〜ふうふモラトリアム〜 第12章
🔹本日も貴重なお時間をご一緒して頂き、ありがとうございます🙇♀️
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🔹先日娘の保育園生活最後の発表会がありました。
今年度、運動会、参観、親が楽しみにしている行事全て体調不良で不参加な娘🤣
巷では、いろんな感染症も流行っているし、『不参加』を頭に入れ期待せずに当日を迎える心構えでした😅
そもそも、登園しぶりがある彼女。
練習にも殆ど参加していないし、当日も行きたがらない可能性もある。
ですが、結果的に言えば当日元気に参加出来ました!!!🙌✨
本人も『たのしかった!!』と満足気でした💕
帰りにご褒美のケーキを買い嬉しそうな姿を見られて、私もとても嬉しかったです🥰
🔸驚いたのが、皆んなで揃って朗読をするプログラムは全然覚えてないので、口パク(笑)🤣💕
それも、帰りには『わかんなかったけど、まぁできたわ!!』と、娘が言い放った事🤣💕
そう言う所、すごい好きだわ🤣💕
ダンスは、多分4回位しか練習してないけど、誰よりも楽しそうに笑顔で踊り、ほぼパーフェクト✨
元々、ダンス等は好きだけど、特別習ってる訳じゃないのに!!す。。凄い!!🤣💕
家庭内では、お喋りでおませな娘ですが、保育園では引っ込み思案なタイプで、一歩保育園に入るとお喋りもしない位の内弁慶。
娘に関しての心配事も多々あり、進学に向けてどうなるか?と、思う場面もあるのですが、今回の発表会から娘の素敵な一面を色々感じられました✨
🔹発達特性の凸凹がある息子を通じ、今の私の中では『皆んなと同じ様に』や『枠にはまるタイプ』と言う事には、価値の重きを置かなくなっています。
ですので、今回何が1番良かったかと言えば、
『本人なりの楽しみ方が出来、自信に繋がった』事でした。
朗読を全く覚えてなくても、言ってるフリして周りの邪魔もせず、自分なりの参加をしていた事。
ダンスは振り付けを覚える事が正解じゃなく、音に合わせて音に乗り、自分で楽しんでやっていた事。
彼女のオリジナリティが溢れ、本人が心から楽しむ姿が見られた事や、できる、できない が大事なんじゃなく、自分の中で『できた!』が積み重なる事がすごく大切なんじゃないかと思わせてくれました。
息子も娘も、いつも私の想像を遥かに超える自己を見せてくれる事に、改めて感心させられ、嬉しく思えた1日でした。
🔸総じて言える事ですが、、、
うん。うちの子達、『自我強め』だね(笑)🤣💕
と、思いました🍀😁愛おしい💕
そう言えば、夫に『あなたは、枠にハマって真面目に生きて来たタイプなのに、我が子達全く枠にハマらないタイプやね(笑)』って話すと、苦笑してました🤣
まぁ、それでもやはり親子なので、似通ってる所もあるんですけどね😁
🔹さて、それでは本題へ
本日も『泥んこばなし』のつづきです。
前回のお話はこちら↓
夫婦関係や、自己変容、気づきの種にご興味ある方は宜しければご覧ください🙇♀️
🔸人間関係の歪みで出てくる表現で、
『価値観の相違』があると思います。
関係性が深く、近しい間柄になればなる程、この『価値観の相違』に悩まされたり、価値観の違いから関係性の終焉にまで繋がる事があると思います。
本来『価値観』が全く同じ人など居ないはずなのに、何故私達はこの『価値観』に揺れ動かされるのでしょう?!
私の感覚では、『価値観』は自分を創り上げる
『核』に近いものがあり、人の本質的な部分、そして最も『心の中にある繊細で柔らかい部分』の様な気がするのです。
だから、そこが近しい人に出会うと喜びを感じたり、深く繋がりを求める関係性になりたいと願う気がします。
特に『ふうふ』になる人同士は少なからず『価値観』について何か感じるもの、惹かれ合うものがあり、『ふうふ関係』に発展したのではないかな。と、思っています。
私もその中の1人で、夫と出会い時間を過ごす中でお互いの『価値観』から『夫婦』になる事を決めた気がします。
🔹では、ふうふは価値観が同じであったり、近い人では無いと仲良く居られないのでしょうか?
私は、1番夫との関係に深い溝を感じていた時期は、『この人と価値観が合わない』と思っていました。
だから、仲良く居られないと思い、正直離婚する事も視野に入れていました。
それ位、私にとって価値観の相違は大事だと、その頃は思っていたからです。
では、今は違うのか?と、尋ねられれば『価値観は大切ではない』とは勿論思っていません。
けれど、それ程までに重要視しなければいけない!!とは、思わなくなりました。
なぜ、そんな風に思う様になったのか?
そこを少し、紐解いていきたいと思います。
🔸夫に対して『価値観が合わない』と思い始めた大きなきっかけとして、私の中で『同居』と『出産』と『息子の発達障害』と言う、大きな出来事がありました。
そうした出来事が起こる度に、少しずつ『価値観のズレ』を感じ、夫と話をしてもわかり合えない事に落胆していきました。
結婚当初は『合っていたはずの価値観がズレてきた』
そう思っていた私は、過去の自分、過去の出来事に後悔や、憤りを感じ『これが無ければこんな風にならなかったのに!』と、たらればを言い
沸々とした思いに押し潰されそうでした。
でも、本当にそうだったんだろうか?
同居をしなければ、今までと変わらずの仲で居る事が出来たのか?
出産がなければ、私達は以前と同じ様な関係性だったのか?
息子の発達障害がわからなければ、私達に溝は産まれなかったのか?
そんな空想に近い思いを馳せ、無かった筈の世界を考えてみる事もありました。
考えてみて思った事は、もし、そのキッカケになる出来事が無かったとしたら、その時の苦しみや、悩みは無かったのでしょう。
だけど、私達は以前と同じ様な関係性だったのか?と、問われると『同じだった』とは言い切れないと思いました。
取り巻く環境、生活は、意識しなくとも、望んでいなくても、必ず変化が訪れます。
どんなに平穏な生活を過ごしていたとしても、大なり小なり変化はあるのです。
きっと私達夫婦に訪れたキッカケが、全て無かったとしても、いつかは今に近い状況になっていたんじゃないか?そんな風に思うのです。
それは何故か?
🔹私が『夫が変わってしまった』と、思った1番初めのキッカケは義理両親との同居でした。
両親が側に居る事で、息子同然の態度になってしまい、私からは『夫』として見えなくなりました。
今まで、私や息子に甲斐甲斐しく、マメで協力的だった夫はどこに行ってしまったのか?
その思いは、私を落胆させました。
でも、義母から見れば、以前の甲斐甲斐しくマメな姿の方が驚きで、『結婚して変わった』と思っていたんだそうです。
その話を聞いて今の夫は『彼の本質』
今の方が『素』に近く本来の姿なのかも知れない。と、思いました。
だとすれば、『彼の本質』が見えるタイミングが、遅かれ早かれ私達は価値観の違いに直面したのだろう。
そして、夫だけで無く、私自身の『本質』も必ずあって、夫からすれば私に対して思う事もあるはずだと思います。
🔸ふうふ関係だけで無く、親子関係、友人関係等でも、その人の思わぬ一面を見られた時、戸惑いや、嫌悪感が現れた経験をした事のある方も少なくないと思います。
その時、簡単に離れる事が出来る関係性であれば、自分の心を守る為に離れる選択肢も良いと思います。
ですが、関係性が深く、近しい人間関係では、簡単に離れられない事が多いのです。
自分の価値観や、思いを相手に理解して欲しくて、一方的に言葉を投げ続けた所で、中々思いを捕まえては貰えません。
私自身も、悩みの渦中に居た頃、夫に対して思いを一方的に投げ続け、受けとめて貰えず、悲観していました。
『なぜ、わかってくれないのか?』と、ばかり嘆いていました。
思い返せば、あの時の私は、本当はキャッチボールがしたいのに、雪合戦をしてる。
そんな風に、言葉を投げ続けて、当てられた夫は、痛くて退散する。。。。
そんな冷たく、痛みを伴うコミュニケーションしか取れていませんでした。
🔹その冷たさにも慣れ、痛みすら感じられなくなった私達。
ズレてしまった溝を、再構築する為に、私が向き合うべく、最も心の労力が必要になった事が、
『孤独感』
でした。
その辺りについては、また次回へつづきます。
本日のお話は以上です✨
今日もあなたに感謝を込めて🍀



