貧乏だった男が勤労の甲斐あって、乙姫様に何でも望みを叶えてくれる「はなたれこぞうさま」をプレゼントされる。
ただし、乙姫様は男に、こぞうさまには必ず自分で採った「海老なます」を捧げなければならない、と命じられる。
こぞうさまのお陰で、男はやがて大金持ちになる。
それにつれて男は、だんだん海老なますつくりが面倒になり、あるとき、こぞうさまに「もう帰ってくれ」と言う。
こぞうさまは「コクリ」と頷き、鼻をズズーっとすすると、家屋敷全てが消えうせて、もとの貧乏人に舞い戻っていた…。
海老なますを捧げるという、このささやかな労働すら忘れつつある、今日の消費社会。
「缶ビールをそのまま飲む」というのはその典型である。グラスに注ぐ、というほんのちょっとした手間すら省略しようとする人が増えている。
ただし日本型のマーケティングは、<顧客ニーズ>の名のもとに、こうした「成り上がり者の怠惰」を正当化してきた経緯がある。
消費行動の中に「ほんの、ちょっとした手間」を取り戻すことがいま、求められているように思う。
ファストフードでも、ひと手間かけることで、ずっと美味しくなるとか、そういう商品があってもよい。
お客さまの少しの努力と工夫で、この商品はいくらでも良くなります、という示し方ができたらいいのになあ。
サービス財においてはそれは当然の話なのだが、物財においても同様の意味合いがあるはずだ。
そろそろそうしないと、日本人は、もとの木阿弥になってしまうかも、よ。
とっぴんぱらりのぷう。