アミューズメント16話までの物語をゆっくり書いていて、この3年半ずいぶん考えさせられる事が多く、予想外の休止期間がありました。

結果、主人公のモデルの、当時の新吾君の想いを残したかったのが始まりでも、この物語は何故だか自分のためにも書いていることがよく分かった気がします。


 人生とは、誰もが成長のために経験する苦しいことや悲しいことを出来るだけ忘れて、前だけを向いて生きていくのが正しいと思ってもいました。

でも、何が正解なのか全く分からなくなり21年5月には、ほぼ全文書いて後は推敲のみの16話でしたが、投稿出来ずにいました。


 私の過去の話を…

9月6日は私の娘の誕生日で、私が初めて赤ちゃんを産むことになった日です。

安産で生まれてきてくれた我が子。

本当に幸せで、可愛い存在でした。

でも、夫となった人とは、ある事がきっかけで、もう心が通わず3年で離婚。

娘と二人で暮らしていましたが、最後の楽しい思い出は、3月に行った北海道旅行のバスツアーでの三泊四日。

ツアーの皆んなと凍った湖の上で撮った写真や、小樽の街並みや、飼われてる北きつねに、神秘的な摩周湖などの写真もたくさん。

壮大な景色に雪が見たいからって休みを取って二人で行くことにしました。

これからも、ずっと一緒に生きていくはずの親子の私達は確かにそこにいました。

ですが、たくさんの葛藤の後、どうしても子供の欲しい元夫に娘を連れて行かれました。

元夫が私との結婚を決めたのも、私が若く健康だったからが一番だったと思います。

それに私は子供の頃、顔に傷が出来てしまい、どうしても自信の無い子でした。

夫とは、あっという間に出会って結婚した感じで、過去に東京でシンガーソングライターを夢見ていた美声の歌声だけに惚れた気がします。優しい人とも思ったからですが。

姑だった人には、過去に生後2週間で亡くした娘が夫の年上にいました。

それで余計に子供に執着。息子の後継がとにかく欲しい人で、容赦無く。

娘が二歳のときに離婚してから、月に何度か夫に会わせると当時、5歳の幼稚園児の娘は家に帰って、画用紙にまだちゃんと書けない字で大きく、お母さんも大好き、お父さんも大好き…とずっと全員の名前を書くのです。

絵を描くのではなくて画用紙に、そればっかり書くのです。

姑に私の悪口を聞かされていたのでしょうか。

娘の気持ちを思うと、とても切なくて悲しいことでした。

両側から引っ張りあって子供を取り合って、その心を傷付けるのが本当に嫌でした。

4月の初めに、その日会わせた夫のところから帰ってくるはずが、あちらの親戚と押しかけてこられて、、、

もう私は、娘の手を離しました。

これが間違っていたのか、どうなのか未だにわかりません。

ただ、それからは我が子を育てられなくなった苦しさが毎日私を酷しました。

心が刻まれるような想いでも、生きていくしかなくて仕事に行き、毎日泣きながら眠りました。

苦しくて本当に願いは死ぬことでした。

私は仕事の帰りに事故に遭って即死出来たらいいのにという思いが、いつも頭をよぎるのです。

でも、冷静になると両親や家族が大切に育ててくれた自分を殺すなんて出来ないことでした。

もう何の価値も感じられない自分でも、仕事をしている時は誰かの役に立っていると思えて、楽でした。

そんな苦しみの中で私は、あるきっかけで知った産土参りをすることに。

母親として、もう育てることの出来ない代わりに娘の幸せを願う為、21日間毎日朝早くに行くことにしました。

早起きも、雨風の強い日など毎日行くことも、恵でしかない心持ちでした。

私の故郷の非常に美しい景色の鳴門の海にお祈りをしに行くのです。

剣山は言霊の神様がいらしゃって、その対で、鳴門には慈愛に満ちた女神様や龍神様がいらしゃっると聞きました。

迷いなく日参して、21日目の満願成就の日をむかえられて。

その日、非常に晴れて格別美しい景色だったのを覚えています。どこか、心の虚しさが救われた気がしました。

それに当日は母親が数日前、急に宝塚歌劇の観劇に誘ってくれていて遅れないように、いつも以上に早起きしたのも覚えています。

実際には二週間ほど通った日に、願いは聞き届けられた様に思います。

その日は、天国にいる人は多分こんな気持ちで毎日を過ごしているんだろうというのを感じたのです。

一人幸せでした。

帰り道、段々と我に返ると、自分がどれだけ無意識に人を羨み、無い物ねだりをして毎日生きているかを分かって、何かを悟りました。

母親として価値のない自分も、生まれてきたからには生きていていいんだと、思えた日でした。

ただ、人気のない朝の海に手を合わせていたら、居合わせた観光客らしき人に心配をかけることがありましたが…


 私は言葉の力を信じています。

両親は、私が子供の頃も汚い言葉を少しでも使ったら凄く怒っていました。

そこまで、ダメな言葉じゃなかったと思うけど、絶対許されかったです。

でも本当にその通りです。

思うことも現実化するし、言うことも現実化してしまいます。

あの頃、毎日死にたいなんて思っていたから、現在、私は治療法の無い病気になっているし、3年半前には子宮の全摘手術をすることにもなりました。

女性じゃなくなったようで悲しかったです。

人間て、風に揺れる花みたいだと思う。

ゆらゆらと。悲しいけれど運命に翻弄されながらも、何かを成し遂げるのだと。

今は、生きていることに感謝しています。

私の母親は、公明正大。いつも明るく逞しく強いところが蒲公英みたいです。

春分の日に生まれた、名前も「公子」ですから。

アスファルトの間とかにも育って花咲かせて、綿毛を飛ばして。

私もそうなりたいです。すっかり身体も、ぼろぼろでも生きて成長するのです。

一輪の花に。

母親から受けるべき愛情を5歳からは、もらえなかった娘には、申し訳ないと未だに後悔ありますが、


私の娘、泰子愛してます。

離れていても、

いつも幸せを願っています。


 秋の花は、やはり、菊科の花たちに紫苑の花が綺麗です。

花を見ながら我が子を可愛がる様にお世話をするのが楽しいひと時です。

いつか、泰子と、また笑い合える日が来ると信じています。


ここまでが私の過去のお話。


 親子の別離は悲劇です。

前を向いて強くならなくてはと思っても、そんなのは無理なんです。

この世で血よりも濃いものはないですから。悲しみの中で、演じているだけです。

今も、新吾君の強さを尊敬しています。

なので、最後まで書きます。


新章は、アミューズメント  「大人への階段を」です。

よろしくお願いします。


 icida    T.HARA