父が亡くなった後、母は「お金がないと心が貧しくなる」と口にするようになり。


母はもともと他人様をディスるのが好きであった。


しかし、父が亡くなってから、切実に誰かをディスるようになり。


まるで、自分の言うことが真実だと自分に言い聞かせるかのようにディスる。


それが生きがい?


哀れである。


ご近所さんや身内をこき下ろし「うちの方が子供の出来がいい」「うちの方が金持ち」と言うとき、顔がうっとりしている。


なんてくだらねえ女。


私はこんな母親が恥ずかしかった。


自分より弱い者はいじめてもいい。バレなければ何をしてもいい。勉強さえできれば、誰かに迷惑をかけてもいい。


そういう根性の女が子供を育てたのだから、息子が妹を暴力を振るった挙げ句、妹に縁を切られても当たり前であろう。


そして、そんな息子は、親の愛に飢えて育った仕返しのように、母の財産を取り上げようと必死である。


哀れであり滑稽でもある。


カネで幸せが買えるのか?


カネが手に入ると、カネがあっても手に入らないものがあると分かる。


今から20年前、ご近所のママ友が、5000円のクリームを買うのに半分の2500円を私に出して欲しいという。


小学校の入学式でママ友たちに「綺麗ね!」と言われたいから、そのクリームを使いたいが、5000円は高すぎるという。


「あなたが半分、出してくれないかなぁって♥」


カネを出して欲しい理由が、誠に自分勝手じゃね?


私、お前が綺麗にならなくてもいいからカネ出したくねえって。


おばさんのくせに可愛い顔をした彼女は、私の肩を人差し指でつんつんしてカネをせびる。


若いとき、彼女に惚れている殿方にこうすればカネが出てきたのか?


そのとき、私は複雑な気持ちになった。


カネはあっても決して幸せではない私の劣等感に彼女はつけ込んでいるのだ。


私は彼女になめられているた。


夫が私に「親を頼れなくてかわいそうだと思ったけど、結局、カネを出すから都合がいいと思った」と言ったときと同じ。


カネで愛が買えるのか?


愛する人がくれたカネなら愛が買える。


ですから、私を愛している人にカネを出していただきましょう。


私は今は母を愛しているので、私が母に出すカネは愛そのものです。


今のところ、夫にカネを出すつもりはございません。