親が子どもを自己実現の手段とすることにより教育虐待は起きる。その親にとっては周囲の人々から子どもに向けられた評価がすなわち自分自身への評価になるのであるから、子どもに対して過剰な評価をすることが日常的となる。親が自分自身ではできないこと、あるいはできなかったことを子どもに託し、子どもを過剰に管理支配して実現しようとする。そのことが子どもの能力の範囲であり、本人が納得できて社会においても妥当な範囲のことであれば問題はさほど大きくならないが、本人の意に反することであったり、その能力を大きく超えていたり、社会的に合理的な範疇を逸脱したりすると問題となる。それは子どもにとって大きなストレスになり、子どもが社会に適応するための行動様式を身につけてゆく過程において障害となったりする。
社会には多様な価値観があり、人々はそれぞれの価値観の比重にしたがい時間や力の入れ方を配分したり、他者との関係のなかで互いに譲歩し融通しあって生きているのだが、教育虐待をする親は自分の価値を高める子どもの行動や生き方のみを許可/要求し、それ以外を禁止して認めないことが多く、「こんなことを要求したら子どもは困ってしまうだろう」「こんなことをさせたら子どもにも立場がないだろう」という考えは持たないため、子どもが実際の現場で親に言われていることとの間で板挟みになることがしばしばある。
3歳児健診の時、K君の母親は当日何を訊かれるのか事前に情報を仕入れ、K君に訓練を施した。色の名前、果物の名前、動物の名前などを大きな声ではっきり答えるよう練習した。姿勢を正して訊いている人のほうを見て答えることもしつけた。K君自身も吸収する能力があり、本番でも母親の期待に立派に応えて面接の保健婦に褒められた。母親は会場に来たほかの母親たちから注がれる感嘆の視線を得意になって感じながら健診を終えた。
「しつければこの子はできる」
母親は確信した。3歳の時鼡径ヘルニアで入院し手術をした時も、「動くとおなかに穴が開いちゃうよ」と事前に言い聞かせられていたK君は子どもとは思えないほどおとなしく病室で過ごしたし、歯医者にかかる時もホームで電車を待つ時も、声をあげて走り回るほかの子とは違い母親の横できちんと座って母親の自尊心を満足させた。親戚の家に行っても「K君がいてもいるかいないかわかんないね」などといわれ、「この子は利口だ」「偉くなる」といったお世辞を含んだ評価が母親を得意な気持ちにさせた。
保育園のお遊戯会では主役である「舌切りすずめ」のおじいさん役を立派に務めた。お土産のつづらをなかなか背負えず、「背負えねえーん!」と客席に向かって大声で笑顔満面で訴えてしまうおまけつきで満場大うけとなり、他の母親たちや先生たちから賞賛されてK君に対する母親の期待値はさらに高まった。K君は母親にとって教育しがいのある作品となり、管理すれば思うように成長する所有物となった。そして何より自分の価値を高めてくれる資格や肩書のようなものになった。
K君が小学校2年生の時、学芸会に向けて役分けを決める学級会の時のことである。子どもたちはまず「演劇」「合奏」「呼びかけ」の3つのうちのどれか1つに振り分けられ、それからさらに配役や担当楽器などを決めることになっていた。K君は前の年に上級生の演目を見学した時に、みんなで詩のようなものを読み上げる「呼びかけ」がいいなと思っていたから、迷わず「呼びかけ」を希望して挙手した。
ところが大体「呼びかけ」というのは、みんなの前で大きな声を出して演技する「演劇」には向かず、楽器が得意でもない「その他大勢」的な子どもたちに参加させるというのが担任のY先生の心づもりだったことがあり、先生はお前は合奏にしろと言ってK君はマリンバを演奏することになってしまった。K君は「呼びかけ」に参加できないのは残念だったが、言われたことには従うほうだったので合奏にすることにした。
演劇のほうは「大きな石」という演目で、主役には自分から希望する子は誰もいなかったが、先生が「じゃあ」と指名してW君とC子さんが選ばれた。
ところが家に帰って自分は学芸会で合奏をやることになったと伝えたとたん、母親の顔色が変わった。
「なんでお前は主役じゃないんだ!」
K君は自分は劇は好きじゃないので希望しなかったと言うと、母親はひどくなじった。
「なんだ、とぼけ! 劇が一番いいに決まってらあ! 僕がやるってさっと手をあげて役をとるんだ!」
主役は先生が選んだことを伝えると母親はさらに逆上して無理な要求をし始めた。
「先生はW君のことひいきしてるんだぞ。お前がぼけっとしているからいいようにされちゃったんだ! あした先生に自分が主役やるって言ってこい!」
「もうきまったんだからだめだよ。」
「なんだとお! どうでも主役とってこねえと家に入れねえかんな!」
決まってしまった役柄、しかも主役を交代してもらえるわけがないことは2年生のK君でもわかったから母親の無茶な要求に泣き出してしまったが、先生に伝えなければまたひどく叱られ、小突かれることは目に見えていたので、翌日しかたなく担任のY先生に「主役をやりたい」とうつむきながら伝えた。Y先生は「もう決まっちゃったからなあ」と言って苦笑いしたが、家に帰るとまたどんな目に会うかわからないのでK君は胸がつぶれそうな気がした。
学芸会は親たちも来て鑑賞する。母親はK君を自己実現の手段としているので、再び保育園の時のように主役をとり、上手に劇をして他の親たちの賞賛を受け、鼻を高くしたかったのだ。そこではK君自身がどのように思っているか、何がしたいかということは考えに入れられていない。K君が賞賛されることによって、実は本当に賞賛されたいのは母親自身にほかならないからである。