弦楽器の知識 超基礎編 【最終回】天才神話の否定 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんなことも知らないで弦楽器についてうんちくを語っている人がいたら、聞いているほうが恥ずかしくなってしまうような基礎の基礎・・・考え方の基礎についてこれまで連載してきました。




こんにちは、ヨーロッパの弦楽器店で職人として働いているガリッポです。

今回は超基礎編の最終回で大切なことをまとめていきます。

弦楽器の神話


かつて、すべての天体は地球の中心をまわっていたと信じられていたり、すべての動物は神が作ったと信じられていました。

しかし、それまでの教えを一旦置いておいて偉大な科学者が自然を自らの目で見て調べていくうちにそれが間違っているということが明らかになりました。

よく知れば知るほど、常識として信じられていることが間違っているということがゆるぎなくなっていくわけです。


ちょっと大げさですが、弦楽器についても同様のことが言えると思います。

ヨーロッパで作られた「神話」が日本に伝わるとき、さらに誇張されたり偏って伝わったことも多いと思います。
もともと日本人が持っていた名品や名工、匠の技などという考え方に結び付けていったせいかもしれません。

私がたまに日本に帰国するとき、弦楽器について日本で言われているウンチクを聞くと「宗教か?」と思うくらいわけのわからないことを崇拝しているのに驚かされます。


「○○の楽器はすばらしい」と日本で信じられていることも、ヨーロッパの人に言うと「間違って伝わってしまったんだね。」というようなことも多々あると感じます。


例えばヴァイオリンの音について日本では「明るい音が良く暗い音は悪い」とよく言われますが、こちらでは「個人の好みの問題」だとしたうえで暗い音のほうが好まれるケースが多いです。
その証拠にドミナントで有名なオーストリアの弦メーカー、トマスティクはアジア向けとヨーロッパ向けの製品で音を変えているそうです。
アジア向けは明るい音に、ヨーロッパ向けは暗い音にしているそうです。

日本では「イタリアのヴァイオリンが良い」と言い新品のイタリアのヴァイオリンが盛んに売られています。
毎日ひっきりなしに演奏家が訪れる弦楽器店で調整や修理をしプロやアマチュアの多くの演奏家の楽器を数えきれないほど見てきていますが、こちらでは10年間で3人しか新しいイタリアのヴァイオリンを使っている人を見たことがありません。


日本人のような考え方をするヨーロッパ人もたまにいる一方、作者や作った国なんてどうでもいい、ものが良ければ自分の好みに合えば何でもいいという人も多くいて、個人個人で考え方が違います。


日本からの留学生の中には、他の学生に比べケタ違いに高価な楽器を持っていたりする人がいますが、現地の学生ははるかに安い楽器でずっと良い音を出しているものです。

このような日本人を見たとき同僚に「なぜ、日本人はそんなにお金を持っているのか?」と聞かれます。
それは自分の贅沢は我慢してわが子のために身を粉にして働いているからなんですが、なぜそんなことをするのかどうしても理解してもらえません。

逆に日本人はヨーロッパ人の考える「高級品」を理解していないと言えます。
そのような高級品をよく知っているヨーロッパ人はよく知っているがゆえに冷めた目も持っています。


天才神話

普通日本で育てば「音が良い楽器というのは天才が努力を重ね腕を磨き長年にわたって研鑽した結果ようやく到達するに違いない」と勝手に思い込んでしまいます。

私は楽器職人として経験を積むほどに、音が良い楽器を作るのに才能は必要なく正しい教育を受ければ誰にでも作ることができるということを思い知らされています。

凡人が普通に作った楽器が古くなると音が良くなるのです。
特別な才能は必要なく、完成するまでやり続けることができるだけでよいのです。

良い教育を受けたなら3年間ほどの修行で十分な楽器を作ることができ、師匠や先輩となんら変わらない音の楽器が作れます。

私も、定年退職して暇ができた常連のお客さんにヴァイオリンの製作を教えたことがあります。
とんでもなく不器用な人でしたが、私の指示したとおりに作った結果、見た目はお粗末でしたが音については私の楽器となんら変わりませんでした。

そのお粗末な仕上げよりずっとひどいものでも、イタリアの楽器なら500万円以上するものがごろごろあります。


加工の美しさや接合面の正確さニスの質感や雰囲気の美しさ、それでいての作業の早さなどは熟練した腕の良い職人と未熟な職人には差があります。
しかし音についてはそれほどの差はありません。

もちろん長年研究し、自分の理想とする音に近づいていくことはできます。
ところが長年研究をしても演奏家によっては研究の成果を評価してくれる人もいれば研究する前の楽器のほうが好きという人もいます。


誰でも普通の楽器を作ることができます。
ただ音はそれぞれ違います。
それは優れている劣っていると単純に評価できるものではなく、人によってあれが好きこれは嫌いというレベルでしかありません。

ある演奏家が、「素晴らしく音が良い、この作者は天才だ!!」と絶賛しても別の演奏者はちょっと弾いただけで「これはない」と切り捨てられてしまうこともよくあります。

もしかしたら群を抜いて音が良い楽器を作る職人もいるかもしれませんが、そんな楽器に出会う確率は極めて低いでしょう。

それより、普通に作られて100年経ち音が良くなった楽器のほうがはるかに売られているのに出会う確率は高いと思います。



正しくない教育を受けた人や、独学などではまともな楽器を作れるようになれたとしても長い年月を必要とするかもしれません。
伝統的な日本の職人では、はじめのうちは下働きをさせて、教えることはせず「盗め」などと言います。

しかし弦楽器はヨーロッパで発達したものですから、ヨーロッパでどのような教育が行われてきたのかを知らなくて日本人の感覚で勝手に想像しては正しく理解することはできません。

日本では師匠と弟子、または先輩と後輩などとても強い上下関係があります。
威厳を保つためには年長者は優れていなくてはならず、年少者は劣っていなくてはいけません。
そんな中で自然と「年少者に音が良い楽器が作れるはずがない」と思い込んでしまうのかもしれません。

西洋ではただの同僚にすぎませんし、人間関係と物理現象としての音とは関係がありません。

粗悪な楽器ばかりが出回るわけ

このように誰にでも良い楽器を作ることができます。

しかしいつでも飛ぶように売れるというわけではありません。

消費者というのは普通以上でなければ購入に踏み切れず、普通のものを適正価格で買うことはあまりしません。

値段がとても安いか、作者が有名かそのどちらかが必要となります。
作者が有名ならむしろ値段が高いほうが好まれます。

実力は変わらなくても、知名度が高ければよく売れるわけですから、売名行為の才能が必要になります。
売名の天才なら実力が無くても自己流のでたらめの楽器でもなんでもいいわけです。

最近日本で、高級食材の偽装が行われたというニュースが世間を騒がせたと聞いています。
名前が有名な食材であれば、高い値段で飛ぶように売れるので偽装が行われるのです。

粗悪でない普通の食材を適切に調理すれば十分おいしいわけですが、それでは売れないので有名な食材を使うわけです。
それを逆手に取って、名前さえ有名であれば中身が違っても滅多に気づかれないため偽装が行われ続けるのです。


また、楽器にお金をかけられない人にとっては安価なものが魅力的になります。
しかし大量生産では安く作るためあらゆる部分で手抜きが行われます。


このように普通のものは誰でも作れるのに粗悪なものばかり流通します。
普通のものを製造していては生計が立てられないのです。

このわずかにしか売れない貴重な普通の楽器が古くなることで名器になっていくのです。


古い楽器にも当たり外れがある

では古い楽器を買えばどれでも音が良いかと言えば、当たり外れが大きいので実際に演奏してみて自分で音を判断するしかありません。
また自分に聞こえる音と、離れて聞こえる音は違います。
人に聞いてもらうなら、離れてどう聞こえるかにも注意を払う必要があります。

いかに優れた楽器でも自分の使っているものとタイプが異なり違いが大きければすぐに弾きこなすのは難しくなります。
したがって、すでに良い楽器を使っていないと良い楽器を選ぶことができないというジレンマに陥ります。

通常は演奏技量が上がるごとに徐々に楽器を変えてステップアップをしていくわけです。


私が職人として精一杯できることは、売名行為に精を出したり耳元での音の強さに特化した楽器を作るのではなく歴史に学び500年の弦楽器製作の集大成というような本格的な作りのごく普通の楽器を適正価格で販売することです。

それはたくさんの楽器の中で他を押しのけて目立つような派手な音ではないかもしれませんが、じっくりと味わうことのできる美しい音で、接合部分の正確さから故障も少なく、演奏者の手の触れる部分も細心の注意を持って加工・調整されたものです。

工芸品としての美しさも備え、長く使うほどに楽器への信頼と愛着を強め、音も良くなっていくものです。

我々から見てセンスのないお客さんとは


こんな人がいました。
「イタリアの楽器は一流だというので、ぜひイタリアの楽器が欲しい」
あるトリノのモダン楽器が在庫にあったので差し出しました。
その人はインターネットかなんかで調べて、ガダニーニの弟子だと知って大いに気に入って購入しました。
ガダニーニと言えばストラディバリと同時代のクレモナ出身のロレンツォ・ガダニーニの息子のジョバンニ・バティスタ・ガダニーニが最も有名で1億円を超える名器の一つです。

「あの名門ガダニーニ家の弟子の作品なら良い楽器に違いない」と思ったあなたは、営業マンの売り上げ成績に貢献するでしょう。
こちらからはそんなこと一言も言っていないのに、この人は自分から罠にはまっていったんですからカモどころの話ではないですね。


ガダニーニ家は4~5世代と代を重ねるごとに作風からジョバンニ・バティスタの面影はなくなり、アントニオくらいになると、腕の良いフランス人を雇って、彼が作った素晴らしいフランス風の楽器を自分の名前で売るという情けない状態でした。

我々が見れば、アントニオ・ガダニーニはどう見ても素晴らしいフランスの楽器に見えますが、無知な一般の人には知る由もありません。

そしてそのグァダニーニ家で働いたいたというのに、ガダニーニ家やフランスの楽器とは全く作風の違う大量生産品よりも品質の劣るトリノの楽器を400万円くらいで喜んで購入したのです。

このトリノの楽器には確かな鑑定書があったので400万円の価値は保証されますが、作者の名前を伏せて実力だけで評価すれば40万円が良いところでしょう。
私個人の印象ですが、楽器が40万円で鑑定書の紙切れが360万円だと感じます。


それから数年後彼は、フランスのJ.B.ヴィヨームに興味を持ち出しました。
ヴィヨームはストラディバリそっくりの楽器を作ったとして有名になったので、ヴィヨームならストラディバリに限りなく近い楽器に違いないと思ったのでしょう。

ちなみにヴィヨームの実物を調べてみてもただの素晴らしいフランスの楽器でソリストにも愛用者がいます。
ヴィヨームを我々が本物のストラディバリと間違えることはないし、ヴィヨームは弟子や独立した弟子に楽器を作らせ自分は作っていなかったのでヴィヨームと同じ楽器を作れる優秀な職人は他にもたくさんいます。


おわかりでしょうか?
楽器の実物に目を向けることなく、言葉で作られた神話にばかり興味を持っているためこのようなどうでもいいことばかりに興味が行ってしまうのです。


「一流の楽器はイタリア製」というのは間違っていませんが、値段は最低一億円はします。
もし数百万円の3流4流の楽器を買うのならイタリア製にこだわる必要は全くありません。

1850年以降に作られた楽器はみなフランスのモダンヴァイオリンがもとになっています。
20世紀以降のものならどこの国のものか見分けるのが難しいほど国による差はありません。


言葉で作られた神話を信じてくだらない楽器を購入し音楽家としての人生を無駄にしないことを願っています。