教育虐待がどのようにして起きるかといえば、親が子供を通じて自己実現しようとするからである。
K君の母親は、周囲の皆より上の人間と思われたがっていた。自己を高めるのは向上心ともいえるが、その高さを他人に認めさせることが彼女にとって重要な目的となっていたので嫌らしくみえるのである。彼女がひけらかしたいことは知識とか社会的地位とか経済的余裕などである。
K君が小さい頃、母親は町に買い物に行くのによくタクシーを使った。町のデパートまでは4km弱であり、高校の時長い山道を女子高まで通ったというのがお決まりの苦労話になっている母親にはなんでもない距離だろうに、またすぐ近くに私鉄が走っていて、町まではひと駅なのだが、それでもよくタクシーを使ったのである。後日「爪に火をともすようにして節約したんだ」といって子供に苦労話をしていたが、こういう矛盾があるのだ。
タクシーを使ったのはいくつか理由がある。
まずタクシーはお気に入りの運転手がいて、いつもその運転手を指名する。そして家までではなく、近くの国道の郵便局の前に来てもらう。そうすると近くの家から、タクシーで出かけたというのが見えるのである。子どもの手を引いて、日傘を差して国道で待っている姿が自分ではエレガントに思えたのだ。指定した時間よりしばらく前から立っていればタクシー待ちの姿は多くの人に見てもらうことができる。帰りは通りから引っ込んだ家の近くまで来てしまうと人から見えないし、降りたらすぐに家に入るため見せつけることができないからタクシーを使わない。どちらかだけ使うとしたら荷物のある帰りにタクシーに乗った方が合理的なのだが。
彼女は当時田舎では少なかった女子高への進学者である。両親(K君の外祖父母)からは中学でたら働けといわれていたが、どうしてもと頼み込んで行かせてもらったのだ。高校卒業後会社に就職したが、時々会社に女子高のセーラー服を着ていった。いくら着るものも少ない時代とはいえ、卒業してからその高校の制服を職場に来ていったりしない。さすがに「女子高卒ぶっている」と陰口をたたかれてやめたらしい。
就職4年後、職場結婚して退職し専業主婦になった彼女は2年後にK君を産んで母親となり、K君のことを自己実現の道具と見るようになる。