2026年9月5日:パート3
21時。高崎の自宅にいる。熱い紅茶を飲みながら、本日3本目のブログを書く。
時の権力者に尻尾を振り、参院自民党の長老たちから「反逆児」みたいに扱われていた山本一太を「ことあるごとに攻撃していた」議員たちは、なぜ、次々と落選の憂き目に遭ったのか?
答えはシンプル。権威に抑え付けられ、古い組織のルールに縛られていたことで、政治家としての「個性」を失ったからだ。
言い方を変えると、「安全に生きる」ことを優先したために、自らの魅力を発信する舞台そのものを手放してしまったとも言える。
この人々はなぜ、所属する派閥や実力者のしきたりに従うことを選んだのか?彼らの目的は、そうすることで「他の政治家より1日でも早く、副幹事長や国対副委員長みたいなポストを得て、組織の中で出世することだった。
実際、自分を敵視していたこの種の議員たちは、そうした肩書きを得る度に名刺にそのポストを印刷し、選挙区で熱心にアピールしていた。
が、そんな役職や肩書きは、永田町では通用しても、一般の国民(有権者)に対しては、何のインパクトも無かった!!
他方、若手議員だった時代を通じて、常に権力者に逆らっていた山本一太には、まともな役職など回って来るはずもなかった。
当選を重ねる中で、政府や党でのポストを得ることもあったが、いわゆる「出世」は、他の人たちより遅れていた。
が、ちっとも気にならなかった。その当時の自分にとって重要だったのは、役職や保身より「自由」だったからだ!
派閥の長老や参院の実力者たちから叱られ、日常的に圧力をかけられる中でも、党内の若手議員と様々な政策や提案を打ち出し、改革派として注目を浴びていた。
振り返ると、当時、所属していた派閥「清和政策研究会」の兄貴分だった故 安倍晋三元総理が、常に庇ってくれていた。その頃から、このひとのことが大好きだった!😭
気がつくと、あちこちのメディアに呼ばれて、発信するようになっていた。信じてもらえないかもしれないが、恐らく「最も知名度のある若手議員の1人」だった時期もあった。
すなわち、肩書きはなくても、政治家としての個性を発揮出来る舞台があった。いつも元気で、溌剌としていた。ひとことで言うと、「キャラが立っていた」のだ!!
その頃、地方議会の経験を持つ当選同期のある議員から、こう言われたことを憶えている。
「あのね、一太さん!オレたちは皆、いろいろ我慢しているのに、あんただけが勝手なことばかりやって、しかも注目を浴びている!他の人は、そこが気に食わないんだ。正直言って、嫉妬心もあるよ!」と。
「それなら、もっと思い切ってやったらいいじゃないか!他人の足ばっかり引っ張るのは、楽しくないでしょう?(笑)」と応じた。
え?もちろん、テレビに出る時は、自民党政治家としての姿勢を貫いた。「所属する組織を批判して、自分だけいい子になる」みたいなことはやらないと決めていた。
例えば内閣支持率が6%だった森内閣の時代は、どんな番組に出ても、野党議員や番組のコメンテーターたちから「袋叩き」に遭った。が、それでも頑張り抜いた!!
当時の安倍晋三幹事長が、そのことをちゃんと評価してくれていたのが、スゴく嬉しかった!
猛スピードで変わる社会の中で、有権者の意識も大きく変質している。最大の勢力は常に無党派層だ。どんなに組織を固めても、それだけでは選挙に勝てない時代になった。
加えて言うと、誰もが発信者になれるデジタル世界が広がる中で、これまでは国民の関心が低かった地方政治にも、注目が集まるようになって来ている。
「組織の古いしきたりやルールに過度に縛られることで、政治家としての個性(=有権者に訴えるべき魅力)を失い、落選する」という現象は、国政でも地方政治でも益々、顕著になっていくはずだ!
角度を変えて言うと、組織の中での保身ばかりを気にして、先輩議員や組織のルールに一切、逆らえないような「いい子ちゃん」は、生き残れない世界になりつつあるということだ!!
では、自分を敵視していた議員たちが、次々に逮捕されたり、スキャンダルを起こして自滅していくのはなぜなのか?それは、そもそも彼らが「時代の流れに取り残されていた存在」だったからだ。
この点については、次回のブログ(その③)で取り上げる。
さて、と。そろそろ「銃猟に関する資料」を読む時間だ。