〜ふうふモラトリアム〜 第11章
🔹本日も貴重なお時間をご一緒して頂きありがとうございます🙇♀️
🔸拙いblogへのご訪問、いいねを頂き嬉しく思っています😊
クリスマスから、お正月、行事が続き、なんだか慌ただしく日々が過ぎて、やっと日常と言う感じがしますね🍀
ですが、我が家はお正月が過ぎて1月には『子供達の誕生日✨』が待っているのです🎂✨
自分が子供だった時代は、祝って貰う特別感は勿論ありますが、親となって我が子の誕生日と言うのは別格だと感じています✨
妊婦時代、出産の記憶が蘇り、子供達の誕生から、今日までの成長を思い出すと、感慨深く色んな想いを馳せるものですね🍀
絶対に叶わぬ夢ですが、もう一度赤ちゃんの頃の子供達に会って、あのなんとも言えぬ気分に浸りながら抱っこをしたい💕👩🍼
そんな風に思える程、大きく健やかに成長してくれていて、元気に誕生日を迎えられた事、私自身も元気で、お祝いを出来る喜びを噛み締めました✨
親の自己満足もありますが、部屋の飾りつけや、ケーキにプレゼント、お誕生日の料理に、大喜びしてくれる年齢なので、張り切ってお祝いをしました🍀
プレゼントする側ですが、子供達が喜ぶ顔は何よりもコチラにプレゼントを貰えた気分になりますね🥰
今年は、息子に手紙で産まれた日の事、どんな様子で、どんな気持ちだったか?名前の由来等を書いて渡しました。
『ありがとう!大事にするわ🍀』と、言ってくれた言葉が嬉しかったです😊
私は、自分の親にそんな事言えたかな?
息子の素直さには、いつも私が学ばせて貰ってます🍀
命を授かり、無事産まれ、元気に育つ事と言うのは、本当に当たり前な事では無いのだと、改めて感じた一日でした✨
🔹さて、本日も『泥んこばなし』の続きです。
前回のお話はこちら↓
ふうふ関係や、自己変容等にご興味ある方はよろしければお付き合いください🙇♀️
🔸『我慢』している事を『自分のしたい事』に考えを変え、楽しみをプラスしていく中で気づいた事があります。
それは、どんなに自分の中で『我慢してやっている事』だとしても、周りから見ると『好きで勝手にやっている事』に写っている事でした😵💦
自分自身の昔を振り返っても、母が家事や育児をしているのも嫌々やっているなんて、思っていませんでした。
だから、何故私は『女の子だから』や『お姉ちゃんだから』と言う理由で家事等を手伝わなくちゃいけないのか?
弟は『男の子だから』やらなくて良いのか?わかりませんでした。
もし、母が『お母さんは、疲れているから家事を手伝って欲しい』
『お母さんは、1人で子供達のお世話がこの時間忙しいから、助けて欲しい』と、言われていれば違っていたでしょう。
私の場合は、『当たり前』を幼少期から植え付けられていた考え方によって、母が家事や子育てをするのも当たり前でそこに我慢があるなんて、全く気づく事もありませんでした。
時代や風潮が変わり、男性が家事、育児を分担するのも特別では無くなりましたが、それでも『やってくれる人』が居れば、積極的にしようとはしない人が多いと思います。
だって楽だから😁
そして、私が気づき驚いたのは
『我慢してまでやって欲しいと誰も頼んでない』
と、言う事がありました😵
『何で自分ばっかり!!』と、不満を募らせながらも、家族の為、周りの為、と自分に言い聞かせてこなし、その日々が続き限界に達してようやく吐き出すと。。。
『言ってくれたら良いのに』
『そんな風に思っているなんてわからなかった』
等の、周りの返答に驚かされるのです💦
🔹そう、『我慢してでもする人』と『受け取る側の人』では、とてもズレが生じているんです。
だから、沸々と小さな我慢を積み重ねて、限界値を超えた人が怒りなどを表現すると、周りに驚かれてしまう事があるのでしょう。
こう言ったズレは、『我慢』にだけ起こる訳ではありませんでした。
子育てをしていて『我慢』の他に『愛情』と言うものにもズレがあり、そこが夫婦間で溝になる事も多い気がします。
我が家の例で言えば、
⚫︎おもちゃをすぐ買い与える夫
○おもちゃは特別な時に与えたい私
⚫︎息子の困り事は先延ばしにしたい夫
○息子の困り事をすぐに何とかしたい私
こんな事が日常茶飯事でした。
でも、どちらも対象は『我が子』です。
実は、我が子に対しての『愛情の掛け方』が違うだけなのです。
けれど、不満が沸々溜まっている私はいつもこう思っていました。
『日常的に子供達を見てるのは私なのに!!
私の考えてる事や、子供達の事わかってない癖に!!
勝手な事しないで!!😤』
と、夫のやることなす事にイライラしていたと思います。
今思えば、当時は特に私が1番子供達の事を考え、思いを掛けていると言うおごりがありました。
実際、夫と私とでは、子供達と接する時間は物理的に私の方が多いです。
だから、子供達の事を考えている時間も私の方が多くなるのは必然です。
そんな私から夫がする行動を否定的に捉える言動を投げかけられると、夫にしたらやはり自分が悪かったと思ってしまうのは当然でした。
私達夫婦に溝が生まれたのは、こう言った小さなズレが何度も起こり、どんどん深くなったからだと、今ならわかります。
でも、自分にいっぱいいっぱいだった私は、さも自分が正しいかの様にいつも思っていました。
独りよがりな私。
そんな私が、何故ズレに気づき始めたのか?
次回はその辺りを綴っていけたらと思います。
今日のお話は意地です✨
今日もあなたに感謝を込めて🍀


