いやいや、早いね月日が流れるのは。
もう後期が始まってから一週間。
僕の夏を返してくれ。
もう時間がないよ。言っとくけど。未来の自分に向かって投げかけます。
もう汚くいなさい。いやらしさを自 分に感じて行動に支障が出るなら、いけない。
そう言い聞かせても動くことはない硬い意思。
ただ走っていればいいんだ。
そうわかっているけど、できない。
抜け出せない自我との葛藤。
やだやだ。汚いね今宵も。
ごめちょふ。
いつからでしょうか、何も考えず、何かにのめりこむことができなくなったのは。
最近はなにをやるにつけても、どうせ・・・・の類のことが頭に浮かび、没頭してしまうことが馬鹿らしく感じてしまうのです。
自己完結できる性格の人々は、獏にとって羨望の対象です。
自分にとって益のあること、精神的に充足させられるものが存在しないのはきっと、ただそういう風に考えてしまう年頃であるわけではなく、いつの時代もどの年齢の人も脳裏にちらつくものであるのだと感じる。
ただその比重が違うだけ。人 により、時代により、年齢により。
人生において後悔しない生き方で、精神的な充実をもって死んでいく人が仮にいたとしよう。
一般的に見れば幸せな人と思えるかもしれない。けれど僕はそうは思わない。
何故かはわからないさ。けれどそんなこと絶対にありやしないと思うんだ。いや、ありやしない。これは間違いないね。
嘘が嘘のままでもいいと思う奴はそれでいいんだ。
その人にとったら嘘は真実なのだから。
僕もそんな人になりたいな。
素直な人間。
いや僕も素直だとは思うね、自信のことを。ただ真実を知りたいだけなんだ。
いやー、本に触発されると、きたなモードになってしまう。
大変だ。
ごめちょふ。
『ライ麦畑でつかまえて』著JDサリンジャーを読了。
もっと昔に読みたかった。
高校2年 生の頃に著者の他作品である『フラニーとゾーイ』を読んだときに、同様に読めばよかったと思った。
というのは、あの時に読んでいたならばもっと胸にくるものがあったかもしれないから。
もう当時のような感性を持ち合わせてはいないのかもしれない。
大人になること、未来への絶望が過去のものとなってしまった僕には、新鮮味や共感性に若干かけるのである。
けれど、やはりこういう類の題材は僕の好きなものの1つであるから結構いいなと思った。
エゴ、スノッブ、インチキいろいろ溢れている世の中さ。
世もそうなら人もそう。
だってそういう奴が世を作り出すのだから。
でもそんな世界に生きなければならないし、そんな世界に依存しなければ僕という存在が消えてしまう。
存在を求めるなら、世に帰属せねばならぬ。
世に飲まれたくなければ、存在を否定せねばならぬ。
後者をとりたいのだけれど、あまりにも非現実的すぎる。
今も昔もきったないんだ、きっと。
ごめちょふ。
AKBすごいっすね。
でもメンバーがわかりません。時代遅れ?
大島さんとか前田さんとか知らない人でも知っているような人しか知らないわけです。
でもさ、大島優子ってそんなにかわいいかな?
そこで、友達に聞いたのさこの間。
その人が言うことには顔だけじゃなく性格とかも含めていいんだよ。だってさ。
はて?
自宅にテレビもなく、AKBにも興味がない僕にとっては、そういう性格的なかわいさがわからないのさ。
ま、別にいいや。
うといよね、そうゆうところ。
テレビっ子だったんだよ、近い昔までは。
まったく、でもテレビ離れが進んでいるといっても、自宅にない人は意外に少ないんだよな、周りでも。
大学生テレビ見ないといいつつも、何だかんだでつけっぱなしにしておくだけで、結構な情報が垂れ流されていて、なおかつ無意識にもテレビを見ているはずだ、きっと。
だから、テレビあんまり見ないって言ってる奴は危険なんだ。それでいて意外に詳しい奴は。
テレビは受動的に情報を受け取る媒体だと、どこかでみたような・・。
ま、それはいいとして、意外に時間ってないもんだ。
あ、いきなし気持ち悪くなってきた。
そろそろ、パソコン消そうかな?
ごめちょふ。