K君は赤ん坊のころ太っていた。近所ではもう一人体格のよい○○君という子がいて、○○君は横綱でK君は大関と言われていた。

 K君の母親はK君が「2番で大関」というのが気に入らなかった。K君のことをなんとかもっと大きくしよう、横綱にしようとしたのだ。まだ戦後政策の名残があり、太っている子が「健康優良児」とされていたころのことである。

 出産後に精神的なトラブルもあり、産科医より母乳は控えるように言われたという母親はK君に粉ミルクをたくさんのませようとしたが、おなかがいっぱいになれば当然ながらそう飲むものでもない。考えた末にミルクを多く溶かせば体積は同じまま多くの栄養を摂らせることができると思いついた。K君は濃い味のミルクを気にせず同じように飲んでくれたが、やがて吐いたり下痢したりするようになった。母親はそれをミルクの濃さのためとはせず、出てしまったらその分は補充しなければとまた飲ませたり、さらに多くの粉ミルクを溶かし込んだりしてみたが思うように効果はあがらなかった。歩き回るようになり、乳離れをしたあともK君は下痢ばかりする。下痢すればひどくお漏らしをするので母親はいらいらしてK君に当たる。

「なんで尻癖が悪いんだお前は!」

 水分が多すぎると考えた母親はK君に水を飲ませないようにした。K君は咽が渇き、「おぶ(水)ちょうだーい おぶちょうだーい」と必死に訴えたが母親は決して水を与えなかったので、K君は雨の日に外に歩いて行き、鉄製の門扉のくぼみに溜まった水をすすって飲んだこともあった。

 

 4歳になると母親は薬局でカルシウム剤と整腸剤を買ってきて毎日K君に飲ませた。身長の割に胸囲がなく華奢なK君を骨太にしようとしたのである。ある日流しの横に置いてあったカルシウム剤の瓶が母親が食器洗いをしているときに当たって倒れ、ちょうど蓋が閉められていなかったために中の錠剤があらかた流しのなかにこぼれてしまった。母親は舌打ちしながらそれを笊にとり水でざっと洗って乾かしたが、ほとんどのカルシウム錠剤は表面が溶けて互いにくっついてしまった。K君は黄色っぽく変色したカルシウム剤の塊を毎食後に少しずつ割り取って飲ませられる羽目になった。

 

 5歳になって保育園に入ると毎日弁当を持って行ったが、ウルトラマンの絵のついたK君のアルミの弁当箱に母親はきっちりいっぱいご飯を詰め込んた。喘息気味でよく風邪をひくK君を丈夫にするにはとにかく栄養を摂らせることだ―残さず食べようと指導されている保育園でなら食べるだろうとの母親の目論見だった。

 しかしK君にとってそれはとても食べきれない量だった。残してくる弁当の中身を見て母親は怒り出し、洋裁用の竹の物差しでパシンとK君の頭を叩いた。「ママの作るお弁当は食べられねえってんか! ママの弁当なんか嫌れえだっつうんか!」

 繰り返される叱責にK君は泣き出して答えた。

「ご、ご、ごめんなさい。」「マ、ママの、お弁当、お、お、おいしいです。」「おい、し、しいけど、た、たべられな、かっ、かっ・・・」

「うそばっかり言ってら!」「食いてえもんを何で残してくるはずがあるんだ!」「食いたくねえからに決まってらあ!」「おいしいですだと。笑わせんなあ!」

 お弁当の中身がたくさんすぎるなんて言おうものなら、事態はさらに悪化することは5歳でもわかっていた。

 ―とにかくぼくが悪いんだ。ご飯をたくさん食べられないぼくはいけない子で、ぼくはママにほめられるようがんばらなくちゃいけない。

 保育園に行っても毎日お弁当のことが心配だ。お弁当の時間が近くなってもおなかなんかすいてこない。いよいよ蓋を開けると多すぎるノルマに圧倒され、一生懸命食べようとしても中身はなかなか減っていかない。胸がいっぱいになってとても食べられない。

 

 とうとう食べたものまで弁当箱の中に戻してしまったK君の連絡帳に、「全部は食べられないようです。胃が悪いのかもしれません」と大好きな岡田先生は書いてくれた。食べきらなくちゃいけないというK君を心配してくれたのだ。先生がそう書いてくれたことでK君は少し安心して家に帰った。

 しかしそれはむしろ逆効果だった。先生がK君の味方をしていると受け止め、気持ちの収まらない母親はわめきちらした。

「胃が悪いなんてはずあるもんだ!食いたくねえから食わねえにきまってらあ!」「胃が悪いだと?へっ!笑わせんな!今からでも全部食え!」

 吐き戻したものまで入っている弁当箱を目の前に置かれて座り、K君は物差しで何回も頭を叩かれ、洟をすすって嗚咽し続けた。