ご無沙汰しておりました。
いつものように突然ですが、
本日のテーマは「自己評価・自尊心」です。
最近ネットニュースを読んでいて、「自尊心の低い人」というテーマにふと目が止まりました。今まで、あんまり悩んだことなかったつもりだけど…それらによると、どうも私という人物は「自尊心、自己評価の低い人」らしい。
自分に対して、「自分はダメ人間だ」という気持ちを、平均的な人よりも強く持っているらしいのです。
その一方で、世の中の大半の人は自分自身に下す「自己評価」と言うものが、世間一般に受けている「世間的/社会的評価」というものよりも、高めらしいのです。自分では「オレってスゴイんだぜ!」と思っていても、周りは「あいつ普通だな」って思われてるってことですね?
…まじですか?
あなたはどうですか?
どっちだと思いますか?
そう言われて改めて考えてみると、確かに私の自己評価は低いかもしれなかった。
「ipocoはそこまではひどくない」とおもわれているのに、自分では実際以上に「私はなんてダメ人間なんだ」と思いながら暮らしているとしたら何だか色々ともったいない…、そんなら私は一体どうすればいいのでしょう?
できるものなら自尊心というものを今更ながら育てて、もっと幸せに生きてみたい。そこで、心理学とかあんまりよくわからんけど…ものは試しと、それらしき本を読んで学習してみる。
この他にも数冊読んでみました。それで…
このような本などには、「子ども時代に、思う存分に愛情を得られず育つと、大人になって自己評価が低くなる」みたいなことが書いてあるのですが、なぜか自分のケースでは全然当てはまりませんでした。
客観的にみても、私の子供時代はものすごく、超がつくほど平凡かつ幸せで、本に書いてあるような、周囲の大人に大事にされなかったり傷ついた不幸な子供時代という表現には、あまりにもかけ離れているのです。
そんな平凡そのものだった私の、唯一とも言えるデカイ不幸な出来事といえば、12歳の時に一型糖尿病を発症したことであり、よくよく考えてみると、やはりこの出来事が影響を及ぼしているようです。
発症した時、私は中学1年生で、心身共に青春時代の始まりというにはまだ幼く、子供時代の最後の名残とも言える時期でしたが、病床の枕元で泣いた母と、入院のたったひと月の間に心労で髪が真っ白になった父を見て、ものすごい罪悪感を感じました。病気になって心配をかけ泣かせたことを、とても情けなく思いました。
もっとしっかりしなければならない、
早く大人にならなければならない、
私はもう子供ではない、
と、ひたすら強く思い…以後、そう思い続けながら青春時代を送りました。
このような思考は、今となっては健全とは言えないとわかりますが、泣いたりわがままを言ったりせずに、精神的な均衡を保ちながら病気の治療…つまり注射をする方法は、その時はほかになかったのです。私が生き残るために思いついた、たった一つの方法は「子供の自分を棄てること」でした。
そんなわけで、周りの大人は私を大事にしたけど、私自身は私の成長を見守りも大事にもせず、「きちんと出来ない」ことを許さず、いつも叱責し続けてきました。完璧にできない自分にマイナス評価をし続けてきました。
血糖値がコントロールできないと「ダメ人間、しっかりしないと」となり、
注射をしたくなかったりイラついて治療をやめたくなっても「また子供じみたことを考えてダメな自分だ」、
ご飯やお菓子を食べたくて我慢できなくなっても「血糖値のことを考えないといけないのに何やってるんだ」、
というふうに。そういう思考は染み付いて、今でも毎日そんな感じです。
これが「自分はダメ人間」と思い続けている私の根源なのかも知れない。
思考回路がこうじゃなかったら、自分の人生、今とは全然違ってたかも知れない。けど、どっちにしても、子供時代も青春時代もとうに終わり、過ぎた時間は取り返せない。というわけで現在、自力でなんとかする方法を勉強中ですが、
こういう低い自己評価をする思考というのは、原因となる出来事に辿り着ければ解放に向かうようです。もしかしたら私も、出口を見つけられたかも知れない。
というわけで、
世の中の、一型の子供達を育てているお父さんやお母さんにipocoからお願いです。
しっかりしているように見えて、平気な顔をしていて、ワガママや泣き言を言わない子でも、心の中は不安と緊張で張りつめていることがあります。失敗してもわがままを言っても大丈夫な、お父さんやお母さんという温かい場所がいつでもそばにあることを、繰り返し伝えてあげてください。本人がしっかりしているということは、本当は甘えられる場所が必要だということです。
逆に、病気を受け入れられなくて、荒れたり治療を放棄したりして周囲の人を困らせる子も、いるかも知れません。周囲の人々は、そのことで混乱したり心配したりするかも知れません。でもそれは、病気を持ちながら大人になるための大事なステップであり、健全な反応のひとつなのだということを、どうか理解してあげてください。
子供がいくつまでで、大人がいくつからなのかは、ipocoは知りません。人によって違うかも。
おしまい。
