映画は100年前の姿に戻れるか? | 不況になると口紅が売れる

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アナ雪の主題歌「Let it go」を、映画館でみんなで歌うという楽しみ方が話題になっている。

太田光が「気持ち悪い」と批判していたが、確かに今日的な普通の感覚からするとまったくもって気持ち悪い行為であろう。

しかし、スポーツイベントや音楽ライブで騒いだり、歌ったりするのは極めて普通のことである。
映画で同じことをしちやいけない、という道理はない。

実は20世紀初頭の米国で、ニッケルオデオンという安映画館に集まった観衆たちにとって、歌い、騒ぎ、飲み、暴れるのは、ごく普通の楽しみ方であった。
移民が多かったから映画のセリフがわからず、それをわかる奴が口頭で訳してやる、といったタイプの「会話」も許されていた。
のちに女性が観衆に加わったため、てめーら少しは静かにせいよ、ということで今日の「黙って観る」スタイルに変化したといわれる。

クラシックのコンサートだって、もともとは貴族たちのパーティのBGMである。
集まった招待客は、飲食、会話、ゲームを楽しむわけで、まあそちらがメインなわけ。
音楽は、あくまで脇役に過ぎなかった。
プチブルが台頭し、貴族もどきの教養を志向するにあたって、クラシックは「芸術」や「習い事」として君臨し始める。
たかが「昔の音楽」が、黙って静かに聴き、拍手してアンコールしろ、と人々に強制し始めたのは、20世紀の大衆社会が登場してのことだ。

書籍もまた、もともとは声を出して読むのが当然なのであった。
黙読は、「近代的個人」ってのが浸透してからのちの行為である。
ついでにいうと、昔語りにおいて読み手の話に口を挟み、知ってるフレーズを皆で唱和するのはひとつのパターンだった。
静かに本を読むなんてのは、たかが100年かそこら以来のことである。


コンテンツ消費=「観る・聞く・読む」という受動的行為、という固定観念を前提にする以上、もはや面白いビジネスにはなっていかない。
むしろ消費者に「歌わせる」「演じさせる」「創らせる」ことで、新たな地平が見えてくる。
著作権者が主役のビジネスモデルなど、もうとっくに終わっているのだ。
アナ雪は、コンテンツの楽しみ方の転換を示唆する、ターニングポイントになっていくかもしれない。


ただ太田の言い分も、実はわからないでもない。
問題はこれがディズニー映画で、あの絵で、そしていろいろと仕掛けられたものがあって、そのうえで皆が映画館で歌ってる、というところにある。
自由演技のようでいて、実は事業者によって仕組まれたレールの上での不自由演技。
要するにこれは「歌声喫茶」みたいなもんであり、単なるカタルシス効果、みたいなところに落ち着いちゃってるからだろう。

映画の100年前への先祖帰りは、停滞しているコンテンツ産業にとって、ひとつの突破口でもある。
しかし、太田が直感的にキモい、ダサい、ヤバいと提唱しているのは、この歌う姿が新興宗教のミサとかと近似値にある??とか感じるためだろう。
まあしかし、ディズニーってのはそういうもんだと(笑)、割り切って考えるのもいいかも知れないですよ、太田総理。