小学校のとき、国語の教科書に「ありがとう、ティモシー」という短編が載っていて。
誰が書いた話だったのか、思い出せないけど。
いまだに忘れられないの。
「一縷の望み」というヤツが、どれだけ人の支えになるかってこと。ときに、人の命を救うということ。
で。
あらすじ。
ある国で内戦が勃発し。親元を離れ、たまたまその地にいた男の子が家に帰ろうとする。もちろん、危険な道中。ティモシーという名の外国人労働者と途中まで一緒に逃げるが。
ここで別れる、というとき。年老いたティモシーはボロボロのカバンから布の包みを取り出し、彼に言う。「この中にパンが1切れ入っている。もうダメだ、と思ったらこれを食べなさい。でも、本当に本当にもうダメだと思うまで、食べてはいけない」。
そのパンを彼にあげたら、ティモシーはもう食べ物を持っていないかもしれない。食べ物を買うお金もないかもしれない。彼は受け取るのをためらったが、ティモシーは彼に包みを押しつけ、すぐに消えた。
少年は数日間、家を目指した。命がけである。
途中、飢餓に襲われ、何度もそのパンを食べてしまおうかと思い、包みの上からさわってみた。パンはすでに乾いているのか、とても固い。でも、そのパンが自分のポケットにあると彼は安心できるのだった。
もしものときには、このパンがある。
食べ物を持っているから大丈夫、その気持ちがなんと支えになることか。
彼はティモシーの「本当に本当にもうダメ、と思うまでパンを食べてはいけない」という言葉を幾度となく思い出し、包みの上からパンを確かめるだけで、なんとか生き延びた。
ついに、自分の家にたどり着き。
家から飛び出してきた母親に抱きしめられ、彼は「ほら、これをくれた人がいて」と包みを取り出して開けて母親に見せると・・・。
それは板の切れ端だった。
彼は思わず、「ありがとう、ティモシー!」と叫ぶのだった。
で。
国語の教科書には、続けて次のように書いてあった。
「ありがとう、ティモシー!」と叫んだときの少年の気持ちを考えてみましょう。そして、文章にしてみましょう。
そのとき、そのクラスでは皆、どのような文章を書き、どのように発表したのか、記憶にない。
が。
少年が「ありがとう!」と叫ぶ場面に、私は泣きそうになったのを憶えている。
ティモシーという老人は、1人で家を目指す少年のために、ウソをついたのである。彼の支えとなるウソ、彼の命を救うウソである。
老人は、ときに一縷の望みが人を支え、人の命を救うことを知っていたのだ。
私はお世辞を言う人間が嫌いである。ウソをつく人間も当然、嫌いである。
が。
この話を教科書で読んでから、40年以上、経っているのだけれど。
この老人のウソを折りに触れ、思い出す。
本当のことを知って生きられるほど、人は強くない。ときに、ウソにすがって生きることもあるかもしれない。生きていくとは、ときに、それほどまでにつらいことなのだ。
老人は行きずりの少年のために、ウソをつき、彼を救った。
神を暗示しているのだろうか。
あの話をまた読みたいと思う。
あの話を小学校の教科書に載せた人、どなた?
良いセンス、してるじゃん。