Expressionsおきらくの、一番好きな曲は、まりやさんの、家に帰ろう(マイ・スイトーホーム)です。
若い頃は、竹内まりやさんの、不思議なピーチパイ、ヒットをしていて、テレビで、よく聞いていました。
まりやさんの、デビュー当時は、おきらく、共働きの新婚時代だったと、記憶がよみがえって来ました。
仕事と家事、結婚直ぐに、流産を経験し、ユックリと、音楽を聴く心の余裕が無かったかもしれません。
当時は景気もよく、私達新婚夫婦も、新築のマンションを、購入し、家のローンの支払い、流産した時の、病院費用を、母に、支払って貰い、予定の無い、突然の出費で、主人にも相談せず、一人で気持ちが、如何しようと、困っていた時期と感じます。
今振り返ると、こんなことも、主人と相談して切り抜けて、行かねば成らない事を、相談する考えも思い付いていないおきらくでした。
一人娘で、結婚をして、養子でない主人の,顔色ばかり伺っていた自分の姿を思い出します。
本音が本当に言えない人でした。
まりやさんが、デビュー後山下達郎と、結婚後出産してしばらく、マスコミに、登場しない時期がありました。
その当時おきらくも、結婚三年後に、息子を出産して、仕事子育てに明け暮れていた当時です。
おきらくは、結婚して、仕事と子育ての大変な事を覚悟のないまま、妻・母・仕事の、欲張りな、人生を送っていたことに、気づくものです。
日本の,景気もその当時は、安定していましたので、男性社員の補助程度の仕事でも、続けられていました。
(時代は段々と変わっていき、補助では済まされなくなっていました。)
母が、子守と家事を手伝ってくれていましたが、おきらくを、助けてくれている自覚も無かったと感じます。
(手助けがあっても、社員で働いているときは、気持ちがパンパンんで、余裕が無かったです。)
結婚生活を夫婦二人で責任を持ってする、理解も出来ていなかったように、感じます。
現実が目の前にあって、もしかして、覚悟自覚を、母だけが、解かっていたよな気がしてなりません。
(音楽をユックリ聴く気持ちのユトリも無かった、正社員を辞めてからの方が、親子関係、音楽を、聴くユトリも出て来ていた様な、実感はありました。)
今回のまりやさんの、30周年記念アルバムの、インタビュー記事を読んでいても、まりやさんは、子育て中は、歌の仕事と、両立は出来ないと、まりやさんなりの自覚があったようですが、おきらくには、無かったような気がしてなりません。
まりやさんの歌の内容が好きな事は、その後15・6年後に、母が家族のためにと思い高額の血の循環が良くなる、ヘルストロンの、健康器具を購入した事が、主人はどうも気にいらなかったようです、気にいらない事を言葉で発せず、不機嫌を、無言の状態を態度で出して、いた時期でした。
家族が、一人会話をしない家庭は本当に暗いです、毒ガスが、家の中に漂った感じがしていました。
(息子が不憫で仕方がありませんでした。)
主人の、無言の態度に、何度離婚したいと、願ったか計り知れません。
お互い同居で、母の手助けが、無くては、生活が到底出来ませんでした。
母も娘には、自分と同じ失敗をさせたくない、気持ちが入り混じり、家庭の中が大変な頃に、家に帰ろうの音楽を、聴いて、自分の人生を思い留まらせていました。
冷蔵庫の中で、凍りかけた愛を暖めなおそう、着る服が、違うと、お互い考えが違う夫婦だけど、一番長い間、生活をしている夫婦だと言う意味合いの歌で、まりやさんの、表現の仕方がステキでしたが、現実のおきらくの、夫婦生活は、散々なものでした。
まりやさんの、歌を聴きながら思い直そうと、何度思ったか知れません。
その当時は、ユックリ歌を聞く時間も、お金も無かったですが、最近は、主人にも、母にもヤット本音が言えるようになりました、自分の考えが無くて、自分の考えを作る努力も少しですが出来る様に成りました。
そんなこんなで、まりやさんの歌は、おきらくの、人生のバイブルのような気がしています。
4枚組みで、アルバムが届くのが楽しみです。
告白とか、元気を出してなんかも好きですね。
最近の、幸福のものさしも、みんなひとりも、そうそうと、思って聞いています。