水島広子先生の著書『「毒親」の正体』は大変参考になった。

 水島先生は私と同じ医師で漢方も手掛け、日本東洋医学会のシンポジウムでもお話を伺ったことがある。その知力行動力には敬服するばかりだが、この著書に書かれている先生の診療スタイルにも非常に共感するものがある。

 

 この著書ではいわゆる「毒親」をつくってしまう精神科的なパターンを4つに分類しており、そのうち当ブログに記述しているK君の母親は「不安定な愛着スタイル」、父親は「発達障害タイプ」に相当する。

 

 主たる虐待者である母親を助けた父親に関しては、重症ではないもののASD(アスペルガータイプ)の傾向があるとこれまでも疑っていたが、この書の記載内容をみてみるとやはり間違いなさそうだ。

 K君の父親は空気が読めず、会社の人の宴会で喫煙者と非喫煙者とが両方いる場なのに、「タバコなんか吸うもんじゃないや」などと喫煙者に配慮のない発言を平気でして場をしらけさせるなどのことは日常的だった。(まだ今のように分煙などなく、どこでも喫煙者が幅を利かせていられたころのことである。)また自分の発言でその場がしらけたという自覚自体ももっていなかった。本人にしてみれば喫煙者を攻撃しようという意図を特にもっているわけではなく、ただ自分はタバコが好きではないということをそのまま言っているだけなのである。

 日常会話が苦手で、相手の発言に言葉を継いで会話していくことができず、相手が話すのをしばらく聞いていたかと思うと、いきなり「高度経済成長!」などと大きな声で叫ぶように声を発して相手をびっくりさせるようなこともあった。

 若い時に一度蕁麻疹ができたことがあり、それをカレーを食べたせいだと思い込み、その後は決してカレーを口にしなかったため家でカレーを食べるときには父親だけ別メニューにしなければならなかった。医療機関で判断されたわけではなかったが、一度思い込むと修正が効かないし、疑おうともしないのである。

 また、年賀状に「今年こそよろしくお願いします」と書いて平気だったり、「これから行きますです」といった文法的に誤りがある言葉をよく使っていたことなども、アスペルガータイプにみられる特徴に一致する。

 

 いわゆる空気を読むことが苦手なため、とにかく上の者の言うことをきいていればいいのだと経験上学習したのか真面目一辺倒で上司の指示に忠実であり、職場滞在時間は誰よりも長く、同期の中では誰より早く出世して43歳で工場長になったが、2年もしないうちに副工場長に下ろされた。代わって工場長になったのは、東京の本社から来た年下の大学卒業の人だった。

 K君の父親は高卒だったので、母親は「結局学歴が評価されるんだ。お前も覚えておけ」などとK君に言っていたが、父親が高卒なのはとっくにわかっている話であり、実は原因は別のところにあった。

 上に伺いを立てて従っていればよかった副工場長までのころと違い、自分が工場長になれば下から上がってくる諸問題を自分が責任をもって判断し、解決処理しなければならない。アスペルガータイプだと新しいことへの対処や、全体のバランスを考えながら判断することが難しいので、トップになったとたん一度に弱点が露呈したのだろう。

 K君の母親は比較的美形で求愛者が社内にもたくさんいたらしいが、父親を選んだのは上司が「○○君だったら絶対間違いない。僕が保証するよ」と言ったからだという。人一倍まじめで従順なことが上司にとっては好ましかったのだろう。部下として優秀な者が上位に立った時に自分の部下をうまく動かせるかどうかは別の話で、「人を動かす」(カーネギー)などといった本を熱心に読んでいたところをみると、リーダーとしてのふるまいには苦労していたのだろう。

 

 K君は父親の工場の下請け仕事もしているお寺に、大晦日の夜に除夜の鐘を撞きに父親に連れられ出かけたことがある。他に父親の会社の人がすでに何人か来ていて、石油缶に薪を入れて焚いている周りに集まっていた。父親はそこに近づき輪に加わりながら、「今日は寒いよ!」と言ったが、実際には大暖冬とも言われた年で、その日も火など必要ないほど暖かかったので、K君は父親のことをなんだかそぐわないことを言っていると感じていたが、案の定会社の人から「このぐらいで寒いなんて修業がたりねえんだ」と言われ笑われていた。それに対して父親は冗談のひとつでも言って返せればよかったが、予想外の反応に固まってしまい、何も言えないでいるのでK君は自分が恥ずかしいような気がしたのだ。そもそも「今日は寒いよ」と言ったのだって、本当に寒いと思ったからではなく、「こんな時は寒いと言わなければならない」とパターンで覚えていたのをそのまま言ったのである。

 

 K君の家においては権力者はK君の母親であったから、父親にとってはとにかくK君が母親の言うことをきいていればいいのであり、K君のために母親が不機嫌になればその状況にかかわらずとにかくK君が悪いということになるのだ。その場その場でそれぞれの言うことを聞いて何か意見を言うなどということはなく、とにかく何でも母親のほうが正しく、K君はは間違っているということになるのだ。K君の母親がどんなに目の前でK君に暴力を振るってもそれは正当であり構わないのだ。また下記ブログにみるように母親の意向を過剰に忖度して自らK君を殴りつけたりもするのだ。

https://ameblo.jp/id67/entry-12502994487.html?frm=theme

 

 K君が大学生の時に母親がK君に対して包丁で切りつける事件があったが、居合わせた父親は「やめろ、やめろ」と言いながらK君を後ろから羽交い絞めにした。事が生じるのを防ごうとしたらしいが、この場合取り押さえるべきなのはK君ではなく包丁を持っている母親のほうなのは自明である。K君の父親はとっさの判断や行動は全くできない人であった。