宮崎駿の「風立ちぬ」のポスターにもなっている「丘の上の女性」。
これが、クロード・モネの「日傘をさす女」のオマージュだというのは一目瞭然である。
あちこちで、話題にもなった。
実はこの絵は、1枚ではない。
モデルは妻のカミーユで、32歳の若さで結核で亡くなっている。
モネはこの絵を、カミーユが死んだあとにも描き続けるのである。
下図がそれで、顔が判然としない。
あるはずの影も見えず、これはモネが見た幽霊ではないか?という説もある。
いずれにせよ、亡き妻を慕っての心情は有り余るほど伝わってくる。
「ひこうき雲」の歌詞、「生きねば」というコピー、そしてモネの亡き妻…。
これらが重なって「メメント・モリ(死を想え)」というテーマが浮かび上がってくる。
さて、サントリー「金麦」のテレビCM。
このシリーズに「フリフリサンバ」 編という作品がある。
檀れいさんが、真夏の夏空をバックに、丘の上で踊るというだけだが、これまたモネ作品のオマージュと見てとれないこともない。
自らの引用で申し訳ないが…
「金麦のこのシリーズは、リアリティのない、空想的存在の「妻」と一緒の世界を描き続けているが、改めて考えてみると、これらはすべて「若くして死んだ妻の夢」なのかも知れない。」
金麦の広告にインパクトがあるのは、毎回「どこかで見たような画像」が、鮮やかに残されるからだろう。
これなんかもそうだ。
なんかの映画かドラマで見たような、見てないような夕刻の商店街の風景である。
金麦のテレビCMが「物語広告」に分類されるかというと、たぶんそうではなかろう。
つまりこれは、「物語形式広告」ではない。
しかし、どこかでみたはずの映像が、夢の中のように再現されることで、見る側は勝手に前後のストーリーを連想してしまう。
広告の中に物語(プロットや時間軸、主人公も不在だ)はないが、われわれの頭の中にある物語を紡ぎだすという機能を果たしているのだ。
ブランドの物語とは、テレビCMなどを通じて「これこれこういうものです」と、消費者に押し付けるものではない。
むしろ、消費者による物語的連想の呼び水を、なるべくミニマムな情報によって提示するほうが効果的ともいえる。
だから極端な話をすると、全ての広告が「物語効果広告」になるべき、ということだ。



