2026年2月23日

 前立腺がんのホルモン療法に伴う副作用は、人によって違うようだ。自分が尊敬するある人物は、「男性ホルモンが減ることで起こる身体の変化は多少、感じたが、精神的には何の影響もない!」と話している。「山本さんなら、絶対、大丈夫だよ!」とも。

 確かに、この人の、がらっぱちで飾らない愛すべき人柄も、高いインテリジェンスも、お茶目な口ぶりも、仕事の活動量も、全く変わってないように見える。

 他方、以前より無口になったり、仕事への意欲が減退したり、鬱になったりするひともいるらしい。アグレッシブな性格が穏やかになるケースもあるとか。ホルモン療法が終わった後、何年かして「急に不安を感じるようになった」体験なども、耳に入ってきた。

 同じ治療を経験したひとも含め、自分の友人たちは、「知事(一太さん)の場合は、きっと大丈夫だ!」と言う。中には、「そもそも喋り過ぎなので、ちょうどよくなるかも!(笑)」とからかう人もいる。

 地元秘書によると、地元のある支持者は、「知事の攻撃的な物言い(?)が、少し優しくなっていいんじゃないか?」と笑っていたとのこと。毎回、ご心配をおかけして、申し訳ありません!(反省)

 でも、この点は、諸刃の剣だと思うな。激情や負けん気は、政治家としてのエネルギー(戦闘力)の源だ!政治家 山本一太の溢れる闘争本能や覇気がなかったら、温泉文化を「ユネスコ無形文化遺産の国内候補にする」流れなど、決して生み出せなかったはずだからだ!

 ホルモン治療を初めて、まだ12日目。身体の一部に少し痛みが出た夜もあったが、翌日には症状が消えた。それ以外の副作用は、ほとんどない!

 が、それでも、前回のブログで触れた「心境の変化」はあった。「人生の時間は限られている」という事実を突きつけられたことで、心の中にあった執着やこだわりが解れた。その分、物事をより客観的に、冷静に見られるようになった気がする。

 例えば、上述した「温泉文化をユネスコの無形文化遺産に登録する運動」に関して、先週、地元関係者による「温泉文化を実現する会」の報告会&祝賀会が開かれた。

 温泉文化は、2030年に国内候補となる道筋が決まっている。が、まだ登録そのものが実現したわけではない!祝賀会は、ちょっと早い気がするな!(笑)

 主催者及び来賓の挨拶が終わった後、この運動を支援する「知事の会」の事務局長として、2030年の国内候補決定の経緯とその後の展望について、(スライドを交えながら)簡潔に説明した。

 この会の主催しているのは、群馬県温泉協会。冒頭、主催者を代表してマイクを握った岡村会長と、田村県旅館ホテル組合会長は、挨拶の中で「山本知事の活躍」に言及してくれた。

 この2人の発言は、スゴく嬉しかった!今回の登録運動において、現場で共に戦って来た旅館・ホテル関係者だからこそ、知事である自分と県庁職員の奮闘を知ってくれているのだと感じた。

 そんな言葉を聞きながら、ここまでの出来事が胸を過った。

 今から5年(?)ほど前、県議会の一般質問で、自民党県議から、「知事として、この運動の先頭に立って欲しい!」とお願いされた。その要望を受けて、本会議場で「先頭に立って努力する!」と正式に宣言した。

 翌週(?)だったと思うが、さっそく参院当選同期だった馳浩石川県知事に会いに行った。文科大臣経験者でもある馳知事は、無形文化遺産の仕組みも、文化庁の考え方もよく知っていた。

 何でも即断即決で、行動力の塊のような馳知事が、こう言った。

 「いっちゃん、それいいね!ぜひ、力を合わせて実現させよう!!」

 金沢の石川県庁の知事室で、ガッチリと握手を交わした。

 先ずは、この運動を応援する与党の議員連盟と「知事の会」を立ち上げようという話になった。その後、何度か馳知事と相談して、議員連盟と知事の会のメンバー案を作成した。

 当時の宇留賀副知事や地域創生部の職員たちも、情報収集や要人とのアポ取りに奔走してくれた。議員連盟の事務局長との連絡調整は、最初は宇留賀副知事に、その後は大塚副知事に担ってもらった。

 宇留賀前知事の抜群の行動力、大塚副知事の粘り強い働きかけには、本当に感謝している。にゅうさん(大塚副知事)とは、一緒に京都の文化庁まで突撃(?)した。

 この間、政府関係者や与党幹部、文化行政に詳しい国会議員にもアプローチしてみたが、最初は冷たくあしらわれた。細かいことは書かないが、陰でせせら笑う国会議員もいた。そう、陰口って、必ず聞こえてくるものなのだ。(苦笑)

 が、あきらめずに、最後まで突っ走った。人事で文科大臣が変わる度に、アポを取ってお願いを繰り返した。関係閣僚(国交大臣、厚労大臣、環境大臣)の部屋に、何度、押しかけたか分からない!(ごめんなさい!)

 有力な国会議員の人たちに議連の幹部をお願いする際には、自分が東京まで足を運んだ。初代の会長だった衛藤征士郎前衆院議員(大分県)も、2代目の会長をお願いした菅義偉前首相(神奈川県)も、その場で快諾してくれた。(感謝)

 当時、連立与党を組んでいた公明党に関しては、全て赤羽一嘉衆院議員(前国交大臣、当時の公明党副代表)と、群馬県出身の福重隆浩衆院議員にメンバーを選定してもらった。このお2人には、その後のこの運動を力強く支えて頂いた。(感謝)

 そのお陰で、「骨太の方針」に温泉文化を書き込む戦略に関しては、自民党に加え、もう1つの与党である公明党からも、力強いサポートを頂くことが出来た!

 「知事の会」を発足させる際にも、役員をお願いする方々には、馳知事と手分けをして連絡を取った。外には言わないが、ここでも様々な「ドラマ」があった。47人の知事、全員の賛同を得るのは結構、大変だった。(ふう)

 議連の設立総会や、その後の総会を含む重要なタイミングでは、その都度、上京して衆参の議員会館を回った。馳知事と2人で、500人以上の議員の事務所を行脚したこともある。

 石破内閣の終盤、総理との面会を「無理して捩じ込んでもらった」のも自分だ。官邸での要望には、議連の主要メンバーと複数の知事、全旅連の幹部が参加。この時も、あちこちに電話して、同行してもらえるひとを募った。

 特に、議連の副会長の1人で、地元出身でもある小渕優子衆院議員が、(多忙な日程を調整して)同席してくれたのが、とても有り難かった!(感謝)

 そんな場面に常に同行していたのは、全国旅館ホテル同業者組合連合会(全旅連)の青年部の人たちと、地域創生部の県職員たちだった。

 この「山本一太の国会議員全力行脚ツアー」に参加した全旅連の関係者の人たちが、猛スピードで階段を上り下りする知事の後を(息を切らして)追いかけながら、温泉文化のパンフや資料を手渡してくれた。全員、知事の体力に驚いていた。(笑)

 青年部に加え、女将の会の皆さんも、全国の署名集めに活躍してくれた。最終的に、国会議員を動かしたのは、地元の温泉・旅館関係者の声だった。

 そんな中で、同様に(温泉文化以外のテーマで)ユネスコ無形文化遺産の登録を目指す議連の幹部の方々から、「山本知事はやり過ぎだ!」という批判が起こっていることを知った。

 が、直接、文句を言ってくるひとは、いなかった。そりゃあ、そうだろう。逆に「必ず噛み付かれる」と分かっているもの!(笑)

 とにかく、一切、怯まずにやり続けた。日本一の温泉県を自負する群馬県知事として、このプロジェクトを実現するために、死に物狂いだった!!

 それだけに、過去のブログで紹介した菅義偉元総理(議連会長)がかけれくれたひとこと、「(知事の)執念だよな!」は、自分にとっては「最高の勲章」だと思っている!(ニッコリ)

 こんな流れがあったからこそ、今回、実際に「国内候補になる道筋」を切り開いたのは、群馬県関係者と力を合わせ、現場(中央や地元)で、政府と与党への働きかけを、粘り強く展開してくれた議連関係者や知事の会メンバーの皆さん、温泉、旅館、ホテル関係者の方々だという気持ちが強かった!

 そして、知事の会の事務局として、議連発足の発案者として、この運動を中核となって推進して来たのは、「群馬県知事と職員たち」だったという自負もあった。

 が、改めて、温泉文化をめぐる運動の歴史や経緯を冷静に振り返ってみると、「自分の感覚は間違っている!」と気づいた。今回、温泉文化が「ユネスコ無形文化遺産 国内候補」というポジションを獲得出来たのは、大勢の方々の協力と努力の歴史があったからだ!

 特に、最初に苦労して井戸を掘ってくれた人たちの苦労があったからこそ、何とかここまで到達することが出来たのだと素直に思えるようになった。これも(いい意味で)前立腺がんの発覚がもたらしてくれた「心の変化」だと感じている。

 上記の「実現する会」で、簡潔に運動の目的や経緯、今後の流れを説明した後、これまでなら恐らく言及しなかった(あるいは社交辞令として触れていただけの)フレーズを加えた。心からそう思っているからだ。

 何を話したのかは、次回のブログ:その③で。