一番楽に生きる方法は、誰とも何とも比較しない絶対的な生き方ですが、
それができる人間はほとんどいません。
誰かと何かしら比較する相対的な生き方に終始するのが悲しい霊長類なんですよ。
アタクシたちってさ。
そこで思ったことは、年齢を重ねるごとに
同じ比較をするにも随分と幅が狭くなって来たな、ということです。
子供の頃は、自転車の後部座席に付いたウインカーや5段変速、
給食の早食いや、田んぼでいかに早くカエルを見つけるかなど。
それらが競争であり、比較の対象であり、別にたいしたことでもなかった。
そして歳月は流れ、嫌でも大人になったものの、
その対象となる幅が狭くなり奥行きがグッと深くなったような気がします。
だいたい比べるのって、年収とか家の大きさとか
車の種類とかそんなものぐらいでしょ?
つまり、比較対象するものが少なくなり奥行きが深くなったということは、
見ようによっては中身やその質が陰湿になってきたということです。
それにもっと肝心なことは、発想が貧困過ぎるという点。
それしか見えないんだから、困ったものです。
足元が見えないんでしょうねぇ、きっと老眼が進んでいることも
知らないはずです。
比較すること自体、まったく無意味で滑稽なこと。
その比較する対象すら空虚なものだ、というのに気がつかないものです。