき一番難しいのが、アーチを大雑把に加工することです。またコーナーの形を作図するのも大変難しいです。


これらの工程が適切に行われると、楽しくて美しいだけでなく作業に無駄がなく短時間で終わります。作るごとにどんどん上達していきます。

もちろん美しさより短時間で終わることを最優先させればもっと早くできますが、そんなんなら機械に任せて「楽器製作なんて辞めてしまいなさい。」と思います。でも、そんなことを言わなくても楽器製作の楽しさがわからなければ自然と作らなくなっていくものです。

ヴァイオリン職人でももう何年も楽器を作ったことがない職人がどれだけいることでしょうか…


一方、欠点が無いように仕上げだけに意識を集中させたチマチマした楽器作りでは、構造と音についての理解も深まりません。0.1mm単位で寸法を変えても音の違いがはっきりしません。
大胆にザックリとノミを使って加工することで楽器の構造にはっきりとした違いを作り分けることができるようになります。

その経験がイメージして音を作るようになるために重要だと考えています。

またグァルネリ・デル・ジェズのような仕上げの荒い楽器についても理解することができます。
デル・ジェズは美しさには無頓着でしたが、アマティ派の製法を受け継いでいます。アマティやストラディバリの製法を崩したときに、デル・ジェズのような楽器を作ることができます。仕上げが甘くても、荒削りの段階で形が取れていれば音響的にはほとんど変わらないということです。

全然別の製法を崩して荒い仕上げにしても機械で作っても、ただ品質が荒いだけでデル・ジェズのようになりません。

よく腕に自信がない人がデル・ジェズの複製を作るわけですが、とんでもないです、仕事をなめてはいけません。
アマティやストラディバリの応用ですから、アマティ派の基礎がしっかりしていないといけません。



将来私の弟子になる人がいたらかなりかわいそうな厳しさになってしまいましたが、それだけストラディバリを理解するというのは簡単なものではないと思っています。

演奏者にとってはどうでもいい世界ですけどね…