その一方でヴァイオリン族の弦楽器というのは、元の楽器がアジアからヨーロッパに伝わっていく過程でその土地土地で創意工夫を重ねて1000年という年月をかけて今の形になったということは、まさに人類の英知の結晶とも言えます。
多くの人たちがしてきた創意工夫について知るだけでも大変面白いことだと思います。
鉄道、自動車、航空機、カメラなど人類の知恵の結晶の機械類には実用以上に興味を持って楽しむ方法が確立していますが、弦楽器についてはガセネタのようなインチキ臭い知識が広まっているだけです。
こんにちは、ガリッポです。
弦楽器について興味はあっても、それについて知るための出版物など情報が不足しています。
こだわりをもって自分の好きな楽器をみつけたり、できるだけ多くの楽器について知りたいと思っても楽器の違いは素人目にはわからないものです。
そこで本来気にしなくても良いどうでもいいことを異常に気にしてしまい、楽器にとって大切な部分には無知なままの人が多くいます。
とくにクラシック音楽の歴史の浅い国ほど典型的な間違いにはまりやすいようです。
伝統的な弦楽器愛好家
これまでの愛好家の楽しみ方についてまとめてみます。①コレクター
②弦マニア
③研究家
④アマチュア製作家
①コレクター
歴史的には有名なコレクターがいました。
王侯貴族には専属の製作者を雇って自分のオーケストラの楽器を作らせたりもしました。
現代でも名器をコレクションし、展示したり貸し出したりしている人もいます。
ただし、これは大富豪にしかできない楽しみでもあります。
とくに現代では名器の値段が高くなったので大企業の創業者クラスでないと不可能でしょう。
そこまで高価な楽器でなくても、一般の人で掘り出し物を物色してはいくつも所有している人もいます。
コレクションを売りたいという依頼もあります。
多くの場合、これらの楽器はそこに張られているラベルの作者と実際の作者が違う安価な楽器であることがほとんどです。
また、それを売りに出すためにする修理代が楽器の販売価格を超えてしまうようなひどい保存状態のものが多くあります。
楽器の真贋や出来の良さを見抜くのは本当に難しく変なものをつかまされてしまうわけです。
私は一般の人が「真贋を見抜くのは絶対に不可能」だと断言します。
少々格好悪いですが、正直に言うと我々プロの職人でも多くの場合不可能です。
このような問題があるコレクションの趣味ですが、私たちと長い付き合いのお客さんならことあるごとにお話をしていて良く理解していらっしゃるので、あまり知られていなくて実力より過小評価されている作者の素晴らしい名器や私共が作る楽器をいくつも所有している方もいます。
これなら、それほど大金をはたかなくても素晴らしい楽器、修理の完璧な楽器を手に入れることができます。
②弦マニア
楽器の音ついてこだわりたいと思っていても演奏者が自分でできることは限られています。
ほとんど唯一のことは弦の交換です。
そこでさまざまな弦を試して大変詳しい人がいます。
それはとても良いことです。
しかしながら、数週間で「劣化した」と言って交換してしまう人もいて、常識的に考えればそこからがその弦本来の実力です。
年に10~20回も弦を交換したら大変な金額になります。
大金持ちでない限り、それを長年も続けるのなら別の楽器を買ったほうが良いでしょう。
弦マニアになってしまうと、楽器の音にとってごく一部の要因でしかない弦のことで頭がいっぱいになり、それ以外のことは一切無知なままで、すべての問題を弦だけで解決しようとしてしまいます。
問題は楽器の構造にあったり、消耗や損傷など修理によって解決するべきことかもしれません。
有名な演奏者が何を使っているか調べたりして大変詳しい人もいますが、ある楽器で試して良かったからと言って別の楽器でもその弦が最善であるとは限りません。
有名な演奏者と同じ作者の楽器を使っていなければ意味のないデータです。
時として私たちには滑稽に思える「弦マニア」もこだわりを持ちたいという情熱に対して情報が不足しているので、その責任は我々にもあると受け止めなくてはいけません。
③研究家
弦楽器に強く興味を持ち、音響工学などの専門家も含め弦楽器について研究しようという人たちが常にいます。
私の職場でも大学の研究者に協力もしています。
弓の毛の電子顕微鏡写真などは非常に興味深かったです。
世界的な弦楽器専門誌『The Strad』で紹介された電子顕微鏡写真とは違っていて、業界で一般に言われていることや近年提唱されていた理論とも違いました。
商業目的で広められた知識とはこうも怪しいものだと改めて痛感しました。
その一方で、弦楽器について常識的なことや基礎的なこと、市場に出回っている楽器や、演奏文化について無知であるととても幼稚な研究になってしまいます。
何か数値で表されると説得力があるように思えますが、人間の耳というのはとても微妙な音の違いを聞き分けられ一つの計算式に表せないような複雑な音を感じることができます。(もちろん思い込みや先入観で聞こえ方が違ってくることもありますが…)
④アマチュア製作家
独学だったり、プロに教わったりして弦楽器の製作を試みる人はいます。
趣味が高じてプロとして開業する人もいますし、過去にもいました。
ただし、独学は遠回りでしかなく安価な大量生産品にも及ばないものしかできないのがほとんどです。
独学で苦労してようやく並みの水準まで到達したことを、苦労したからといって遠回りしたことを称賛するのはどうかと思います。
一方で、プロの職人に教えてもらうと何年も修業期間がかかってしまいます。
弦楽器愛好家の一人として私の試みを紹介
このように弦楽器については楽しみ方が確立してないわけですが、私自身が弦楽器に大変な興味と情熱を持っていて、これについて知ることを楽しんでいます。私の目的は弦楽器について知ること、そして自ら素晴らしい楽器を作ることにあります。
そのような楽しい職人人生の中で出てきた面白いエピソードや知識をこのブログで紹介して皆さんにも弦楽器の素晴らしさ、楽しさを知ってもらいたいと思っています。
たとえばこんな話があります。
ある有名な偉い職人がいて戦後活躍し多くの弟子を育成した人がいます。
この人の教えを忠実に守り神のように尊敬している弟子もいます。
私は、音が良ければどんな楽器からも学ぼうという考えですから、神のように師匠を盲信することはありません。
理論家であるその有名な職人は自称「理想のヴァイオリンの型」を考案しました。
その型は楽器の横幅のうち真ん中のくびれいてる部分(ミドルバウツ)の幅が異常に広いのです。
この幅は実際の楽器を巻尺(メジャー)で測るのとノギスを使って直線距離で測るのとではだいぶ違います。
メジャーで測るとふくらみ(アーチ)に沿っていくので距離が長くなります。
おそらくこの職人は本で知識としてストラディバリなどの名器の寸法から割り出した「理想の寸法」を知ったのでしょう。
メジャーで測ったのと、設計時に平面に作図するときでは距離が変わってしまいます。
これを勘違いして、平面図で理想の寸法にしてしまったので、完成品をメジャーで測ると異常な幅の広さになってしまったのでしょう。
このように勘違いした寸法を理想だと信じている思い込みの激しい自信過剰な偉い職人と、真剣に信じている弟子たちにこのことを知らせる勇気は私にはありません。
結果から言うと幅が広すぎると弓がぶつかってしまう問題が出やすくなります。
しかし音については多少の個性はあっても特別優れていることもなければ劣っていることもないでしょう。
「理想の寸法」など実在しないのです。
このような勘違いやいい加減に作った楽器もたくさんあって良く見ていくと面白いものです。
必ずしもその間違いや失敗、いい加減さが音を悪くするわけでもないのも面白いところです。
多くの職人は自分が正しいと思いたい
人なら誰しも自分は間違っていると思い知らされると落ち込んだり怒り狂ったりするものです。弦楽器を作る職人は自分の作り方が正しいと思いたいのです。
そうなるとなかなか自分の流派以外の楽器の製法から学んだり、安価な楽器から学んだりすることは難しくなります。
販売や修理を手掛けたり、古い楽器に詳しい職人でも古い時代の楽器を「すばらしい!!」と絶賛する一方自分で楽器を作るときは全く違う現代のスタイルの楽器しか作りません。
「素晴らしいと思うなら、それと同じものを作ればよいのに・・・」
そう思っても、これが奇跡的なむずかしさなのです。
現実をそのまま受け入れることがなかなかできません。
現代の職人は「凸凹がない滑らかな曲線や曲面に仕上げることが良い」という風に教わります。
これは19世紀にフランスで広まった考えで、その後世界中の楽器製作で常識となりました。
腕の良い職人はこれを見事に成し遂げます。
したがって、現代の職人は「滑らかに仕上げられた楽器が良い楽器」と考えています。
一方でもっと古い時代の高価な楽器を作った職人たちはそんな近代の考え方を知りませんから、必ずしも滑らかに仕上げられているわけではありません。
現代の基準から見ればダメな楽器とみなされてしまうような仕上がりの楽器でも、値段でいうと大変高価で「素晴らしい楽器」と考えられています。
ここに「滑らかな仕上げ」と「値段が高い」という二つの異なった価値の基準が存在してしまいます。
そしてこの二つの基準は必ずしも一致しません。
そこで、古い楽器を見たときに実際はボコボコ・ガタガタに作られているのに、「良い楽器は滑らかに作られているに違いない」という思い込みから、そのように見えなくなってしまうのです。
これは、写実的に絵を描ける能力とも似ています。
先入観で思い込みがあると、見たものをそのままに描くことができないのです。
そんな常識をすっ飛ばして古い楽器をそっくりそのまま作ってみました。
これはアレッサンドロ・ガリアーノの実物を見ながら作りました。
この詳細やこういう面白い試みをこれからもこのブログで紹介していきます。
ユニークな発想で面白い記事を目指していきます、これからもよろしくお願いします。