若い人にインタビューすると「欲しいものがないんですけど…」という回答が返ってくる。「車ですか?別になくても、生きていけますしね」である。
20代未婚サラリーマンのお金の使い道トップは「デート」でも「車」でも「趣味」でも「旅行」でもない。「貯蓄・投資」だという。将来への不安を抱えた世代、という分析もあるかもしれないが、その背景にあるのは、何か特定の用途に使い道を定めたくないというモラトリアム意識であるように思う。
仕事に対しても同様で、専門性を持ちたいという意欲はあるものの、どういう専門性かという選択をしきれないでいる。あらゆる可能性を試してみたいが、どれかひとつに決めろといわれても決められない、という感覚である。
恋愛や結婚に対しても同じである。特定の人と一緒になるなんて…まったくイメージできないわけだから、未婚率は上昇するばかりである。
恐らくこのような「ノーマルでいたい」感覚は、我々の世代から本格化したのだと思う。自分が特定の業種ではなく、広告業界を就職先に選んだのは、あらゆる業種の仕事ができる可能性を秘めていたからである。というとカッコいいが、自分の人生を賭けるに足る業種を見出せなかったのだ。
相原博之は、日本は「キャラ化している」と言うが、実態は「キャラ化を順延する」人たちが増加しているのではないだろうか。特定のキャラになる、ということは、他の可能性を捨て去ることでもある。進化や成長とは、なれるはずだった他の未来を諦めることである。そして成年とは、可能性が潰された果ての未成年のことである。
してみると、今の20代前半の人たちは「成年」でも「未成年」でもない、いうなれば「仮成年」と呼んでもよいかも知れない。「仮成年者保護法」が、この国には必要だと思う。