Ts君の幻影(1) 学生服
K君が中学3年になった頃、母親が盛んに言い始めたことがある。
「Ts君だからできたって、みーんな言ってらあ。Ts君はたいしたもんだって。」
母親が言っているのは学生服のことである。Ts君はK君の2年上の先輩で、中学で背が伸びて学生服が随分窮屈になっていたが、卒業まで我慢してその一着の学生服で通したというものだ。
「あーんなつんつるてんの、よく着てたぁ。Ts君だからできたんだ。みんな褒めてらあ。」
Ts君が卒業して1年以上になってから急に母親がそんなことを言い始めたのは、K君も身長が伸びて学生服が小さくなってきたからである。2つも学年の違うTs君本人がとうに学校にいないのに、同級生の親同士の間でそんなことが話題になり続けることはありえないのだが、母親がそんなことをK君の前で言うのには特定の意図があるのだ。
あまり制服が小さくなれば、どうせ高校に行っても学生服を着るのだからと、多くの家で買い換えてくれていたのだが、もし隣県のM高校に行くことになれば、M高校は私服通学なので学生服は不要となり、それなら卒業まで我慢させようという意図なのである。K君の中学では例年成績上位の数人は、M高校に越境入学していたのだ。
K君本人にしてみれば、痩せていたので胸回りがきついわけではなかったし、袖が短いだけなのでさして気にしているわけではなかった。それでも成績がよくて性格も明るく、生徒会長を務め、件のM高校に越境入学したTs君のことをK君はもともと尊敬していたこともあり、母親がさかんに褒めるのでやはりすごい人なのだと思うようになっていった。
K君は母親に褒められた記憶がなく-初めて自転車に乗れた時も、徒競走で初めて1等になった時も、学力テストで1番になっても褒めなかったーその母親が褒めるのだからTs君はたいしたものなのだと思ったのだ。
3年の2学期になって受験校を絞るにあたり、M高校では通学に時間がかかること、地元のO高校でも充分レベルが高いことなどからK君はM高校の越境受験はやめ、O高校を受験することにした。K君が志望校を変えると、母親は近場に行ってくれたほうが管理しやすいと思ったのかすぐに同意した。母親がこの変更を受け入れたのには実はもう一つ理由があり、「M高校だと公共交通での通学となるため、途中まで中学の同級生の女の子と一緒の電車に乗ることになる。年頃で恋愛感情なんか芽生えたら困る。地元の学校なら自転車で通わせることができるので安心」といったことだった。
11月になると母親は急に新しい学生服を買ってやると言い出し、K君本人を連れずに自分だけで店に行き買ってきた。K君は細身だったのでY体といって細身用の服がよかったのだが、母親はそんな希望を聞くこともなく、まだ体が大きくなるからと2サイズも大きいものを買ってきて、これはウール100%だ、お前にはいいものを買うんだ、感謝しろと言った。
学生服はぶかぶかで肩が落ちて前身頃に八の字に皺ができたし、袖は捲らなくてはならなかったが、母親は「またすぐ背が伸びるんだから気にするな。第一しゃれっ気なんかあったんじゃいけねえや」と言った。
こうしてK君はこの後の中学生活と高校3年間を、この学生服一着で過ごすことになる。身長は高校1年にかけ数cm伸びたがその後は頭打ちで、大きすぎる学生服のサイズが身体に合うことはついになかった。