早番の日の産婦人科医院の調理室で、朝食の配膳を終えて二人で休憩に入った。
今日は休みのパートさんの代わりに葉月さんと一緒だった。
葉月さんは洗濯機を回した皆のエプロンを外の洗濯物干しに干して戻って来ると、暖かいコーヒーを入れてあげたのを美味しそうに飲んでいる。
葉月さんは去年入った後輩で21歳。
何でも気兼ねなく話が出来るし、心底健気なタイプの性格をしている。
でも、彼女は幼い頃に母親を病気で亡くしていて、心優しい父親と二人で生活してきたという苦労人だった。
自分も母親と二人暮らしだったから、より親近感があった。
彼女の全てに純粋な人柄を見ていると、本当に大切に育ててもらったのがわかる。
私はそんな葉月さんに、出来れば二人きりの時に聞きたいと思っていたことを口にした。
通常のパートさんとの朝食作りの後は、休憩時間に葉月さんは何を話しているかという、些細なことだったけれど気になっていることがあった。
結婚17年目のパートさんは中高生の子供が二人いて、仲の良さそうな家族の話もしながら、他に好きな男性がいる話もする。
それを朝から明け透けに告白してくる。
こちらから聞いてもないのに、昔の彼氏だった人と連絡を取り出し、時々会っているという話が長い。
それが段々と浮気ですまないことになっているらしい。
パートさんはもう何年もここで勤めていて、調理の補助ではあるが仕事ぶりは達人で頼りになった。
私は彼女の、実年齢より10歳は老けて見える顔を見ながら、いつも何と返していいものか困惑するだけで、コーヒーの味もよくわからない時間が過ぎる。
なので、こんなピュアな葉月さんなら、どう対応しているのかと聞きたいというと、葉月さんは
「いつも黙ってうなずいてますね」
と、いつも通りの爽やかさで答えた。
私は、彼女の清々しさのぶれない感じにちょっと心を射抜かれながらも聞くと、パートさんが近くプチ整形をするらしいとかも聞いているようだった。
よくある話であっても、普通の家庭が壊れかけているのを黙って聞いているだけなのは、お節介なのかもしれないけれど何処か歯痒さが消せない。
自分の子供時代の寂しかった気持ちを、パートさんの子供達の未来に重ねてしまう。
どうなるかなんて先のことは分からない。
でも、このパートさんの家庭問題の危惧は悲しい出来事と引き替えに嘘のような形で解決していく結果になった。
この時点では、それよりも先に思いがけないところから発生した自分への追及が次の早番の日に来るなど知る由もなかった。
朝も9時になり、今日は休みの公乃さん以外の皆が出勤してきた。
朝から機嫌の良い主任は、近いうちにあの大好きな俳優Kの公開したての出演映画を観にいく予定らしい。
未希さんは、今日も愛嬌のある笑顔を向けて主任に話しかけている。
「秋野主任、映画行けるの楽しみですね!他のキャストも豪華で面白そうですよね!」
と、こんな感じで、主任の機嫌をより良くさせている。
私も少し興味を示していたら、急に一緒に観に行くことになってしまう。
その流れに焦りながらも、映画を見るだけなので断らない方が良いとは思った。
時折、入院患者や通院の産婦さんの出産予定が、どちらも少ない時もあって数日、調理室の中も普段しないところの掃除などに専念して暇をつぶしていた。
それで私も急に、主任の休日と同じ日に休みを入れていた。
想像すると緊張しかない主任との映画鑑賞が決定した。
私は主任は仕事場を離れると、どんな人かあまりわかって無い。
それが映画に行った帰り、二人でドーナツ屋にも行って、お茶をした。
彼女は、若い頃と全く変わらぬ体型が自慢の意外とよく食べる女性で、自分の母親と同じ歳で、そして普通に優しく会話をしてくれて、いつもの怖さは無かった。
観た映画は派手な宣伝の大型作品で、少し興奮状態もあって二人は和気藹々な雰囲気で、俳優Kの出てくるシーンについて感想を言い合った。
その翌日も朝10時半の休憩時間に主任は映画の話をしていた。
今日は葉月さんが休みで、前のめりに感想を聞く未希さんと皆で主任のご機嫌を取りながらうなずいたりしている。
俳優Kは名優の名が高い。
映画で観た彼の流石なストイックさに感動した自分も少し感想を言った。
その日、ノリ良く聞いてくれる未希さんと、無口で微笑む公乃さんと、愛嬌のある笑顔の薫さんとの五人の会話は穏やかに過ぎたはずだった。
すぐにクリスマスの日が来て、その日は早番で出勤した。
今日もパートさんが休みの日で、薫さんと二人で朝食の準備をした。
休憩時間になって、ここで二番目に若い薫さんは急に私に相談があると、今まで見たことのないような健気な表情で言ってきた。
その様子に少し驚いたのもあって、前のめりで話を聞くと、こうだった。
未希さんが何故かこの三日間ほど自分と、まともに話をしてくれない。最低限の仕事の話以外してくれ無くなって、自分は何か気に触る言動をしたのか悩んでいる…
そして、
「やっぱり秋野主任に相談した方がいいかな?」と言いながら私の顔をじっと見てきた。
普段の彼女達の仲良さからは、あまりにも以外過ぎる話で、にわかに信じ難かったし、仕事中は私は全く気がつかないことだったけれど
「まだ気のせいかもしれないから、もう少し様子見てから、私が未希さんにそれとなく理由とか聞いてあげるよ」と言った。
すると、まだ何度か主任への相談を口にする。少しおかしいくらい心配しながらも薫さんは私の
「気にしすぎじゃないの?」
という言葉で、大人しげにようやく頷いた。
この時の自分の一連の返答は、ただ彼女達の関係を心配して言ったことだったけれど後で、ある理由によって試されていたのを知る。
調理室は昨日と今日はクリスマスメニューなので忙しい。
普段より豪華なメニューを家庭的ながら考案して作り、クリスマスケーキは院長夫人指定のケーキ店で注文したものを付けて出す。
食器は普段使わないような上等なのも使う。メニューの内容も、クリスマスという日も新生児の両親にとって記念になる日なので、予算度外視をしている。
楽しく夫婦や家族で一緒に過ごせるように家族全員での注文数が多い。
個人病院ならではの心使いなので、調理室の皆で非常に神経を使って時間通りに仕上げなければならない。
主任はローストビーフ作りに余念がない。
いつもより夕食作りの手伝いを多めにしてから早出の一日を終えた。
それでも今日は頼まれていたので、身体を車中で休めた後、夕方5時からバイトに入った。
クリスマスイベント中で、アミューズメントプラザの全館が少し様変わりしている。
ボウリング場は場内の照明を少し暗くしてそれらしい電飾などを付けて、来場者全員へのプレゼントも用意していた。
私が受付に入る前に、登崎くんの声がしたので振り向いた。
彼は私ら受付の女子達よりも派手に全身サンタのコスプレの格好をしていて、私は笑いながらも少し話をした。
見るほどに私はやっぱり可笑しくなって、ずっと笑いながら話していたら、登崎くんは珍しくにっこり笑ってくれた。
その彼の優しい笑顔を見た途端、急に胸がキュンとなって、私は自分に驚いた。
その後、受付で隣にいた英恵ちゃんに話しかけて、何とか気持ちを紛らわせようとしたけれど、自分のこの胸のドキドキは何なのか分からない。
昨日までの彼への気持ちとは違う何かが心をざわつかせる。
受付で忙しくしながらも、私の目はつい彼のことを追ってしまっている。
ここでクリスマスの夜を過ごすたくさんのお客様が来ては帰る中、そのことだけが気になって仕方なかった。