致命的な欠点 【第1回】音が悪い楽器を見分ける | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

技術者の視点から楽器の構造を調べることで「これではまともな音は出ないだろうな・・」という致命的な欠点を見つけることができます。

一方構造を調べてもずば抜けて音が良いとか音のキャラクターを予測することは困難です。




こんにちは、ヨーロッパの弦楽器店で働いているガリッポです。

ひどい楽器は見分けられても音が良い楽器は見分けられない

私は構造からほかの楽器より抜きんでて音が良い楽器を見分けるのは不可能だと思います。
もちろん「自分は音が良い楽器の秘密や見分け方を知っている」と自信過剰で知ったかぶりの職人も掃いて捨てるほどいて、説教された経験のある方もいるかもしれません。

私も音が良い楽器を見分けたいと思い、様々な楽器を手にして構造を調べてきました。
しかし残念ながら唯一絶対の規則性を見出すことはできませんでした。
「○○になっている楽器はすべて音が良く、それ以外はすべて音が悪い」などということは知れば知るほど言えなくなっていきます。

にもかかわらず、このようなことを言うのは実のところ、何のことはない、自分や師匠の作り方を世界一と信じているのです。
世界的に有名な作者でもそのようなことはよくあります。

信仰と同様に自分が世界一だと信じられるのはある意味幸せなのですが、押しつけられるのは迷惑極まりないです。

常識的に考えれば、自分が世界一であるはずはなく、美意識のような趣味趣向がからんでくるものに勝ち負けを決めることなどできません。
「自分が世界一」と信じるためには自分の知らないことをすべて拒絶し受け入れず認めないで周囲をイエスマンで固め、無知な状態を維持するしかありません。
職人でさえそうなのですから、弦楽器店の営業マンがそれらしいことを言えば霊感商法並のきな臭さになってしまいます。
自分が音を聞いて評価したとしてもその人の好みにすぎません。
ワンマン社長の場合、従業員は自分は嫌いな音でも社長の好みに合わせなくてはいけません。

社会人ならそういうことは誰もがわかっていると思いますが、お客さんになった途端に忘れてしまうのでしょうか?

このように「これはどうしようもない」という楽器を見分けられるのが精一杯だと理解していただけたでしょうか?

チェニーノ・チェンニーニの教え

1400年ごろ今のイタリアに当たるところで画材の製法について書物に残したチェンニーノ・チェンニーニという人がいました。

現代人の感覚とはかなり違うところがあって、ルネサンス前後の書物は読んでいくと大変面白いのです。
つい爆笑してしまいます。
絵画作品も面白くて美術館に行くと笑いをこらえるのに苦労します。

「ありがたいもの」として崇拝すると見えなくなってしまうことがたくさんあると思います。


古い塗装技術で材料の配合・分量を知りたいと思い古い文献を調べているとこのチェンニーノ・チェンニーニの書物に行きつきます。
この人は適量について「多すぎず、少なすぎず」と説明します。

「そんなことわかっているわ、それがどれだけか聞いてるんだ!」とつっこみたくなってしまいます。

しかし、よく理解するとこの考えはとても納得できます。

多すぎたり少なすぎたりすると失敗してしまいますが、そうでなければなんとかなってしまいます。
何gと細かいことを気にしても意味がありません。
状況や好みに応じて幅があるのが普通です。

同様に弦楽器の構造についても「○○すぎず、△△すぎない」とかなり幅があり「これが理想」などという絶対のものはありません。

たとえば、表板の駒付近の厚さは1.8mmのヴァイオリンにも音が良いものがあり3.5mmのものにも音が良いものがあります。
音色のキャラクターは違いますが演奏者の好みの問題でどちらも「良い音」です。

しかし、4.0mmを超えるような楽器では離れて聞くと蚊の鳴くような音しか出ません。

つまり「表板の中央が厚すぎる」という致命的な欠点がある楽器はだめで、それ以外は割と何でもいいということになります。

安価な大量生産品や独学などのインチキ職人の楽器には多くの場合、このような致命的な欠点が一つや二つあります。

欧米人のアバウトさ

「欠点」に注目するのはいかにも日本的ですね。
「そりゃ見ろ、やっぱり日本人にはストラディバリのような楽器は作れるはずがない。」と批判されるかもしれません。

日本の工業製品全般に言えることで、誰からも嫌われないように欠点をなくすことにエネルギーを使い果たし、自己主張がなく味わいや説得力がないと言われ続けてきました。

「優秀だけど魅力がない」という批判です。


これを乗り越えるためにも、「極端に悪くなければ何でもいい」と考えれば、些細な欠点に寛容になることができます。

人によっては弟子に0.1mmまで指示して正確に作らせる人もいます。
もちろん修行の段階では正確に加工できる必要がありますし、従業員として働く場合にも正確に加工できなければ使い物になりません。

しかし、師匠が示した寸法は絶対ではなく唯一の正解だと思いこむと冒頭の無知で迷惑な職人になってしまいます。
0.1mmまで厳しい師匠でも定規で測れない曲線や曲面などは見落としているものです。

「○○すぎず、△△すぎない」という幅の中で自由に好きなものを作ることによって、その人の特徴のある楽器ができると思います。
趣味趣向が一致する演奏者のものとに楽器が届けば幸福なことになるでしょう。

「これが世界一音が良い」と自分の好きな音ではない楽器を押しつけられ購入してしまったというトラブルはよくあります。



次回以降致命的な欠点について具体的に見ていきます。
お楽しみに。