今、ホリエモンの「拝金」を再読しているのですが。
田中角栄の生涯、という本を読んでいて、「角栄はいつからカネに魂を売ったのか?」と思い、「成り上がりがカネを手にして何を手に入れたがるか」を描いた「拝金」を読んでみることに。
で。
年収200万のフリーターである主人公をホリエモンをモデルにしたようなオッサンが隠れ家レストランに連れて行き。
そこに行くとアイドルの卵が相手してくれるんですね。
そして、稀少なワイン(他の食べ物だったかも)をオッサンが飲ませてくれるんですが。
オッサン曰く、「これは日本でも1000人しか飲んだことがない。皇族も昔の華族も飲めなかった、だからすごいんだ」というのですが。
莫大なカネがあれば、日本で最も身分が高い人でも食せないものが手に入る、だからカネはすごいんだ。
という意味?
しかし、です。
私、これまで身分の高いとされる方で、「本当にご立派な方、これぞ身分が高いということ」を感じたのは、畏れ多くも両陛下だけなのです。
他の方はなにかしら、「ホントにそれでもセレブかよ?下品」と私は思われる何かがあったのです。
そして、私ごときが皇族の方々に対して正しい敬語を使うことができませんので、両陛下に対して「敬語の使い方が間違っている」と思う人がいてもおゆるし願いたいのですが。
実際に両陛下にお目にかかった私が感じたのは、「最高の身分とされる、それは国民のために犠牲になるという責務を引き受けるということ」というある種の痛ましさでした。
自由に何かするということが、叶わない。
両陛下のお立場ではそれを受け入れて生きるしかないのです。
ご公務を国民のためにこなす、が第一で。
お金があるから好きなものを食べにレストランに行き、「日本でもこれを食べることができるのは限られています」などと国民に自慢することなど両陛下はできないのです。
要するに、「こんなご身分です、うらやましいでしょう」と国民に自慢できない立場になる、それが身分が高いということ。
こういう身分ですから国民のために犠牲になります。
と心から思える人だけが、真に「身分が高い」と言えます。
ですから。
皇族以外に「身分が高い」とされる人は日本にはいないのです。
いくらお金を手にして、「皇族でもこんなことはできません」と主張したところで、皇族と同じ身分になることはできない。
そこがカネの力の限界です。
「ご身分」はお金で買えても、「身分」はお金で買えません。
私は両陛下にお目にかかって、かようなことを学びました。
生前退位したら、両陛下は少しは自由があるのでしょうか。
国民として両陛下に感謝しております。