昭和では普通にあって、平成ではちょこちょこ問題になって、令和ではありえないこと。
教師からの愛のムチ。暴力というヤツ。
現在も絶滅ではないと思うけど、SNSの普及で証拠として記録される。
それは、いいことでもあり、残念なことでもある気がする。
暴力賛成ではない。ただ、必要な場面もあるということ。
権力や立場を悪用しての殴る蹴るは絶対に間違いであり、ただの八つ当たりでしかない。
それを暴力というのだろう。
怒ることと叱ることは違う。
それは、教師と生徒の立場だけではなく、親子にも言える。
子供の言いなりになる親、過保護、過干渉、共依存...
ただ、親子の問題には口を挟み難い。
それぞれの家庭でやり方が違うから。
友人関係なら、助言も苦言も言える。
そこに子供が絡むと、複雑になる。
友人は、親子間がうまくいかないと、私たちに八つ当たり。
子供がいちばんなのはわかる。
しかし、いちばんの意味に疑問がある。
"やりたいことをやらせる"は、素敵な方針だと思う。裏を返せば、反対して子供に嫌われたくないとか、自分を無視されるのが怖いから。
頑張ったから、手伝ってくれたから...そういって、金品を与える。
進路、岐路に、口を出せば嫌われる。
だから、同調して支援する。
物価や相場のわからない子供が決めてきた物件の家賃と光熱費を負担...その家庭のやり方だろうけど、そのしわ寄せは友人である私たちに。
どこかへ行く、何かを買う、食べる...高過ぎる、それ必要なの、なんだかんだ文句をつけて、セコい。
子供には"ちゃん"付けで、私たちは呼び捨て。
子供には猫なで声で、私たちには早口でヒステリック。
仲がいいから許せること。
そして、仲がいいからこそ心配なこと。
親子が絡む、世を震撼させている事件を起きている。
その家庭の正解は、どの家庭にも正解なのか?
その家庭の正解は、他の家庭では不正解なのか?