2001年 夏
リビングボードの上のケイタイが鳴りだした。時計の針は深夜零時を指そうとしていた。ソファから立ち上がり、ケイタイに手を伸ばすと、呼び出し音が止んだ。
開いた画面には090ではじまる着信番号が表示されていた。また、あの番号だった。いつも二、三回、短く鳴って切れてしまうため、一度もつながったことがない。七瀬はケイタイを畳んでソファに戻り、氷だけになったグラスにウイスキーをつぎ足した。
最初は気にもとめなかったが、それが一週間も続けば話は別だ。明らかな作為がそこにある。
いったい誰のしわざなんだ?
最初、亮子の顔が浮かんだが、第一、番号が違うし、彼女が自分のケイタイの番号を変えるとは考えにくかった。
まさか、亮子の恋人じゃないだろうな? 告白の一件を根に持ってこんな嫌がらせをしているのだろうか? でも、たとえ、亮子があの一件ことを打ち明けたとしても、ケイタイの番号まで教えたりするだろうか? 男の方から問い詰めたんだろうか? それとも、JAの職員から聞き出したのか? ということは、亮子の恋人もJAの職員なんだろうか・・・・・・
七瀬の憶測は果てしなかった。ただ、彼には、発信元に電話を折り返す勇気はなかった。どんな声が返ってくるのか怖かったし、この電話が鳴りはじめたのが地場産品フェアの直後だったことも返信をためらわせた。その番号を見るたびに、あの時の亮子の顔が浮かんできたのだ。搬入口にじっと立っていた亮子の目は、七瀬に軽蔑を告げていた。
いっときの衝撃と困惑が去って、冷静になった彼女の目に、自分が人間性すら疑われる男として映ったのは当然といえば当然だ。妻子を安々と裏切って、若い女に色目を使う男への軽蔑か……。彼女が行き着いた感情の終点には軽蔑しか残らなかったんだ。そして、自分が手頃な浮気相手とされたことへの怒り、つまり、プライドも同時に傷つけられたんだろう。
三杯目のロックが空になった。ひどくすり減ってしまった七瀬の神経は、アルコールの力を借りてゆっくりとこの現実から離陸をはじめる。ひとたび羽ばたいた想像の力にもう着地点はない。
それとも、あの目は悲しみを伝えていたのか?
七瀬の心にまた違う亮子のイメージが生まれた。
そうだ、一度は告白しておきながら、それっきり何もアプローチをしてこない、亮子はそれが不満だったんだ。それに落胆していたんだ。そこには年齢とか妻帯とか不倫とかという問題は存在すらしていない。彼女は物足りなかったんだ。そうだ、そうに違いない。オレの中途半端な態度、それこそ最も罪深い彼女への裏切りだったんだ。
亮子の声が聞こえてきた。
『あの告白は、本当だったんでしょう? そうなんでしょう?』
七瀬は反射的にソファに転がっていたケイタイをつかんだ。全身を巡るアルコールの痺れが指先にもきていたが、彼は一気に発信した。今まで押せずにいたその番号へと。
『ちがうんだ、川奈さん、最初からつきあおうなんて思っちゃいない。ただ、キミが喜んでくれると思ったんだ。ただ、それだけだったんだ』
電話はつながった。しかし、聞こえてきたのはザーザーという混線したような音だった。耳を押し当てても、人の声らしきものは何も聞こえてこない。
相手は電波が届きにくいところにいるのか?
七瀬は通話を切ってソファに身を横たえた。開けていられないほど瞼が重かった。上階は誰もいないみたいにひっそりと静まり返っている。
遠いデザインとは、遺伝子の設計図のこと。
14年前の2001年が舞台。
中年男が若い女性に憧れる、よくあるテーマの小説。
この歳になると。そんなことしか書けませんので…。
地域の産業支援を本格的にやりだしてから、
コピーを前みたいに書けなくなったので、
その手慰みのつもりで書いています。