K君は小学校2年の1学期が終わってもまだ泳げなかった。それまで学校の授業でしかプールに入る機会はなかったし、それに2年生で泳げないというのも、同級生と比べて決して遅いというわけではなかった。
夏休みになりK君の家族(両親、K君、妹)は母親の提案で、隣市のオリンピアプールに行くことになった。
オリンピアプールには3つのプールがあり、手前から幼児用プール、円形の流れるプール、奥が競泳用プールである。
幼児用はひたひたの深さで泳ぐことはできず問題外だったし、流れるプールはやっと背がたつかどうかの深さがありK君は少し不安に感じたが、浮き輪を使えばなんとかなるとも思い流れるプールに入って練習することにした。
しばらくするとプール脇から父親が声をかけてきて、持ってきたゴムイカダを膨らませたらしく、「これに乗ってみろ」という。ゴムイカダは父親の勤める工場の製品であり、夏のボーナスの一部として支給されたものだ。K君は泳ぐ練習がしたかったのでイカダは気のりしなかったが、父親が「いいから乗ってみろ」というので仕方なく乗ることにした。
父親にイカダに乗せてもらい四つん這いになってバランスをとったが、すぐにそれ以上どうしようもないことがわかった。大人用のイカダは2年生にとって大きすぎ、真ん中に乗っているのでは水まで手が届かず水を掻けなかったし、かといって端に寄ろうとするとイカダは傾いて水に落ちてしまいそうだ。K君はこれではつまらないと思ったが、下ろしてもらおうにも父親はどこかに行ってしまったし、ひたすらじっと体を固くしてイカダが傾かないようにしながら、一人で流されるがままにイカダに乗っているしかなかった。
ところが、流れに乗って2周も回ったところで突然イカダが転覆したのである。K君は水の中に投げ出されて頭から沈み、水を飲んでは咳き込み、息を吸おうとすればまた水を気管に入れてひどく苦しんだ。周りの人たちの体や手足、泡などが断片的に見え、なんとか足先が底にとどいたタイミングで少し水の上に顔が出せても、すぐに浮力に身体をすくわれ仰向けに沈んでしまいひどくもがいた。
突然イカダに何が起きたというのか、自分はどうなってしまうのか、とにかく今どうすればいいのか、何もわからない恐怖と窒息の苦しみがK君を襲い、必死に息をこらえて手足を動かした。
K君はまだ人の死というものを見たことはなかったが、家の物置の陰にたくさんあるアリジゴクにはまった蟻と同じことが、今自分に起きていることが分かった。
ふいに、「ほれ」と父親の声が聞こえたかと思うと上半身が浮いてイカダの上に両手がかかり、K君はイカダをつかむことができた。まだひどくむせていたし、涙も出て鼻の奥がやたらと痛かったが、K君は「なんでもない」というように平気を装い、そのままイカダをつかんで混みあったプールの中を流れた。父親の姿はまた見えなくなった。K君は周りの人たちに何と思われるかと恥ずかしくいたたまれなかったので、誰とも目を合わせないようにした。
(何が起きるかわからないのだ。頼りになるのは自分だけだ。)
K君はそう思うと円形に流れるプールの底を、なんとか足先を伸ばして蹴りながら流れの外側に向かい、プールサイドに上がる梯子のところに流れつくと、イカダについている細いロープをつかんで水から上がり、ゴムイカダを流れに逆らいやっと引きずり上げた。
イカダをひっくり返したのは父親だった。先に上がっていた父親の顔を見ると、笑うでもなく怒るのでもない、また「仕方ない」というように憐れんでみせるのでもない、仮面のような無表情がK君を見下ろしていた。夏休みのプールサイドの雑踏の中で、その空間だけ何の動きも情緒反応もないマネキン人形がK君を見下ろしているかのようだった。そして父親は、K君に何を話しかけるでもなく、目で何かを伝えるでもなかった。
実際、K君と父親との間には何も発生していないのだった。単に事件や出来事といったものが発生していないというばかりでなく、人と人との関わりが初めから存在していないのだった。二人を結びつける心のやりとりがなく、あらかじめ決められていたことのみが音もなく進行しているに過ぎなかった。
こんなことは普通だ ― いつものとおり、K君は心をむなしくしてこの状況をやりすごした。こんなふうにひどく痛めつけられた時、K君は「何をするんだ」と抗う気持ちが沸くこともなかったし、悲しみや諦めといった感情をもつこともなかった。もちろんこのくらいの子どもがよくそうするように、泣きべそをかくこともしなかった。自分に起きたことは、すべて向こうからやってくるまま受け止めなければならないことなのであり、自分が自分以外になれない以上、黙ってそのまま済ませなければならない、決められた手続きのようなものなのだ。
(とにかく泳げないからこんなことになるのだ。)
K君はまた浮き輪をつかんで練習を始めた。向上心はK君の取柄だ。とにかくずっと泳げないわけにはいかないんだ ― しかし今度はバタ足をしながら、周りの水浴客たちがすべてK君のことを見ているような気がして仕方がなかった。みんな自分のことを「問題のある子」だとみているのではないか、憐れんでいるのではないかと思った。泳げるようになる努力が足りなかったばかりに罰を与えられた子だと、ここにいるすべての人にわかってしまった。それをことさら「なんでもないさ、イカダから落とされることなんか折り込み済みさ」と平静を演じるよう心掛け、K君は動揺を見せないように練習を続けた。暴力を振るわれることに慣れた者によくあるように、K君はイカダをひっくり返された自分のほうに非があるように感じた。
帰りの車の中で「少しは水に慣れただろ」という母親の言葉を聞いた。父親にイカダをひっくり返させたのは母親だった。父親は自分で考えてそんなことをすることはないが、母親の言うことはきくのだ。K君の家では母親は神様であり、神様である以上家族はすべて従わなくてはならない。母親の前で自分はどうしようもないダメ人間で、母親はすべてを分かった上で物事を解決し、最後には救けてくれるのだ。とにかくいつまでも泳げない自分が悪い。練習するとなったら死ぬ気でやらなければならないのに、その真剣さが自分には足りないので神様が試練を与えたのだ。
「あの時イカダをひっくり返したからお前は泳げるようになったんだ」と、後々ずっとK君は母親に言われ続けた。そしてK君自身もそのとおりなのだと思った。