昭和五十年に、市内六農協が合併して誕生したJA西南の本所ということもあり、パーティション越しに垣間見える店内には四つの窓口が並び、営農、経済、共済、金融、観光と、働く職員はゆうに二百名を超える。ただ、合併を機に隣に新館が増設されてから、この旧館は急に古さが目につくようになり、いくら壁や天井を塗り替えたといっても、老女の化粧みたいに朽ちた質感は隠せない。
七瀬の前に現れたのはいつもの亮子だった。席に着くと七瀬にとても自然に微笑みかけてくれた。そしてノートとボールペンをテーブルの脇に置いて、彼の言葉を待つ。何も変わったところはない。いつものように彼の心の底にさざ波が立つ。香水こそ付けていないがその匂いというものが、ただ透明にそこにあるような気がした。
七瀬は安堵して色校を軽やかな手つきでテーブルの上に広げた。DM、商品パンフレット、チラシ、注文票と、発注された色校がいちどきに上がったので校正には時間がかかるが、それでも亮子は週明けに戻すことを約束してくれた。
全てがいつもどおりに進んでいた。それは不純なものを一切含まない二人だけの打ち合わせのかたちだった。しかし、その日は違っていた。一通り話がすんで七瀬が立ち上がりかけた時、亮子が口を開いたのだ。
「七瀬さんて、一人でお仕事されているんですか?」
それは彼女がはじめて口にしたプライベートな質問だった。その響きの新鮮さに気持ちがそよいだが、七瀬は冷静さを装った。
「ええ、そうです。以前は会社勤めだったんですが、十五年ほど前に独立したんです。今は市内のマンションを事務所代わりに使っていて。そう、普段は、こういった印刷物だけでなく、いろんなコピーを書いていますよ。新聞、雑誌、それにラジオのCMとか、何でも屋みたいに」
亮子が少し微笑んだ。軽い興奮がから七瀬の返事も饒舌になった。彼は椅子に座りなおした。亮子は指で色校の端を揃えながらも、七瀬から目を離さない。
「昔から、文章を書くことが好きだったんですか?」
「そんなことないですよ。もともと本など読むタイプではなかったし、文学部出ってわけでもない。ただ、学校を出た時、そう、まだ、コピーライターという職業が珍しかった時代にたまたま知ったんです、専門の養成講座があることを。その講座に通ったことが今の仕事をするきっかけになって・・・・・・」
乾いた綿が水を吸収していくみたいに、亮子は七瀬の言葉に何度も頷く。
「でも、こういうお仕事ができるのは、やっぱり特別なんだと思います。だって、私には文章を書くことなんか・・・・・・」
亮子の瞳の中に小さな輝きがいくつも生まれているように七瀬は感じた。彼はこのまま話し続けていたかった。しかしそんな願いを挫くように、横から男の声が飛んできた。
遠いデザインとは、遺伝子の設計図のこと。
17年前の2001年が舞台の古いお話です。