〜ふうふモラトリアム〜 第9章
🔹本日も貴重なお時間をご一緒して頂き、ありがとうございます🙇♀️
拙いblogへのご訪問、いいねを頂き嬉しく思っております😊
🔸なんと!あっという間に師走ですね💦
元々、ノロマな更新でしたが大分間が空きました💦
私の力量はさることながら、先月は娘が発熱フィバーだったのです😣
いつも、発熱する時は『頭が痛い』と言う彼女。
休日のある日夕方に頭が痛いと言って来て、熱を計ると発熱してました😢
それまで元気に走り回っていたので、様子に気付けず居ましたが、インフルエンザも流行っているので、もしかしたら?と、覚悟してました😫
ただ、母親の勘で、ぐったり感も無いし、インフルエンザでは無さそう。。まさか、またアデノ?!それはそれで嫌だけど💦
あまりの高熱なら、ホームドクターも視野に入れましたが、そこまでは無さそうでした。
次の日、病院に行き検査したら全て陰性で、喉から来る風邪との事。
熱も早めに下がり、大事を取って、数日保育園も休み、やっと元気に登園した日の夜、また『頭が痛い』と訴えてきた娘。
病院以外外出もしてないし、熱が下がっても暫く休ませていたし、一日保育園行っただけで熱は出ないだろう。。。
気持ちの問題かな?と、思い熱を計ると発熱!!
違う意味でビックリしました😳😳
えっ?赤ちゃんでも無いし、回復してすぐ熱出すなんてなんで?!と😵💦
翌日、病院に行き検査をすると。。。
溶連菌でしたー!!!!😭😭😭
幸い、熱もあまり高く無いし、薬もすぐに効き回復は早かったのですが、何にビックリしたか?と、言うと、今回またまた保育園の行事とタイミングが重なって、運動会に続いて保育園最後の行事に不参加となりました😭😭😭
もぅ、ここまで来たら、神がかってる✨✨
こうもピンポイントで行事の度に病気になるなんて、ある意味凄いわ✨
と、思って関西人魂で話のネタにしてます🤣
果たして、娘は卒園の3月までにある保育園の行事に参加出来るのか?
参加出来たら儲けものだな😝🍀
位の気持ちで居ております😁
🔹娘が調子悪くなると、息子は自ら義母の部屋等に行ったりと、自主隔離生活をするので、数日ほぼ顔を見ない日が続いたりします。
そうなると特に思うのですが、家族が元気で、一緒の空間に居られたり、話をしたり、食卓を囲めるって、当たり前の様で尊い時間になりますね✨
子供達が暴れ回る喧しさも、嬉しさに変わるから、身勝手な様ですが、日常への感謝が増します🍀
まだまだ、冬は始まったばかりですので、皆様も冬を楽しみながら、元気に過ごしましょう😊
🔸ではでは、本題へ。
今回も、ふうふ関係についての『泥んこばなし』の続きです。
前回のお話はこちら↓
ご興味ある方は、宜しければお付き合いください🙇♀️
🔹『認めて貰いたい』
そんな気持ちは誰もが持っているものだと思います。
子供の頃は、成長の過程で親や、身近な大人から褒められたり、認められたりする事が多いのだと思います。
記憶が薄れてしまっていても、きっと私も子供の頃はそうだったはず。
だけど、振り返って思う事は
『自分が認めて欲しかった事と、親が認めてくれた事にズレがあった』
と、言う事です。
私の例で言うならば、親に褒められていた事は兄弟の姉として弟達の世話をしていた事。
足が速かった私は、運動会のリレーの選手になった事。
我慢強く、我儘を言わない事。
そう言った事を褒められ、認められていた記憶があります。
ただ、私はそこを褒められて嬉しかったか?と、言えば正直あまり嬉しくなかったのです。
なぜ嬉しくなかったのか?と、考えると私が思うに、自分がやりたくてやっていた事ではなかったから。と、言うのが大きかったと思います。
弟達が可愛くて、自分がすすんでお世話をしていたなら、褒められて嬉しかったかも知れません。
(可愛くなかったわけではないですが😅)
私の母は、『お姉ちゃんなんだから』と言う理由を事あるごとに使っていて、『姉と言うのは弟の面倒を見て当たり前』の意識が強い人でした。
きっと、母は自分自身がお世話好きで、自分の兄弟を世話して来たので、私にも同じ事を求めたのでしょう。
だけど、私と母は違います。
私は本当はもっと母に甘えたくて、いつも
『弟達は良いな。お母さんに優しくされて羨ましいな。』と思っていました。
望んで『姉』になった訳じゃない。
我慢したくてしている訳じゃなく、我慢しないと認められないと思っていたからです。
大人になってからも甘え上手な人や、人に可愛がられる素直な人、人に嫌な気持ちにさせない我儘を上手く出せる人等は、未だに羨ましく思えます。
きっと、成育歴の影響もあり、私自身の持って生まれた気質から、『認められたい』気持ちが強いのだと思います。
昔は、一番認めて欲しかった相手は母でしたが、今は、その相手は夫なんだろうと思います。
🔸では、夫が全く私を認めていないのか?と、言えばそうではありません。
何度か話し合いをした際には、彼は私に対して
『子供達の事を一番考えてくれて、やってくれてると思っている。』とは、言ってくれていました。
これも勿論『認める』の一つです。
だけど、その言葉を言われても、私は嬉しいとはあまり思えないのは何故か?
自分の幼少期から紐解くと、『母親としての役割り』を認められているのは『役割り』を認められているからで、幼い頃『姉として』を褒められていた様に、『私自身』としての個人を認められている感じがしないからだと思います。
例えるなら、仕事で『結果』を褒められたいより、『過程』を重視して認められたい。そんな感じでしょうか。
🔹『母親業』に何かしらの『結果』なんて無いように、日々の細かな家事や育児を、私がどれだけやっているのか?に、目を向けて欲しくて、そこを夫に一緒にして欲しい。気持ちを理解してして欲しい思いが強かったのだと思います。
幼い頃の『姉役』を、我慢しながらやらなければ認めている貰えない私は、大人になり、『母親役』をやらなければ、認めて貰えないと思う。
そんな自分になっただけでした。
ただ、幼い頃の『姉役』は望んではいなかったけれど、『母親』には望んでなったはず。
その違いが、『責任感』と言うものがプラスされる。
だから、誰かに言われた訳じゃないのに、無意識に『やらなければいけない事』と、言う認識になってしまうような気がします。
自分で言うのも何ですが(笑)
真面目な人程、この『責任感』に押しつぶされそうになって、育児や、家事が楽しめなくなる傾向があるんじゃ無いでしょうか?!
実際、私はそうでした。
楽しめなくなると、途端に不満が溜まっていきます。
子育て、家事を担う時間が多い側は、日々労われず、認められない思いが蓄積される事で、心身だけでなく心の塵が少しずつ積もっている事に気づかずに、崩れてしまう。
そんな経験談をよく聞きます。
私自身も、ギリギリの所にまで、自分が追い詰められた記憶がありました。
そのギリギリ状態で、子育てをするとどうでしょうか?
子供に八つ当たりをしたり、向き合えなかったり、大事な事を見落としがちになる。
自分自身にも、家族にも、子供にとっても良い事なんて何もありません。
それを、私は初めは『夫のせいだ』と思っていました。
同居を始めて変わった夫。
私に家事、育児の負担ばかり負わせる夫。
私の事を本当の意味で、認めてくれない夫。
紐解くと、幼い頃『母がこうしたから』と言う理由で、私は辛かった!寂しかった!と、嘆くあの頃のままの私でした。
私はいつだって『誰かに』気持ちを満たして欲しいと、求めるばかりでした。
求めてばかりの幼稚な自分に気づくと、凄く嫌気がさしたと同時に、私が自分自身を建て直す課題も見つかっていきました。
🔸ポイントは『我慢』と『承認』
そして『ズレ』です。
その辺りの事を、次回から書き記したいと思います。
つづきはまた次回へ🍀
お読み頂きありがとうございます😊
今日もあなたに、感謝を込めて✨



