癒されていた過去
先日(3/10)とある公園で妹としっぽり話した時のこと。(公園のネコちゃんも参加)
姉妹でしか知り得ない両親の物語があって、その物語を違った方面から見ていたことを共有できたのがとても面白かった。
両親は過酷な幼少時代を過ごしてきたため、情操教育というものを親から受けられずに育った。
だから、子育てめちゃくちゃ
両親ともに田舎から都会へ出てきて全く社交的でないため、また、親戚との付き合いも疎遠なため、頼るところがなかったようで。
そんな両親をわざわざ選んで生まれてきたのが私と妹
二人とも成長後は、見事にHSP風味に仕上がりました
まあ、姉妹で過去を懐かしみながら、あの時はこう思ってたのよ、え?そうなん?ヘェ〜辛かったやろな、ごめんなー
なんて感じで、不思議と軽い感じで話せました。
当時の悲しみ恨みつらみ、これら全ては『もう終わったこと』。
きちんと受け入れてきちんと昔話として終わらせ、いつの間にか平然と話せてる自分がいる。まるで過去生での出来事を懐かしむかのように話せてしまっている。
昔の出来事を封印してしまってたらこうはいかない。ちゃんと手放せてたから、、
こうなったわけで
今起きたことは鮮度が高く感情がひっついてるんですけども、その出来事を繰り返し思い出すことをやめれば(自動思考を止める)自然と感情は薄まっていくのねー。
たとえば食事中に魚の骨が喉に引っかかり、その骨を恨み、決して外に出してやるものか!と飲み込むのを拒否するより、さっさとなんか食べて早よ流し込んでさくっと消化排出して忘れ去るほうが良くない?(良いよね?)
まあ、あの世は平和というか、心地よさしかないらしいから、だからこそ地球に生まれてくる時には、喜怒哀楽に振り回されたいと思うのかもしれんねえ。
、、でも実際は沼にハマるのにね。
ベチャッ
アギャギャギャ
回復
おやすみなさい
完