K君が5歳の時のこと。ある朝家の前に出てみると、近所のおばさんが回覧板を持ってやって来た。
「おはようございます。」
「おはよう。ママはいるかな?」
K君の母親も後から出てきた。
「K君、おばさんにおはようしなさい。ちゃんとあいさつしなくちゃだめよ。」
K君は母親が来る前にあいさつを済ませていたので、もじもじしてしまった。
「ちゃんとおはようしたもんね」と助け舟を出してくれたおばさんの言葉も耳に入らないのか、母親はあきれて困るというように、「この子ったら愚図で仕方ないのよ。いつも言って聞かせているんだけど」と言い、それでも表情はにこにこしているので、おばさんはちょっと苦笑いをして帰っていった。
「ぼく、おはようしたよ」とK君が言っても母親は取り合わず、家の中に入りポップアップ式のトースターに朝食の食パンを1枚だけ入れて焼きはじめる。
硬い表情で何も言わない母親とテーブルをはさんで座っているK君はだんだん不安になってきた。案の定焼きあがった食パンにジャムをつけて母親は一人で食べはじめる。紅茶も自分の分しか淹れていない。K君とは視線を合わせようともせず、まるでそこに誰もいないかのようだ。
「ママ、ぼくも食べる。」
もう腹なんかすかなくなってしまったK君だったが、母親と何か話したくて声をかけたのだ。
「もう私はお前のママじゃないのよ。」
「……。」
「もうママと呼ばなくていいのよ。あいさつもできない子はママの子じゃないから。」
あいさつをしたかどうかということより、見捨てられてしまう恐ろしさでいっぱいのK君は、一人でパンを食べている母親にそれでも話しかける。
「ママ、パン頂戴。」
「ママって誰ですか? あなたはどこの子ですか?」
もう食事を済ませてしまいそうな母親に、考えてK君はとうとう別の呼び方で呼んでみた。
「おばさん。パンをください。」
母親は突然血相を変えて立ち上がった。
「なんだと、ほんっとに呼びやがったなあこのガキぁ! あいさつなんかしてねえくせにうそばっかりこきやがって。認めねえんだな、おめえは? 自分が悪いって認めねえんだなあ! 」
そのまま大きな音をたてて台所にとんで行き、戻って来た手にはマッチ箱を握っている。
「認めねえんならな、こうしてくれっから! こうでもしなきゃあわかんねえからなあ、おめえは!」
観念したK君の上に馬乗りになった母親は、マッチを摺ってK君の手背に火を押し付ける。K君は喉をしぼるように息を止めて、それでも「カッ、カッ」と声を漏らしながら、時が過ぎて事が済むのを待つのだった。
このテキストにおいて母親のメッセージには二つの面がある。
①「ママ」と呼んではいけない:もう他人だということであり、子どもにとってとても従うわけにはいかないメッセージだが、穏やかに、丁寧な口調で話されるメッセージでもある。
②「ママ」と呼ばなくてもいけない:K君は考えた末「おばさん」と呼んだのだが、とんでもない仕打ちにあってしまった。この時の母親の態度・口調と、①のメッセージの時のそれが大きく違うのも特徴である。
上記のように、どっちに行ってもダメという設定がなされるのが二重拘束(ダブル・バインド)である。この二重拘束による支配は虐待が行われている家庭でよくみられる。
また虐待というと暴力や罵声などがイメージされやすいが、それらは単純に繰り返されるわけではなく、上に示したようにある文脈のなかで行われることが比較的多い。