〜ふうふモラトリアム 序章〜
🔹本日も貴重なお時間ご一緒して頂きありがとうございます🙇♀️
拙いblogへのご訪問、いいねを頂いてとても嬉しく思います😊
🔸『あつい!』って言葉を出さない様にしようと思っても、口が開けば言ってしまう程ですね😵💦
皆様、夏バテされていませんか?
昔は、夏バテ毎年していましたが、体力無いと何も出来ない💦と、思い意識的に食べて、水分補給する様にしています✨
ただ。。。これは夏バテなのか?ホルモンと言う名のモンスターなのか?わからない年齢になってきております😅
自律神経を整える事を、大事にしなければいけませんね🍀
🔸さて、本日も『泥んこばなし』前回の続きになってます↓
我が夫が行方知らずになってから、発見出来るまで✨の、気づきを書き綴っていきたいと思ってます。
泥んこにまみれる様な、私の心情も書いておりますので、ご興味ある方は宜しければお付き合いください🙇♀️
🔹娘が一歳になった頃、私はパートで仕事を始める事にした。
妊娠中に資格を取得したので、有難い事に未経験でもすぐに仕事が見つかり、初めての職種で働きはじめた。
嬉しかった。何より、『あの家から出られる理由がある』✨
それが1番嬉しく思える程、我が家に私の居場所は無かったから。
夫の家族の中に、他人の私がポツンと居る。
毎日、その感覚で過ごしていた私にとって、外の世界に出られる事は心が軽くなった。
ただ、慣れない仕事、職場での人間関係も同時に悩ましい出来事にもなってはくる。
私は、慣れない仕事に、家事、育児、プラスして同居している事への気遣いで、日に日に心は疲れていっていた。
でも、家には帰りたくない。
仕事で疲れても、家に帰ると今度は心が休まらない。
私は、ほんの数分でも、わざと寄り道をしてから帰っていた。。。
お金をほぼ掛けず、ボーっと出来る公園のベンチ等、帰り道の各所で見つけるのが得意になった(笑)😁
子供達は可愛い。愛おしい。でも、1人になりたい。あの家から出て行きたい。
母親としてこんな事思うなんて。。。
でも、この気持ちが心を支配し、ずっとぐるぐる回り続けていた。。。
🔸夫に勇気を出して『家を出て行きたい』と話した事はある。
きっとあの頃の私は、同居し始めて時間も、心も負担が増えた私を、労い大事にされたかったんだろう。家を出て行きたいと言えば、夫が多少は慌てて変わってくれるのではないか?と、どこか期待していた。
夫からの返答はこうだった。
『辛い思いをさせている原因が同居であるなら、自分が止める権利はない。子供の事を思えば居て欲しいけれど、そうしたいなら、してくれて良い。』
この返答は、第三者からすれば私を尊重してくれていると捉えらるのかも知れない。
でも、私には子供にとっての『母親』は必要だけれど、私の代わりに母が居るから家に居なくても構わない。そんな風に感じ、寂しさが増すばかりだった。
私には、帰る実家も無いから、出て行く経済力も無いからそう言えるのか?
最早、夫の気持ちが、発した言葉の意味がわからなかった。。
この頃から、夫との会話はどんどん減り始め、私は母親と、嫁としての事は最低限していたけれど、妻としての気持ちは会話と比例する様に減っていった。。。
🔹そんな夫婦仲で暮らしていた中、子供に変化が起こる。
以前『陽だまりばなし』で書いたが、息子の登校しぶりが始まり、情緒の乱れ、自閉スペクトラム症と診断されるのだ。
その時の話はこちらです↓
私のメンタルは当時、『底』だった😭
息子の情緒の不安定さと癇癪に、私も不安定になっていたし、何よりも息子のこれからを考えれば考える程、見えない未来に落ち込んでいた。
けれど、息子が自閉症だろうが何だろうが、育てていかなければいけないのだ。
私との関係性は良好でなかったとしても、流石に我が子の事となれば夫も真剣に向き合ってくれるはず!
この、私の不安や、色々な事に対する思いを理解してくれるはず!
そう思って、うだうだと取り留めのない話を、答えが出ない悩みを夫に涙ながらに話をした。
流石の夫も、話を頑張って聞いてくれていた。
が、最後にこう言い放つのだ。
『〇〇(私の名)が、こんなに面倒くさい人だったとは、思わなかったわ(笑)』
この言葉を聞いた瞬間、私の心のシャッターは閉まった。。。
→次回につづきます
🔸かいつまんで事の流れを書いていますが、私のblogなので、勿論私の主観で被害者意識の強い内容です😅💦
けれど、この時の心情があって、今の思考に繋がっていきますので、あまり楽しい内容では無い事はご了承下さいませ🙇♀️💦
🔹では、本日のお話は以上です🍀
今日も、あなたに感謝を込めて✨



