2026年5月5日
昼12時過ぎ。朝から草津町を歩き回っている。天候は晴れ。スゴく気持ちのいい気候だ。連休最後の日にもかかわらず、湯畑の周辺や西の河原は、大勢の観光客で賑わっていた。
湯畑から西の河原公園へと続く「西の河原通り」が、草津温泉のメインストリートとも言うべき空間だ。老舗旅館やモダンなホテル、土産屋、若者に人気のカフェやスイーツの店が所狭しと軒先を並べている。お馴染みの風景を横目で見ながら、ゆっくりと歩いた。
さすがは、全国で最も人気のある温泉!とにかく活気がある。相変わらず若者率は高いが、連休だけに家族連れも多かった。
天狗山付近まで行くと、様々なホテルやペンションが現れた。どこも満室のようだ。
町外れにあるお馴染みの場所も散策した。中学生の頃に通っていた英語塾や、子どもの頃にお世話になったバルナバ幼稚園はもうない。ちょっぴり感傷的な気持ちになった。(ため息)
明日は、幼稚園の隣にあった聖バルナバ協会や、愛犬ブラッキーとよく遊んだ頌徳公園(過去のブログにも登場)にも足を伸ばしてみようと思う。
かつて亡父が経営していた坂の途中にあるホテルは、すっかりリノベーションされて生まれ変わっていた。が、6階建ての建物の骨格は変わっていない。当時の「ホテル山田屋」は、草津町で初めての鉄筋コンクリートの建物だった。
草津町長も務めた祖父の山本康太郎から地蔵区にあった老舗旅館「山田屋」を引き継いだ亡父 山本富雄が、山田屋の建物を壊して(?)このホテルを新築したのだ。
かつての「ホテル山田屋」は、今や、常に満室(?)の人気ホテルらしい。小学生の頃、このホテルの屋上から、友達と2人で、町中に向けて「ロケット花火」を発射した。両親から、大目玉を喰らった。懐かしい思い出だ。(笑)
坂の途中で足を止め、懐かしいホテルの全景を眺めた。ふと、闘病中の亡父の言葉が胸に蘇って来た。
「あのな、一太、ひとつお願いがあるんだ。おじいちゃんから引き継いだ歴史ある老舗旅館山田屋の屋号と旅館そのものを、オレの代で無くしてしまった。とても心残りなんだ。ちっちゃくても、どんな形でもいい。お前の時代に、何とか『山田屋』を再興してくれないかなあ?」
こう答えた。
「え?まるで時代劇か何かでお取り潰しにあった藩を再興するみたいな話ですね!(笑)お父さんが一番、良く分かっていると思うけど、旅館やホテルのビジネスはそんな片手間には出来ません。申し訳ないけど、難しいと思いますよ!」
「ホテル山田屋」は、それなりに上手くいっていたはずだ。東京からの常連客も多かった。が、県議として活躍していた亡父は、ビジネスでも更なる挑戦に踏み込んだ。「ホテル山田屋」を売却して(?)天狗山の麓に「ホワイトタウン」という更に大きく、最先端のホテルを建造したのだ。
が、政治の仕事に没頭していた亡父は、ホテル経営を他の人に任せ、本気で取り組まなかった。その結果、この「ホワイトタウン」も手放さざる得なくなった。細かい事情は分からないが、自分の目にはそう映っていた。
実はこのホテルには、強い思い入れがある。学生時代、毎冬、草津温泉にスキーに訪れていた東京の友人たちとの思い出の場所だったからだ。
今回、生まれ故郷の草津温泉を訪れたのは、病気療養のためだ。予定していた中東訪問が、現地の情勢悪化で取りやめになったために実現した「湯治」だった。が、無理しないで休めたのは、本当に良かったと思う。
何しろ、子どもの頃から毎晩、温泉に入っていたが、1日に何度もお湯につかることはなかった。強い温泉なので、「入り過ぎると身体に良くない!」と言われていたからだ。
今度の里帰りでは、1日に3回くらい湯船につかっている。時間さえ気をつければ、常に身体が温まって、体調がいい!肌なんてもうツルツルだ。(ニッコリ)
それと、不思議なことが1つ。草津に到着してから、ずっと亡くなった両親に見守られている感覚がある。高崎を愛するシンガポールの監督、エドワード・クー氏の映画「スピリット・ワールド」(高崎でロケ)ではないが、絶対の味方だった2人が、いつも近くにいるような気がしてならない!
紅茶を飲みながら、こんなふうに呟いたりする。
「オヤジさんの言っていた『山田屋の再興』、大変だと思うけど、もう少し真剣に考えてみます!町外れ(?)の一軒家でも借りたら、何とかなるかもしれません。(笑)そのためにも、お母さんと一緒に欠点だらけの息子をしっかり見守り、応援してくださいね!」と。
あれ?「知事選に向けた戦略」の続編を綴るつもりが、余分な話を書いてしまった。「山本一太の強みの分析」その2は、次回のブログで。
さて、と。遅い昼食を食べる前に、もう一度、温泉に入る。