2001年 冬
七瀬は携帯電話をかけるふりをして撮影会場を出た。手持ちぶさたからスタッフたちがはじめた同業者の男の成功談が気詰まりだったからだ。その男の噂は七瀬もいくどか耳にしていた。独立後わずか三年足らずで十数名の社員を抱える制作会社をつくりあげた、彼よりひと回りも若いライターのことだった。
十五年前、東京の小さなプロダクションを退社し、故郷のT市で独立の旗印を掲げた七瀬だったが、彼には最初から自分の仕事をビジネスとして捉える野心がなかった。世間が好景気に浮かれていた時期もカヤの外に置かれていたし、その分、不況の波が押し寄せてきても、そうひどくへこむこともなかった。組織に縛られないフリーの気安さに流されるまま、十五年という歳月が過ぎ去っていったが、そのあいだ彼は何一つ築こうとしてこなかった。人を雇うための基盤も、営業用の人間関係も、客を納得させるノウハウも、ある種、専門家としての風貌さえも。
いや、彼には見つけられなかったのだ。築くに値する価値があるもの、確かな約束を交わしてくれるものを…。川の流れのように留まることをしらない広告業界にあって、元々、そんなものは存在しないのかもしれないが…。
それでも若いうちは、まだ、たっぷりと残っている電池の残量を横目に未来に漠然とした希望を抱いてもいた。しかし、そんな時期も過ぎ去って、七瀬はもう目の前にあるこの現実との折り合いをつけなくてはならない年齢に達していた。
そして、七瀬はこの歳の男なら当然身につけているべき生活や仕事における装飾品を、何一つ手にしてこなかった。それが若くあり続けることだと思っていたし、今でも若く見られる容姿はその成果だと自負してもいた。ところがここにきてそんなツケが一気に回ってきた。彼が社会的なテリトリーを築ける場所など、もうどこにも残っていなかったのだ。
ただ、その種の焦燥感は七瀬だけでなく、同年代の同業者たちの共通項なのかもしれない。たまにそんな連中と飲みに行っても、隣で卓を囲んでいる中年のサラリーマンたちのように快活な笑いがこっちにおこらないのは、根っこにあるものの違いなのかもしれないとも考えた。中年臭さと引き換えにした安定感。そんなものに羨望の目が向きはじめる。本気で酔えないことが七瀬から歯茎が見える笑いを奪い去っていた。
遠いデザインとは、遺伝子の設計図のこと。
15年前の2001年が舞台の古いお話です。